5
ガルルルルル!
吠え声に気づいた時には、すでにイヌは階段を駆け上がり、コジロウに飛びかかっていた。
コジロウは間一髪で振り返った。
が、反射的に振ったコジロウに前脚も、イヌの鼻を直撃することができない。コジロウはイヌの前脚ではじき飛ばされ、庭に落ちて鉄の柵に激突した。
イヌはミニーに向かった。
ミニーはすくんで動けない。
コジロウは走り、テラスに跳んでイヌの背に爪を立てた。
そして、叫ぶ。
〝ミニー! 逃げろ! 走るんだ!〟
ミニーは我に返って飛び出す。テラスの手摺りの間から庭へ飛び降りようとした。
しかし獲物に向かって閉じられたイヌの牙は、ミニーの尻尾をがっちりとくわえこんだ。
ミニーの身体はテラスの下にぶらさがった。イヌも手摺りに鼻を突っ込んだが、かじりついた尻尾を放そうとはしない。
〝痛い!〟
ミニーの悲鳴がコジロウを奮い立たせる。
〝こいつ! 放せ! ミニーを放せよ!〟
イヌはミニーの尻尾をかじったまま、首を振り回しはじめた。ミニーも空中を振り回される。
〝助けて! 痛いよう!〟
コジロウは激しく動くイヌの背中にしがみつき、わずかずつ這い進み、首筋に牙を立てた。だが、長さの短いネコの牙では土佐犬の厚い皮を貫くことができない。
〝畜生! ミニーを放せよ!〟
コジロウはイヌの目に爪を立てた。
グワワワ!
目をえぐられたイヌは、ついにミニーを口から放した。
ミニーは気を失ってテラスの下に落ちる。
コジロウも、激しく暴れるイヌの背中からから振り飛ばされた。そのコジロウに、怒りをあらわにしたイヌが襲いかかる。
コジロウは手摺りの間を擦り抜けて、地面に飛び降りた。ミニーを助けるために、テラスの下に駆け戻る。
しかしその時イヌも、手摺りを飛び越えて地上へ降り立っていた。
イヌが振った前脚がコジロウの背中をとらえた。コジロウは宙を飛ばされて、家の基礎に激突した。
コジロウは腹を上にして倒れた。
大きく開いた牙をむいたイヌが、じっと身構える。
コジロウは思った。
〝逃げなくちゃ!〟
しかし、狂暴な牙の輝きに目がくらんで、動けなかった。
ネコの柔らかい腹は最大の弱点だ。土佐犬のアゴで食い破られれば、内蔵が散乱することは確実だった。
もう、逃れるすべはない……。
コジロウは死を覚悟した。
〝ミニー……〟
意識を取り戻したミニーが、身動きできないコジロウを見つめる。
〝コジロウ……〟
〝ごめん……助けられない……〟
〝逃げて! 私を置いて逃げて! 私が食べられている間に、逃げて!〟
ミニーはイヌの前に出ようと、必死に這った。なのに、意識が遠のいていく……。
〝ミニー、やめろ! 君こそ早く逃げろ!〟
〝コジロウ……逃げて……〟
イヌは、コジロウめがけて飛びかかった。
〝ミニー……〟
その時、黒い影がコジロウの前に飛び出した。
狂暴なうなり声とともに牙がコジロウの腹に食い込む寸前、それはイヌの鼻に飛びついていた。
〝バカ! さっさと逃げろ!〟
叫んだのはボスだった。
ボスはがっちりとイヌの顔に爪を立て、牙を濡れた鼻に食い込ませていた。
コジロウは叫んだ。
〝ボス! なんで⁉〟
〝早くミニーを助けろ!〟
ボスは激しく暴れるイヌに振り回されながらも、必死にしがみついていた。
コジロウはボスに従った。
体勢を立て直してだっと走りだすと、力を失っていたミニーの首をかじる。
〝起きろ! 走るんだ!〟
ミニーの尻尾は半分ちぎれていた。それでも痛みで気力を取り戻したミニーは、残った力を振り絞る。
コジロウは命じた。
〝早く柵の外へ!〟
ミニーは走った。
〝あなたも!〟
〝バカ!〟
逃げられるはずがなかった。
コジロウは跳んだ。
地面で転げ回ってもつれあう、イヌとボスに向かって――。
ボスの身体は後ろ半分がイヌの口にすっぽりと納まっている。胴は鋭い牙に切り裂かれているはずだった。だがそれでもボスは、イヌの鼻に食い込ませた牙を外そうとはしなかった。
コジロウの爪がイヌの首にかかる。牙を立てる。
ギャアアイン!
イヌの叫びにおびえが交じった。
イヌの牙がゆるむ。
コジロウはボスの身体をかじってイヌの口から引っ張り出しながら、イヌから離れた。 ぐったりと地面に崩れたボスは、力なくつぶやいた。
〝バカなことをしちまったな……あんな狂暴なイヌを相手によ……〟
コジロウはボスをかばうようにしてイヌの前に立ち、身構えながら言った。
〝黙ってろ!〟
イヌはじっとコジロウの動きを見つめている。
コジロウは思い切り毛を逆立ててうなった。
〝来てみろ! 力が強いからっていい気になるなよ! ネコの力を思い知らせてやる!〟
イヌがコジロウに突進した。
その時のコジロウの頭の中からは、恐怖も怒りも消えていた。
片目でじっとイヌの動きを追う。ハンターの勘が鋭く研ぎ澄まされていく――。
〝今だ!〟
コジロウはイヌに向かって飛び出した。
そして、繰り出されたイヌの前脚をかいくぐった。
下から素早くのばしたコジロウの前脚の爪が、イヌの鼻をしっかりととらえる。
ギャアアイイイン!
ボスにかじられてすでに傷だらけになっていたイヌの鼻から、皮がごっそりとはげ落ちる。
イヌはついにコジロウに背を向けてテラスの下に飛び込んだ。それは、明確な降参の意思表示だった。
コジロウはボスに言った。
〝走れるか⁉〟
ボスはゆっくりと立ち上がった。
〝走るとも〟
二匹はミニーが待つ柵の外へ、足を引きずりながらも走った。
と、家の窓が開いた。
竹刀をだらりとぶら下げた父親が、テラスの下にもぐり込んだイヌを見つける。
「おまえ……何をしている? 何を騒いでいたんだ? 私はたいへんなことをしてしまった……いったい、どうすればいいんだ……?」
そして裸足で庭に下りた父親は、テラスの下でおびえて丸まったイヌの背中を竹刀でつついた。
「おい……? おまえ、何をしている?」
イヌが振り返って、顔を上げた。
「怪我をしているのか?」
イヌは、そこに竹刀を持つ主人がいるのを見た。
常に自分に痛みをもたらす、恐怖の対象を――。
しかしその時のイヌは、いつもとは違っていた。
コジロウに撃退はされたものの、その戦いで神経を高ぶらせていた。ネコに敗けた悔しさも、頭の中で渦巻いている。そして、押さえに押さえて続けた闘犬の血が、体内で爆発寸前にまで沸騰していた。
イヌは思った。
〝もう殴らせない。俺を傷つける者は叩きのめす!〟
主人はイヌの目を見つめて、不意に怒鳴る。
「何だその目は⁉ それが主人を見る目か⁉ 分をわきまえろ!」
主人は竹刀を振り上げた。
その瞬間、イヌは素早くテラスの下を出て、飛び上がった。
口を大きく開いて牙をむきだし、主人の喉元へ向かって――。
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