第27話 ききょうの回想 9 残された者たち 天慶3年 長月
「おのれ、見ておれ。晴明の仇、わたしがとって遣わす」
龍と闘っていた安倍さまの姿が、投げ出されるように地面に墜ちた時、右馬の介様の放った
「右馬の介様っ、おやめくだされ」
青黒く輝く龍めがけ、命を投げ捨てるかのように向かって行く右馬の介様の背に私は叫んだのでございます。あの魔術を駆使なさっている安倍さまでさえ敵わぬ龍に、生身の右馬の介様が敵うはずがございませぬ。
すると何という事でございましょう。右馬の介様が構えた剣は白い光を放ちますと放たれた矢のごとく、右馬の介様もろとも龍の眉間めがけて
ぐわーん、と鐘の裂けるような音が辺りに満ち、思わず耳を手で塞ぎ私はそのまましばらく動く事もなりませんでした。
暫く耳を抑え、目を隠したまま
「あれは」
思わず呟いたのは空に何かが煌めいたのが見えたからでございます。
しばらく目を瞠っておりますと、無数の光の珠が空を覆うようにゆっくりと舞い降りて参ったのでございます。空から舞い降りた珠は地に着かなんとした時、動かぬ魑魅魍魎どもを一つ一つ包むと再び空へと舞い上がっていくではございませんか。
それはこの世の物とも思えぬ景色でございました。最後の一つが空の彼方へと消えて行くまでわたくしはただ
ですがそのわたくしの耳に姫様が私を呼ぶ声が聞こえて参りました。はっとして振り向くと姫様はもう一度何かをお叫びになりました。何を仰られたのかは聞き取れませんでしたが、姫様はわたくしをめがけ何かを放られたのでございます。きらきらと輝きながら飛んで参りましたそれは地に落ちる寸前にふわりと白い光に包まれ、そのままゆらゆらとわたくしの
「これを、右馬の介様に」
そう仰った姫様の言葉がはっきりと聞こえたのでございました。そして、まさにその時、妙見菩薩のお星から一条の光がさっと一本榎の頂に向かって奔ったのでございます。
思わず尻もちをつきながらも姫様の御姿から離さなかったわたくしの眼に榎の先から蝶のようにふわりと飛び立つ姫様の御姿が映ったのでございました。妙見菩薩の星の光は突如掻き消え、ただ姫様の白い御衣が月の光に浮いております。それはふわりふわりと躊躇うように空を暫く舞っておりましたが、やがて意を決したように、空高く夏の夜空へと消えて行ってしまったのでございました。
「おひぃさまぁ」
声を限りに呼んだわたくしの声もまた、虚しく夏の宵の空へと消えて行ったのでございます。その途端、声に応えるかのようにみしみしと地が揺れるような地鳴りが聞こえて参りました。
「
思わず身を竦めたのでございますが、やがて地鳴りは収まって行ったのでございます。
再び身を起こし見上げますと月があたりを慎ましやかに照らし出しております。一本榎は掻き消えておりました。耳を澄ますと遠くで山清水が流れている音がさらさらと聞こえて参ります。まるで何事も無かったかのような佇まいでございました。
「右馬の介殿」
先程まで一本榎のあった根元の辺りにわたくしは駆けより右馬の介様を見つけますと、失礼とは思いましたが右の頬を叩きました。すると、うっすらと右馬の介様が目を開かれました。
「姫様は・・・?」
「あれ、あちらの方へ」
指さしたその先には深々とした闇の彼方に煌めく星ぼしが見えるばかりでございます。
「天へと昇って参られました」
「まさか・・・」
右馬の介様は空を見上げ絶句なさいました。
「晴明は・・・晴明はどうしたのだ」
右馬の介様は呻くようにそう仰いますと先ほど安倍さまが倒れていたあたりを剣の
「あやつ、わしと約束しおった筈だ。姫を返すと」
狂ったように探し回る右馬の介様の後を追ったわたくしの眼にきらりと光る一筋の光が見えました。
「あれは何でおじゃりましょう」
「う・・・む?」
星の光のように瞬くそれに近寄りますと苔むした大きな巌に突き立った剣でございます。剣の突き刺さった割れ目からは清水がこんこんと湧いておりまして先ほど聞こえた水の音の源はこれでございました。
「わしの剣じゃ」
右馬の介様は引き抜こうとされ、ふと怪訝な顔で巌を覗き込みます。
「ききょうどの、これをご覧ぜよ」
言われた通り目を近づけますと、巌の表に龍の姿がうっすらと浮かんでおります。
「ではこの巌は・・・あの龍におじゃりますか」
「そのようじゃな」
剣に手を掛けなさいますと一気に引き抜かれたのでございます。岩を貫いてなお
「晴明から貰い受けたこの剣のお蔭で龍を倒すことが出来はしたが・・・しかし姫様は、姫様はおらぬではないか」
そう仰ると、右馬の介様は鞘に納めた剣を支えに膝を屈し、
「姫様が最後にあなたさまにお渡しするようにと仰って」
そう申し上げますと、右馬の介様に手渡したのでございます。手渡した龍の飾りが以前見た時の荒々しい表情ではなく、どこか穏やかな表情に思えたのはただの私の見違いございましょうか。
「さようか」
涙を拭うと右馬の介様はしっかりとそれを受け取られました。
「これが・・・姫様の形見・・・」
「ええ、大切にお持ちくださいませ」
姫様はあの空の彼方のどこかできっと生きておられるのでございます。私はそう思う事に致しました。右馬の介様は、私の言葉に黙ったままでおられましたが、思いは同じでございましたでしょう。
一体どこに逃げ隠れていたのか、乗って参った馬が近くで軽く
京の内に入るとところどころで家が崩れており、そのあたりだけわらわらと人が集まっておりました。
「何があったのであろう」
右馬の介様が首を傾げますので、あの後に地震がございましたと申し上げますと、ほう、と再び首を傾げられ、
「しかし無傷の家もあれば跡形もなく崩れている家もある。なぜであろうか。さて、われらの家はいかがであろう」
鞭を急いでお入れになり無事どちらの家も残っているのを見た時はまことに安堵して右馬の介様と顔を見合わせたのでございました。
後ほど聞いた話では崩れた家は盗賊やら人殺しが住んでいたものばかりで、
邸の前で馬を下りるとき、お姫様を奪われてしまった以上お邸に居続ける事はできませぬと申しましたわたくしに右馬の介様は
「その時は・・・私のところに参られよ。悪しきようにはせぬ故」
優しく仰ってくださいましたがもはや世を捨て尼になるしかあるまいと心を決め、御邸に入りますと中は何やらざわざわとしております。思わず足が竦み門の近くに佇んでおりましたわたくしを太夫の君が目敏く見つけ
「これ、ききょう。姿が見えぬと思えば何をしていたのじゃ」
と叱りつけたのでございました。そのまま体を
「何を逃げる。姫様がようやく元通りになられたのじゃ。ききょうはどこじゃ、と申されておられる。早く来よ」
そう仰ったのでございます。
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