第22話 空音の記  941年 長月

  あくる日ききょうが市へ行くと言うので、面白そうだから一緒に連れて行ってと頼んだのだけど、

「だめでございます。おひぃさまのおいでになるような所ではございませぬ」

にべもなく断られてしまった。今まで市になんか行った事なんかないのに・・・急にどうしたんだろう。

 子供たちも今は畑仕事に忙しいのか、それとも築地を直してしまったせいなのかあれ以来とんと音沙汰がない。字や和歌を習う気にもならないまま私は退屈しのぎに庭に出て花に集う虫や木々を飛び交う鳥を見ていた。

 もし元の世界に戻ることができたとしたら・・・。私は思った。この世界であんまり虫を集める事は出来なかったな、野山に行けば絶滅してしまった虫たちをもっと見つけることが出来たんだろうけど。ちょっと惜しかったな、そんな事をぼんやりと考えていると

「退屈そうですね」

背後からからかうような声がした。振り向くと晴明がにこにこしながら立っていた。

「取次もなしにどうやって入ったのですか?穴から、それとも松の木から飛び降りたの?」

尋ねた私に微かに首を振ると

「私を右馬の介と一緒にしないでください」

余裕の表情を浮かべて晴明が答える。

「今夜時が満ちます。決心はつきましたか?」

安倍さんはさらりとそう言った。

「えっ、ちょっと急すぎない?」

何の準備もしていない。ききょうにそれとなく別れを言っておきたかったし、「父上」にだってもう一度お目に掛かっておこうと思っていたのに。

「戻ることに決めたわ・・・。でも」

「では参りましょう」

「お願いだからききょうが帰るまで待ってちょうだい。お別れを言わなきゃ」

頼んだ私に晴明はゆっくりと首を振ると両手で印を結んだ。晴明の指の間から白い気体がするすると伸びてきて逃げる間もなく私を包み込み、あっという間に私の意識は遠のいて行ったのだった。

目が醒めた時、そこはいつもの私の部屋ではなかった。いつもっていうのは今度の場合、平安時代の、という意味だ。

 慌てて頭をもたげ外を見遣ると、遠く霞んでいる山へと続く道に笠を被った老人が一人ゆっくりと登って行くのが見えた。ほっと失望とも安堵ともつかない溜息をついて私はあたりを見渡した。

 簡素で現代的な作りの部屋には様々な機械が並んでいた。古めかしい長押の上に近未来的なディスプレーが載っているのは奇妙な感じだった。向こうの壁際にはいかにも高性能のコンピューターらしきものがちかちかと灯りを瞬かせている。いったいどこから電力を引いているのだろう?

「おや目覚めましたね」

声のした方を振り向くと、晴明が顎鬚を片手で整えながら私を見詰めていた。

「どこ、ここは?」

「私の邸ですよ」

「あなたの家・・・?」

なるほど。確かにこんなものが並んでいるのは晴明自身の家の外には考えられない。

「一条の近くですよ。ご存じでしょう?」

「ああ・・・」

きっとここは一条戻り橋、晴明神社のあるあたりなのだろう。

「人が来て困らないの?」

「大丈夫ですよ。結界を張って人が入れないようにしてありますから。まあ、結界と言っても・・・別に呪術じゃないですけどね」

「わざわざそんな用意までしてきた訳?」

「ええ。ここは前線基地のような物ですからね。必要最小限のものは持ってきました。ネットが繋がらないのが不便ですけどね。まあ、そうは言っても最小限のものは揃えてあります」

そう言いながら晴明はディスプレイのスイッチを押した。小高い山に一本の大きな木が空へと突き抜けるように立っているのが見える。

「カメラ?」

晴明は頷くと、画面を切り替える。

「右馬の介の家の門です。おやおや、やっと出てきた。遅いなあ。でもまあ何とか間に合うだろう」

晴明の横から画面を覗き込むと右馬の介様とききょうが馬に跨って門から駆けだして行くのが見えた。

「まあ何とか間に合わせてくれるでしょう」

画面から消えて行く馬を頑張れよと労わるような仕草をすると晴明は私を振り向いた。

「未来の技術を使えば簡単にこの時代の人たちを騙す・・・。騙すと言うのは聞こえが悪いな。驚かせることが出来るのですよ。気圧計を持っていれば天気も大体読めますし、ちょっとした手品をすれば魔術を使っているようにも見えます。それにこの時代の動きはおおまかに分かっていますからね。私はそうやってこの時代の権力者に近づいて行ったのですよ」

晴明は微笑むと、

「面白い物を見せて差し上げましょう。僕のデビューの為に特別に作った動画です」

晴明はディスプレーの横に置いてあった小さな機械のスイッチを押した。辺りはすっと暗くなって奇妙な生き物たちの立体映像が映り始める。良くできた動画だった。鬼や妖怪が口々に

「忠明がおる筈じゃ。この辺に隠れておる筈じゃ。忠明、姿をみせい」

おどろおどろしく睥睨へいげいしながら練り歩く。一種のプロジェクションマッピングなのだけれど、立体感が凄い。映像だってわかっていても十分に恐い。普段見慣れていた映像に比べても立体感や現実感が半端じゃない。こんなものを見せつけられた忠明さん本人はさぞかし怖かっただろう。

「いんちきじゃん」

非難めいた口調で呟いた私に向かって

「セルフプロデュースといってください」

晴明は悪びれることなく答えた。

「この時代は出自が重要でしてね。上流階級に近づくには何らかの手だてが必要なのです。陰陽は家柄も問われますが、意外と実力主義でしてね。潜り込める余地があるのですよ。そのために技術を活用しただけです」

「じゃあ、あなたが狐から産まれたって言う話は・・・」

 晴明は人差し指を軽く振って私の眼を覗き込んだ。

「さすがに狐から人間は生まれませんよ。あれはただの噂。もっともそうした噂も利用させてもらっていますけどね」

こいつ・・・。思ったより腹黒い性格なのかもしれない。

「あなたが関わる伝説ってみんな・・・」

「実際に私自身がしたのは鬼の夜行だけですよ。賀茂忠明殿に取り入るためにどうしても必要だったのです。まあ、あとは乞われて雨乞いもしましたけどね。と言っても、あれは雨乞いではなくて気圧計でが降りそうだと知っていてやる訳ですからインチキと言えばインチキですね」

「あの有名な五龍祭の雨乞いもそうなんだ」

そう言った私に晴明は奇妙な笑みを浮かべた。

「歴史は苦手かと思ってたけど良くご存知ですね」

「京都に住んでいれば誰でも知っているわよ」

「そうですか。ですがあれは私がやったんじゃないのですよ」

「どういうこと?」

「あなたは私をもっと非難するかもしれませんけどね」

そういうと、晴明は壁に近づいて掌を翳した。壁はすっと左右に開いた。

「どうぞ、こちらへ」

晴明の言葉に従って開いた扉の中に入っていくと、ひんやりとした空気の中銀色のカプセルが縦においてある。ぼんやりとした明りの中、その中で宙に浮いているのは・・・目を瞑ったもう一人の晴明だった。手には点滴のチューブのようなものが刺さっている。思わず振り返るとそこにも晴明が私を見てにこにこと笑っている。驚くほどにそっくりな顔立ちだった。もっとも髪の毛はぼうぼうだったし、髭もかなり生えている。

「時折、髪を切ったり、髭を剃ったりしているんですけどね」

弁明するかのように晴明は言った。

「これは?」

「本物の安倍晴明ですよ」

「どういうこと?」

「わたしがこの時代を脱出した後、誰かに代りを務めて貰わないとなりませんからね。今ごろは竜宮城へ行った夢でも見ている筈です。右馬の介やあなたを除いた僕自身の記憶もいずれもみる事になるのです」

「記憶を書き換えているっていう事?」

 私は映画でみたシーンを思い浮かべながら尋ねた。それって・・・たいていは悪の集団がやることじゃん。

「そんなに冷たい眼で見ないで下さいよ。償いとして彼には明るい未来を用意しておいたのですから」

晴明は弁解する。

「自分だけでは到底達しえなかった位まで昇るのですから。今、彼はこれから起こすべき奇跡について学習しているのですよ」

「じゃあ、安倍晴明の奇跡って・・・」

晴明は頷いた。

「彼はデジャブに従って行動すれば奇跡が起きるのですよ」

「こんな機械があるんだ」

呟いた私に

「記憶とは脳にある電気信号の蓄積だと言う事はご存じでしょう?それさえ分かっていればいずれこういう物が出来てしまうのです。良いことだとは思えませんがね。ちゃんと許可は取ってありますから」

 そう言うと、安倍さんは袂から書類のようなものを出してひらひらと振った。

「あなたは・・・私が来た時代よりもずっと未来から来たのね」

晴明は無言だった。

「記憶を書き換えるなんてまともじゃないわ。自分が信じられなくなる」

「仰る通りです」

抑揚のない声で答えるとこつんとその機械を指で弾いた。

「でも仕方なかったんです。重犯罪者の更生の目的で作られたのですよ。重犯罪者が増え再犯者は一向に減らない。死刑にするより犯罪者の性格を変えてしまう方が良いだろうと考えられたのです。人道的な更生手段という訳ですね。汝、殺す莫れとはありますが、汝、人の記憶を変える事莫れ、と書いてありませんから。死刑を回避しかつ社会の安全を守るためにはどうしたらいいのか喧々諤々の議論の末にできたものです」

「でも、そんなの乱暴すぎるわ」

「確かに。ですが凶悪事件が急激に増えたんです。百人に一人が殺人の経験があり、その上再犯率が九割に上ったので仕方がないということになったのですが、化学物質が累積的に脳に蓄積して攻撃的な性格者が増えたというのがその理由でしてね」

晴明は辛そうに言った。

「ですが、テクノロジーは善意を当てにしてはいけないものです。容易に想像できるようにね。人類は問題を解決しようとして、ますます問題を複雑にしてしまう傾向がある」

「そうかも・・・しれないわね」

「もっと深刻な事態を引き起こしてしまうテクノロジーも現れた。侵してはいけない領域を侵してそれを是正するためにまた新たなテクノロジーを使いそれを悪意を持ったものたちが利用する。まあ、なんとかバランスを取っていますがね。そんな機械を作らないで済むようにする、という目的でそんな機械を使わざるを得ない、というパラドックスを僕は体現しているんです」

晴明は呟いた。

「悪は実在するのです。根から絶たないといけないのですよ」

そう言った晴明の口調は厳しく、表情は暗かった。

百人に一人が殺人者・・・衝撃的だった。東京に十二万人の殺人者がいるということになる。或いは一学年に一人は大人になると殺人者になるということだ。私がやって来た世界の未来はそうなってしまうのだろうか。考え込んでいる私の顔を晴明が何事もなかったかのような晴れやかな顔で覗き込んだ。

「さあ、そろそろ私たちも出発しなければならない」

そう言いながら彼は本物の晴明の眠る部屋の扉を閉めた。

「ねぇ、もう一つだけ聞いて良い?」

色々なスイッチを慌ただしく切っている晴明に私は尋ねた。

「こんな大掛りな施設、どうやって運んできたの?私を運ぶ事などできないって、自分自身で精いっぱいだって言ってたわよね」

ああ、と大きく頷くと、

「生命体と物質は違うのですよ。宇宙にだって生命体を運ぶのは難しいでしょう」

晴明は最後にディスプレイのスイッチを切った。

「あなたはこれからどうするの?」

「さっき言った通りいずれこの世界からは脱出します。でも、暫く留まらないとならない。色々と後処理がありますんでね」

「あなたはどこに帰るの?もと来た世界?」

晴明は手を止めた。そして、私をじっと見ると

「さてどうでしょうね」

謎めいた微笑を浮かべ晴明は小さく首を傾げた。

「さあ、行きましょう」

「どこへ?」

「船岡山の一本榎ですよ。さっきカメラに映っていたでしょう?」

そう言うと晴明は私の手を引こうとした。その途端掌にびびっと電流のようなものが流れ私は思わずその手を振り払った。こんな時にまで手品を使うなんて・・・でも晴明は茫然と自分の掌を見詰めていた。

「何だったんだ、今のは」

滅多にみたことのない隙だらけの表情に思わずクスリと笑ってしまう。

「ずいぶん大きな静電気でしたね」

「ああ、いや・・・夏だって言うのに」

納得のいかない顔で首を捻ると

「まあ気にしても仕方ない」

呟いて晴明は牛車でいいか、と私に尋ねた。

「他にどんな方法があるの?」

「ぱちんと指を鳴らしてそこに行く」

指を鳴らしてみせた晴明の言葉は本当なのか嘘なのかも分からない。

「牛車には乗ったことがないの、せっかくこっちに来たのに」

「では牛車にしましょう」

そう言うと庭に下りた晴明は池の畔に寄って何やら呟いた。廂で見ていた私の眼に池の底から大きな蛙が一匹水面に向かって泳いで来るのが見えた。見た事のない程大きい蛙を両手で掬い取って地面に置くと懐から取り出した箱を括りつけ印を結ぶ。ふわっと上がった白い煙が晴れるとそこには網代車を牽いた大きな赤牛が現れた。

「さあ、どうぞ」

と晴明は手で乗る様に私を促した。

「でも、これって牛車じゃなくて蛙車じゃない。大丈夫なの」

躊躇っている私に赤牛が振り向くと抗議をするようにモーと鳴いた。はいはい分かりました。これは手品なの、それともテクノロジーの方?

車に乗り込むには十二単(と呼ぶのは安倍さんは正しくないと言っていたけど)が邪魔だった。悪戦苦闘している私の傍に晴明が立つと霧吹きのような物を取り出し着物に吹きかけた。

「これで大丈夫ですよ」

見ると着物は地面すれすれで波立つように軽やかに舞って土に触れる事がない。

「便利ね。これは未来の物でも悪くない」

そう言って急いで牛車に乗り込んだ。晴明が続いた。

一条大路をゆっくりと牛車は進み洛外への道を歩み始めた。向こうからやって来る牛車や馬はこっちの牛車を見ると歩みを止め、脇へと避ける。見ればずいぶんと立派な牛車ばかりで、貧弱な私たちの牛車、というか蛙車がその間を偉そうに進んでいく。私たちの牛車の前や横にはいつのまにか先駆けや車副が現れて人や牛馬、車を陽気な掛け声をあげて追っ払っている。

「あっ」

思わず声を上げたのは右馬の介様とききょうが載った馬が停まっていたからだった。晴明はちらりと眼差しを向けたが気にする様子はない。私が手を振っても二人はただ私たちの乗っている牛車を見送っているだけだった

「どうしたのかしら」

私の言葉に晴明は笑っただけだった。

一本榎に着いたのは日がそろそろ沈む頃合いだった。牛車から降り立つと爽やかな風に汗がさっと引いて行った。一本榎は思ったよりずっと背の高い大きな木だった。

「こんな高い木、見た事がない」

私の言葉に頷きながら晴明は遠く空を見詰めていた。視線の先に明るい星が一つ瞬いている。

「ずいぶんと大きな星・・・まだ日が残っているのにはっきりと見えるのね」

「私はあの星のためにこの時代にやってきたのですよ。あれこそがポラリスです」

晴明はその星を指し示すとふっと笑みを浮かべた。

「今日は特別明るいのです。それを察知したからこそ彼らが騒ぎはじめたようだ。彼らの中にも星を読む者がいるのでしょう」

「彼らって・・・その蚩尤とか言う化け物の仲間?」

ええ、と晴明は頷いた。

「星を読むと言うのは天の意思を読み取る事です。この時代には天と人との間に交流があるのです。敬う気持ちが人にあったからこそ天も人に語りかけていたのです。その声を聞き取る役目を持っていたのが天文博士」

なるほど、だからこの人は安倍晴明に成り代わったのか。

「地球という星はあの星を北の極において宇宙を旅するように定められているのです。別の星が極にある時は自然災害や隕石の衝突が起きた。だが人類が誕生してからは別のことが起こり始めた」

「それって・・・何?」

「蚩尤の跋扈です」

「しゆうのばっこ?」

「ええ。蚩尤は人間社会に現れる暗い側面、癌のような物です」

癌・・・

「癌は正常な細胞を侵して成長する。それと同じ事が人間の社会の中でも起きるのです。そしてそれは地球生命体すべてに単なる自然災害とは比べ物にならない被害を及ぼす可能性がある」

言いたいことは分かるけれど・・・。

「それを人々が感じ始めたのが今私たちがいるこの時代なのですよ。ある僧侶はこの時代を末法と呼んだのですが、よくぞ喝破したものだ」

丘からは京都の街が見えた。ところどころに灯りが一つ、また一つと燈されていく。その風景は人の営みの証であり、病に侵され滅びて行く世界への予感を抱かせるものはどこにもない。晴明も私の横に並んで京都の街を見下ろした。

「地球上の全ての人間たちが暗黒の世を予感している時代。日本だけでなくヨーロッパも中国も」

ヨーロッパでは異端審問が始まった時代、中国では唐が滅び宋王朝ができましたが北からの侵略に悩まされ続ける時代です、そう晴明は澱みなく言うと、やって来た道を振り向いた。

「さあ、そろそろ右馬の介たちがやって来る頃ですよ」

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