第4話 皇都ガーロ

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「お茶をお持ちしました」


 見慣れた顔を横目で見て、机の前の男は手にしていた紙束をばさりと放り出した。朝から真面目に机に向かっていたが、言われてみれば目の奥が疲れているようだ。いつの間にか陽が傾き始めている。


「もう、こんな時間か。おい、パット。いったいいつこれは終わるんだ」

「仕方ないですね。使える駒が減っている以上、根回しが物を言いますからどうしても確認していただくことが増えます」


「そうはいっても、キリがなさすぎる。不毛極まりないぞ。よし、あいつを呼び戻すか」

「また、すぐそういうことを…。ご自身でお約束なさったのをそう易々と撤回なさるのはいかがなものかと思いますが。それに元々書類の確認はあなたの仕事です」


 口調こそ丁寧だが、汚いものを見る目を隠そうともしないパットと呼ばれた乳兄弟の補佐官を、部屋の主はうろんな目で見た。パットはそう言いながら、手際よく茶を注いでいる。その動きは実によどみがない。


 このひと月、真摯に取り組んできた書類の山は、いくらか減らした所でそれ以上に新たに積み上げられていくので、一向に減っていない。いや、むしろ確実に増えている。


「だが、このままではいずれ書類に埋もれて…ん?」


 茶を淹れるパットから視線を外し、何気なく見た窓の向こうに黒い影がよぎった。直後に特徴ある鳴き声が微かに聞こえてくる。


「ヒュー様」

「わかっている」


 いつの間に窓際まで来たのか、パットはすでに窓に手をかけている。主の許可を得て大きく開けられたそこに、間をおかず黒い塊が降り立った。



「ハリー、どうした。あいつと一緒に休暇じゃなかったのか」


 大きな翼を丁寧に畳むと、ハリーと呼ばれた鷹は首をくるりと回した。褒美の催促だ。常に引き出しに入れてある干し肉を取り出し、手ずから与える。


「どうやら、不測の事態のようですが……妙な要求です。いかがいたしましょうか」


 主がハリーと戯れている間に、足輪から紙片を抜き取ったパットがさっと内容を確認し主君へと渡す。最低でも春までは連絡を絶つと言っていた相手からの発信だ。ハリーが現れた時点で何か予期せぬことが起こった事は予想がついたが、それにしても紙片に綴られた内容は想像のはるか上を行っていた。



「……女物の下着一式に、服? 薬? なんだ、あいつさっそく嫁でもかっさらってきたのか?」

「めったな事は口になさらない方がいいと思いますが、確かに妙ですね」

「冷徹な氷魔人と言われた男の雪解けか? おもしろい、ちょっと様子を…」


「はいはい、逃げようとしてもダメですよ。書類を投げ出す気満々なだけでしょう」

「いや、俺はあいつの身の安全をだな」

「国一番の騎士隊長様に何ほぞいてやがる。つべこべ言わずに仕事しやがれ」


 主君の首根っこを捕まえさらりと暴言を吐いて、強引に椅子に座らせたパットはかなりのやり手だ。いつの間にか、新しく淹れ直した茶をすっと差し出されて、湯気の出るそれを条件反射で手に取る。



「パット、覚えてろよ」

「ええ覚えてますよ。一緒にこちらもどうそ」


 悔し紛れに悪態をついたが、まるで効いていない。一緒に出された茶うけは、悔しいかな実に彼好みの味だ。完全にほだされているが、菓子がうまいので食べることに専念する。疲弊した脳みそが甘味を欲している。長い距離を飛んできたであろうハリーに、パットはさらに褒美を与えている。


(いや、その生肉はどこから出した?)


 いつものことながら、この補佐官は何事もそつがない。なさすぎる。



「聞きたいことは山ほどあるが、薬も、となると急ぎだな。"えん"の使用を許可しよう。必要なものを揃えて送ってやれ。そうだな…、三日、いや急げば二日でいけるか。二日後の午後だな。ハリー、着いたばかりで悪いが頼むぞ」


 たんまり生肉をもらって満足したのか、パットからもらった鉢で水を飲んでいる。まだまだ元気なようだ。その鉢と水はどこから沸いたのか。ハリーの世話をしていたはずのパットは、新しい紙片に話すそばから書き留めている。必要事項を書き終えると、足輪に紙片をくくりり付けた。



「時々、実はお前は双子か三つ子で、この部屋に同じ顔の人間が何人も動いているんじゃないかな、と思えるんだが」

「呆けたこと言っている暇があれば、書類に目を通してください」

「もうお前の分身が目を通せばいいんじゃ…」

「あなたのお仕事ですよね?」


 絶対零度の視線を浴びた部屋の主は、急に茶がぬるくなったように感じる。なにせ、澄ました顔して執事よろしく世話をするこの男、国で二番手の剣の腕を誇っている。トップは先ほど話に上がった氷魔人こと、ダグラスだ。魔法騎士が活躍するこの国において、国の頂点に立つ部屋の主は、純粋な剣の腕だけで言うなら三番手である。



「おかしいな、俺が主なのに」

「主なら主のお仕事してください」

「理不尽…」

「さ、ハリー頼んだよ。お前の主は素直でいい主だからまっすぐ帰るんだよ」


 たっぷり餌をもらったハリーは、任せとけと言わんばかりに首を縦にゆすると大人しくパットの腕に乗った。


「ひどい…もう泣こうかな」

「寝言は寝てからにしてください」


 よよよ、と泣き真似をする主を視界の端に入れつつ、パットはハリーを連れて窓際に移動する。奥まった位置にある執務室は、外界からの視線をうまく外して作られている。ハリーのような密使のやり取りや、緊急時の脱出口も兼ねているのだ。


 軽い羽音を立てて飛び立ったハリーを横目に、無作法に机に肘をついて部屋の主は冷え切ったカップを指先でもて遊びながら、机の上の書類を手にする。ぺらりと書類を捲りそこに署名をすると、再び机に投げた。



「あいつに女の影…なんて、初めてじゃないか?」

「記憶にある限りではないですね。……書類、やる気ないでしょう」

「急ぎの物は今のが最後だ。それにさすがに飽きた」


 付け加えた一言は本音だろう。確かにこの数ヶ月、特にダグラスを送り出した後の激務はパットも理解している。口では文句をいいつつ、真剣に取り組んできたのも全て。



「では、鍛錬場で憂さ晴らしでもしますか」

「むさくるしい奴らに囲まれて何が楽しいんだ」

「………」


 パットは大きく息を吐くと、放り出された書類をちらりと見た。「至急」と赤い印字が押された物の束は確かに終えている。


(こういう所が憎ったらしいというか)


「…仕方ありません。これ以上は効率も下がりそうですし、書類は一旦置きましょう」

「よし、では行くぞ」

「念のため確認ですが、……どちらへ?」

 行先の見当はついているが、一応聞いてみる。


「決まっているだろう、リーアムのところだ」

「はぁ…、かしこまりました」


 間違いなく誰よりも頭が切れる主君は、純粋な剣の腕では三番手に甘んじているが、その頭脳を駆使して指揮を執る戦いではとてつもなく強い。瞬時に状況を把握し、最善の策を選び、即時行動に生かす。戦場で求められる基本行動だが、それらを息をするように自然に行動できる者は少ない。


 ひとたび戦場に出れば、敵の動きの何手も先まで予測し、対抗策を講じることができる。そして彼と戦場で相まみえた相手が、決まって口にする言葉がある。


『皇国の赤い雷帝らいていを怒らせるな』


 正々堂々と挑むならいざ知らず、非道なふるまいを見せた相手には一切容赦しない。彼を怒らせたら最後、敵兵全て地に伏すまでその攻撃の手が止むことはないと、恐れられている。赤い雷帝とは彼の得意とする攻撃魔法の一つを表している。


 そして明晰な頭脳は戦以外でも遺憾なく発揮される。皇国内では強さだけでなく賢帝とも名高く、口うるさい古い貴族をその鮮やかな手腕で黙らせてきた。甘いマスクからは想像もできないが、国の為なら身内であろうと容赦なく切り捨てる冷徹さも兼ね備えている。


 その彼が口に出した時点で、彼の中で決定がなされていると同義であり、絶対に押し通すのも長い付き合いで身に染みている。その判断が憎たらしいほどほとんど間違えないのもまたわかっている。


 苦虫を噛んだような表情のパットの横をすり抜け、部屋の主はそそくさと扉へ向かった。リーアムこと、この国の筆頭魔導士の元へ向かうべく。


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