第32話幻のお酒 

男の子が立ち去った後、時次さんに呼ばれていた事を思い出し急いで調理場を出た。

店の中にはりゅうさん、時次さんととらさん、次郎さんが勢揃いしていた。


「いらっしゃいませ。お好きなお席にどうぞ。」


店には誰もいなかった為、好きな場所を選ばせる事にした。

とらさんとりゅうさんは仲が良いようには見えなかったのできっと離れた席に座るだろうと思った。

しかし、この店の座敷に上がり向かい合うように座った。

本人達がそこで良いと思うんなら大丈夫だと思うけど本当にそこで良いの?と思ってしまう。

席に着くなり空気がピりついてるんですけど…。

料理場に行ってお寿司の仕上げをしようとした時、りゅうさんに声をかけられた。


「菜、待って。お酒持っていたから一緒に飲もう。時次…。」


「はっ。菜さんよろしければこちらの器を使って下さい。」


時次さんは懐から白い風呂敷を取り出した。


その中には真っ赤な盃が入っていて、大きさは手のひらぐらいだろうかとても綺麗だった。

高いんだろうなと思いながら時次さんから受け取った。


「わかりました。こちら預かります。洗ってくるので少々お待ち下さい。」


「よろしくね。」


りゅうさんが私に微笑を浮かべる。

イケメンの攻撃を私も営業スマイルを持って打ち返す。

表情が一瞬ぎこちなくなってしまったがスマイルが崩れなかった私を褒めたい。


一礼して井戸に行く。

井戸で盃を洗って数えてみると全部で五つあった。

一瞬、一つ多いと思ったがりゅうさんの一言を思い出した。

確かにりゅうさんは一緒に飲もうと言っていた。

この一つは私の盃かと思うと嬉しい反面憂鬱になった。


私の分を用意してくれた事はとても嬉しいのだがあのイケメン率が高い中で私も一緒に飲むと考えると遠慮したい気持ちになる。

そんな事を悶々と考えながら盃を洗い、水滴を拭いた後に皆の元に持っていく。


時次さんに渡すと時次さんは盃を五つ並べお酒を注いでいく。

盃の中のお酒は澄んでいて盃の赤色がとても綺麗に見えた。

飲んでみないことには判別できないけど…現代で言うところの清酒だろうか。


一応私の分であろう盃も持っては来たがここで一緒に飲むのはどうやら避けれないらしい。

左右見てもイケメンで少しみじめな気持ちになる。

飲む前に料理を持って来た方がいいだろうかと思いそーっとその場から抜けようとしたが、りゅうさんと目が合ってしまう。


「菜、料理は皆で一杯飲んでからでいいよ。もちろん菜もだよ。」


りゅうさんは有無を言わせない笑顔だ。


「…はい。」


あわよくばこの場から逃げれれるのではと思ったが失敗に終わり、大人しく返事をした。

私…最後のチャンスを失う…。

りゅうさんが盃を持つと続いてとらさん、次郎さん、時次さんと盃を持った。

この時代の作法が分からず戸惑っていると時次さんが声を掛けてくれた。


「菜さんもお持ち下さい。」


「あっ、はい。」


私も時次さんに習い盃を持つ。

何の合図もなく、りゅうさんが一気に飲みその後にとらさん達も一気に飲む。

時次さんも飲んでいる事を確認してから私も一気に飲んだ。


口の中に甘さが広がり、喉に熱いものが通り抜ける。

飲んだ後、口と鼻からアルコールを感じた。


わっ…このお酒美味しい。


これは間違いなく清酒だろうと飲んで確信した。

酒もどきの玄米甘酒は飲んだけど本物のお酒は現代以来だ。

一口飲んだだけで体がポカポカしてきた。


いや~、美味しかったなと余韻を味わい終わり前を向くと視線が私に集中していた。

時次さんとりゅうさんは満面の笑みを浮かべ温かい目で私を見てる。

とらさんは感心したような顔で、次郎さんは横目で私を見ていた。


私はそっと盃を机の上に置いた。

食べるたびに何回か経験はしてるけど慣れない…恥ずかしいんだが…。

この沈黙を破ったのはとらさんだった。


「いい飲みっぷりだ。この酒の価値が分かっているとみた。」


飲みっぷりは皆さんを真似ただけに過ぎないし、お酒の価値ははっきり言って分からない。

美味しいなと思っただけだ。

とらさんの言いっぷりからするに普通のお酒よりも高いお酒なのだろうと予測が出来る。

私が飲んで大丈夫だったのだろうかと不安になった。

次郎さんがぼそりと呟く。


「ふん…女の癖に…。」


聞こえてますよ~、次郎さん。

せめて本人に聞こえないように呟いて欲しい。

時次さんが冷めた表情で次郎さんを見ている。

今にも飛び掛かりそうな顔だ。

私が冷や冷やしながら時次さんと次郎さんを見ていると私の盃にお酒を注ごうとしている白い手が見えた。

その手の正体はりゅうさんで、急いでその手を止める。


「私、お料理の仕上げがまだなんです。気持ちは嬉しいんですが…。」


「そう…。菜がとても美味しそうに飲むものだったから注いであげようと思ったけど、料理が来てから注ぐとしようかな。」


りゅうさんは寂びそうな顔を一瞬した。

その顔を見て悪いことをしたような気がしてしまう。


急いでネタを酢飯の上にのせお寿司を作る。

その時りゅうさん達の会話が聞こえて来た。

料理場とりゅうさんがいる所はあまり距離が離れていないので大抵の話は聞こえてしまう。


「この酒…京の寺で作られているという柳だな。早々簡単に飲める代物ではないな。まさかお前がこの酒を持って来るとは思わなかった。」


とらさんが弾んだ声で話していた。


「菜に持って来ただけで、君に持って来た訳じゃない。そこを勘違いしてもらったら困る。」


りゅうさんの一言で私は危うくネタを落としかけた。

あの人達の側にいなくて良かったと心の底から思ってしまった。

なぜなら今の私は絶対顔が赤い。


あまり気にしないようにはしていたけど、そんな凄いお酒なぜりゅうさんが持ってるの。

とらさんも一口飲んで当てるって何者ですか…。


気にしないようにしたいが気になりながらお寿司の仕上げをするのだった。


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