第3話 空っぽの家

 目が覚めると見慣れない風景だった。

 そうだ、運ばれてここのベッドで寝かされたんだ・・・


 壁の時計に目をやると時刻は16時を指していた。


 あれほど酷かった頭痛は嘘のように消えて、すきっりしていた。

 最後に確認したのが14時頃だったから2時間も寝ていたことになる。


 こんな頭痛は人生で初めてだったな、そんな事を考えながらベッドから起き出して立ち上がる準備をしていると、駅の救護係の人が窓の向こうからこちらの様子に気がついたようで、扉を開けて入ってきた。


「大丈夫でしたか?最初は凄く辛そうでしたが、眠られてからは落ち着かれて、血圧や心拍数等にも異常はなかったので寝かせておいたのですが」

「はい、すいません。大変ご迷惑をおかけしました。今はすっかり元気になりました。自分でも初めての経験だったのでビックリです」


 そんな他愛もない会話をして駅員さんたちにお礼を伝えて救護室を後にした。


 すごいな、こんな体験なかなかないだろ。そうだ、妻に話そう。そう思って携帯をいじってみるも電源が入らず。そうだ、充電切れだった。

 仕方ないので今日あった出来事をいかに面白く伝えるか考えながら、帰り道を歩いていたのだった。


 そして家に帰ると




 誰もいなかった。




 あれ、買い物中かな?早く話したいんだけどな、さっきの話。そんな事を考えながら携帯を充電器に差して電源を入れる。


 そして、アプリをいじっていると通知が届いた。妻からのメッセージだった。


 『突然急に出血した。血の量が凄い。タクシー呼んだ。』

 『今からタクシー乗って病院行きます。』


 14時に残された連絡だった。


 え、ちょっと待って大丈夫?

 徐々に心臓の鼓動が早くなっている事が自分でもわかった。


 もう一つ通知が届いた。留守番電話が何件か残されている事を知らせる通知だった。急いで留守番電話を再生する。


 『えー、ご主人の携帯電話ですか?A病院です。急ぎ折り返しのご連絡ください』


 悪い予感しかしない。緊張で手が震え冷や汗が出てきた。

 A病院に即座に折り返しの連絡をした。


 プルルルル・・・プルルルル・・・


 呼び出し音が鳴っている最中、ずっとソワソワと部屋の中を動き回りながら、私は電話が早く繋がることを祈っていた。ほどなくして、電話が繋がった。


「はい、A病院です。」

「すいません、私、先ほど連絡をいただいたものですが、妻が出産で・・・」

 そう言うやいなや、「すぐ先生に代わります!」と言われて保留音が流れた。


 緊張のピークだった。

 相手の反応が間違いなく普通ではない。


 出産で何かあったんだ・・・妻や子供は無事なのか・・・

 そんな事を考えながら、頭の中がグルグル回っていた。


 そして、代わって電話に出てきた先生が私に伝えたのだ。


「いいですか、落ち着いて聞いてください」

「病院に到着された奥様は早期胎盤剥離で出血が大変酷い状況でした。だから、ご 主人様の同意は頂いておりませんが命に関わることなので、急遽、帝王切開の手術をしました」

「娘さんは出産時に心肺停止の状態だったので、今は集中治療室です。奥様は手術後まだ意識が戻っていません」

「まずは急ぎ、病院に来てください」



 自然分娩じゃなくて帝王切開?

 早期胎盤剥離って病気の名前??

 生まれた娘が心肺停止で集中治療室???

 妻の意識が戻ってないってどういうこと????


 この辺りで本当にもう記憶が残っていない。


 あまりの情報量に脳がパンクしたことは覚えている。

 どうやって病院にたどり着いたのか、その時の記憶があまりないのだ。


 次に記憶に残っている場面は、眠っている妻と、

 新生児集中治療室のケースに入れられた娘の姿だった。


 その後、手術を執刀してくれたお医者さんが私に説明をしてくれた。


 出血が多かった為、妻の意識が戻らない可能性がある事。

 娘は出産時に心肺停止状態だった為、最悪の場合、

 何らかの障害が残るかもしれないという事。


 ただただ、ぼんやりと聞いていた。

 うなづく以外に出来ることはなかった。

 私はひたすら病院の待合室で待ち続けていた。


 ぼんやりと待合室で待たされる中、早期胎盤剥離という初めて聞いた言葉を調べていた。母子共に亡くなっていてもおかしくなかった可能性があった事を知り、愕然とした。


 出産とはこんなリスクがありえる事だったんだ・・・

 一人目の完全な安産に油断していた自分を後悔した。

 そして、生まれた二女が無事である事をひたすら祈っていた。








「奥様が意識を取り戻されましたよ!」


 そう呼ばれたのは夜遅くになってからの事だった。

 私は急いで部屋に入り、妻を見た。


 今朝まで普通に顔を合わせていたはずの妻を、随分と久しぶりに見た気がした。



「赤ちゃんは?」

 妻の第一声だった。

「無事生まれたよ」

「良かった・・・」

「本当に大変だったね、頑張ったね」

「うん・・・ちょっとびっくりしちゃったよ・・・」


 それだけ会話をすると、妻は安心したのだろうか。

 またすぐに眠ってしまった。


 妻の意識が戻ったので一旦は大丈夫ですという事で、その日の深夜、私は家に帰された。

 スーツ姿のままリビングで寝ていたことに気がついたのは、翌朝になってからの事だった。

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