第40話一頭の牛

クッキーを作った翌朝、やすさんが訪ねて来た。

店を開ける前に来るなんて…どうしたんだろう。


「よっ!菜ちゃん。昨日は俺の倅(せがれ)が世話になったな。」


もしかして、与一君のお父さんってやすさん?!


「おはようございます。えっと、与一君のお父さんって…やすさんだったんですね。驚きです。」


意外と近くに与一君のお父さんがいたのに驚いた。

世間は狭いとはまさにこの事か。


「あんな菓子初めて食べたよ。この世には色んな食いもんがあるんだって思い知らされるぜ。まだ俺の知らない料理があるんだろうなぁ。」


やすさんは明るくなってきた紫空を見上げる。

今日のやすさん…いつもと雰囲気が違うような気がする。


「菜ちゃんに頼みがあんだ。与一の事頼めるか?もちろん、仕事の邪魔をしないようにきつく言いつけるからよ。この通りだ、頼む。」


やすさんが低く低く頭を下げる。

一体どういう事だろうか、与一君を頼む?訳がわからない。


「やすさん頭を上げてください!どういうことですか?」


ゆっっくり頭を上げてやすさんは話し始めた。


「いきなりで悪かった、困らせちまったな。実は俺の家は代々左官(さかん)(大工)の家系なんだが、俺の息子は与一ただ一人で将来的にもあいつが継ぐと思ってた。でも、最近与一が料理に興味を持つようになってな。まぁ、最初は複雑な気持ちだったし、正直俺と同じ道を進んで欲しかったが、菜ちゃんの料理を食べるたびに料理人ってのも悪くないかもしれないと思うようにもなった。出来る限りあいつの好きにさせようって決めたんだ。」


やすさんの話を聞いて思い当たる事が一つあった。


「あのもしかして、仕事帰りにおにぎりを持ち帰っていたのって与一君の為だったんですか?」


「あぁ、そうだ。毎日、具が変わるからな与一の良い経験になる。」


やすさんみたいに毎日買ってくれる人も増えたので一種類でも飽きがこないよに具や味を変えるように心掛けるようにしてはいたけど、まさか経験値アップに使われているとは思わなかった…。


「与一君って料理人になりたいんですか?確かに料理をしてみたい的なことは言ってましたけど…。」


「いや俺に直接は言ってはない、言いづらいだろうしな。だがな、わかんだよ。昨日の菓子で確信に変わった。あいつ、昔の俺と同じ顔してやがるからな。俺が左官(さかん)になりたいと思った時とそっくりだ。」


やすさんは嬉しそうでちょっと寂しそうな笑みを浮かべていた。


「俺は左官(さかん)だからな。料理の事はわからねぇ。教えてやりたくても教えてやれない。だから、与一がここに来た時だけでいいから少し仕事を見せちゃくれねぇか?」


「それはかまいませんけど…。」


やすさんの話を聞く限り、与一君の道を変えたのは私だよね。

責任を感じてしまう。


「おい、おい、そんな顔すんじゃねぇよ。気持ち的には複雑な所もあるが、感謝してるんだぜ。俺の息子が自分で夢を見付けたんだ。菜ちゃんのお陰だ…ありがとうな。」


やすさんは私の頭にポンっと手をのせた。

その手はとても大きくデコボコで温かいものだった。


「おっと、そろそろ行かねぇと。この話は与一には内緒な。今度なんか持ってくっからよ、じゃぁな。」


やすさんはそう言い残すと急いで帰って行ってしまった。

私も出来るだけやすさんと与一君に協力しようと心に決めた。




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