第13話 空音の記 6 941年 晩夏

「御姫様、あそこに誰かが・・こちらを覗いております」 

 ききょうの狼狽うろたえたような叫び声に振り返ったが、私には木が微かに揺れ動くのが見えただけだった。

「子供たちじゃあない?」

「いえ、みるからに怪しげな。すぐにこちらへ。女の姿でありましたが・・・何やら怪しげな」

急いでききょうの隣に戻ってじっとききょうの指す方を見ていると、近くの茂みからごそごそと音を立てて姿を現したのは藤太だった。

「見てごらんなさい。藤太ではないですか」

私がそう言うと、ききょうは厳しい声で藤太に尋ねた。

「あちらに大人がおったであろう」

ううん、千切れるほど首を振った藤太にききょうは怖い顔で

「嘘をいうでない。嘘を言うと舌を切って進ぜましょう。それともお前もあの者らの一味か」

と厳しい声で迫った。藤太はしくしくと泣きだした。舌を切られるのが怖いのかと思ったが、

「いやだい。あんなのと一味なんて」

 どうやら「あんなの」の「一味」にされるのが悲しかったらしい。でもそう言う以上「あんなの」がいる事は間違えない。いったい「どんなの」なんだろう?

「その「あんなの」を連れてらっしゃい」

私が助け船を出すと藤太はうつむいてとぼとぼと引き返して行った。

「おひぃさまは童どもに甘すぎます。厳しくしつけぬと碌な大人になりませぬよ」

ききょうは鋭い声で私まで叱りつけた。とんだとばっちりだ。

 やがて、項垂れたままの藤太が「あんなの」ではなく子供たちの頭領である犬丸を連れて戻ってきた。

「「あんなの」はどうしたのじゃ。隠すでない」

厳しい顔をして問い質すききょうに

「へぃ。確かに見知らぬ方がお二人」

犬丸が神妙な声で答えた。

「どのような者たちじゃ」

立て板に水を流すように問い続けるききょうの権幕に犬丸がたじろいだ。

「それが・・・なんだか男の様でもございますが、女にも見えますし、掃き溜めの中に落ちた犬の様でもございまして・・・」

「なんじゃ、それは?」

ききょうは犬丸を睨み

「さような怪しげな者共とあれば家の侍を呼んで組み伏せましょうぞ」

隠れている者たちにもまる聞こえに違いない。犬丸は慌てて

「いえ、そのような・・・そのお人たちはあなたがた様に取り次いで欲しいと仰っているのでございますよ」

裾にすがりついた犬丸の額をききょうはぴしりと叩くと

「それならそうと早く申せ。何をじゃ」

「ええと・・・その人たちはすぐに出て行くから門を通して欲しいんだと」

額を手で庇いながら犬丸は憐れっぽい声で答えた。

「門を通る?ではその者たちはどうやって邸へ入って参ったのじゃ」

「ええと、それは・・・」

口を濁した犬丸にききょうが

「盗人のようじゃな。ならば帰すわけにはいかぬ。家の者に言ってうち懲らしめようか、それとも検非違使けびいしに突きだすか」

と、畳みかける。

「うーんと・・・えーと・・・そう。あの人たちは風に飛ばされてここに落ちたんだそうです」

必死の面持ちでそう答えた犬丸の言葉に   

 「風?」

ききょうと私は目を見合わせた。

「ええと・・・その、昨日の夜はたつみから強い風が吹いたでしょう?あの風に吹き飛ばされたんです」

犬丸の言葉にまさか、と笑い出した私だったが、その時風に吹き飛ばされた「あんなの」が突然木の向こう側から顔を見せた。その途端、ききょうは「あらま」と妙な声を上げ大真面目に犬丸に頷いて見せた。

「なるほど。あそこにおるは風で吹き飛ばされるほどの軽々しい者たちか」

「ええ、おらたちが見ても、まことに軽々しくて・・・はあ」

犬丸はぽりぽりと頭を搔いている。

「風に飛ばされたとあれば塵芥ちりあくたのような物じゃ。邸に置いては邪魔。仕方がなかろう。さっさと立ち退くように申して来よ」

重々しく言ったききょうに犬丸がぺこぺこと頭を下げて

「ありがとうございます。これで芋粥もうまくすれば・・・おっと、藤太も礼を申せ」

無理やり藤太の頭を下げさせると犬丸はとっとと走り去っていった。

「あれで良いのですか?人には甘いと言う癖に」

私が二人の後姿を見ながら尋ねると、

「これ以上詮索すれば御隣との間がこじれてしまいましょう」

「おとなり?」

尋ねた私に小さく頷くと

「ご覧あそばせ」

 と二人が消えて行った方を眼で指す。そこから奇妙な格好の二人組が這い出て来るのが見えた。女装束ではあるがどう見ても男だし確かにごみだめに落ちた犬のように木の葉が髪やら鬚に纏わりついている。

 細い体つきをしている方はそれほどでもないが、大柄の男は髪がそそけ立ち、埃だらけの顔、着物の背中は土でべっとりと汚れており見られた姿ではない。その大きな方がこっちを見い見いするのを細い方がせっついている。

「客人のお帰りでございますよ」

ききょうが声を張り上げると大きな方も身を竦めそれでも愛敬をふりまくように笑顔を作りつつ、やっぱりこちらを見い見いしながら名残惜しげに消えて行った

「どなたなのですか?」

「大柄の方は右馬の介様でございますよ。お隣の中納言様の一の御子息でございます。もう一人は御付きの者でしょう」

「あら、そうなの・・・」

「いったいどういうお積りなのか・・・・。でもあのお方にはご恩もありますのでえすよ。以前姫が病になられた時に殿が右馬の介様を介して陰陽師にわたりをつけられたのです。取り押さえて恥をかかせては無益でございますし。きっとおひぃさまにけつねが憑いているという噂でも聞いて見に参ったのでございましょう」

まあ・・・いい年をして変な人たち。

 「やはり築地の穴は埋めさせてしまいましょう」

神妙な顔でききょうが言った。先だって埋めようとききょうが強く言ったのを子供たちのために私が止めたのだった。

「そうね、大人が入って来れると言うのは危険ね。でも子供たちが来れなくなると淋しいわ」

そう呟いた私に

「どうしてもかくなわが欲しければ塀を登って参りましょうよ」

相変わらずききょうは子供たちには厳しい。

 それはともかくとしてその右馬の介様とやらの顔は誰かに似ているとさっきから気になっていた。誰だっけ?頭の中で顔から汚れをふき取って烏帽子を取ってTシャツを着せて・・・そこからは簡単だった。銀色のメタル系の髪の色にしてベースを持たせれば・・・

「ヒロくんじゃない」

叫んだ私をききょうはびっくりしたような眼で見つめた。


翌日、ききょうが大きめの箱を持って現れた。

「陰陽師の方が、また晦日みそかにおいでになるとのことでございます」

「あら」

「それと右馬の介さまから届け物がございました」

眉を顰めたのは昨日の事にまだ腹を立てているのだろう。

「あら、そう」

ききょうは小さな咳をして小枝に挟んだ文を手に取ると

「おひぃさまに宛てた文でございます」

と恭しく差し出した。

「読んでみて」

「宜しいのでございますか」

ききょうはちらりと私の顔を確かめてからするすると紙を解くと読み上げた。

「はふはふもきみがあたりにしたがわむ

          ながきこころのかぎりなきみは

御歌でございますね」

そう呟くとききょうは

「はふはふとは這いながら邸に忍び込んだ事でしょうかしら。長き心の限りなき身は・・・と。変な御歌でございますがおそらくこれは懸想文けそうぶみでございますよ」

と文を穴が開かんばかりに睨んでいる。

「懸想文って?」

「好きな女に届けるふみの事でおじゃります」

「ほんとうに?」

頬に血が昇って来るのがわかった。お姫様の体は存外、感情を面に出しやすいみたい。それともこれって私自身の反応なのかしら?ヒロ君に似た人だったから?

「かような文が北の方さまに見つかったら大変でございます」

ききょうは腹立たしげに文箱を開けて底に仕舞った。

「でも、おひぃ様への最初の懸想文でございますからね。しまっておきましょう。さて何を下されたのでございましょう」

私は十寸四方の綺麗な桐のはこに目を遣った。

「あけてごらん」

「良いのでございますか」

頷くと、ききょうは紐を手際よく解いて蓋を開けた。その途端、短い叫び声と共に彼女の手の中の箱がカタカタと音を立てた。

「どうしたの?」

ききょうは無言で首を振りながら匣を持った手を精一杯伸ばしている。

「寄越してごらん」

ききょうから受け取って中を覗いた私も思わず箱を取り落しそうになった。中では体を折りくねらせた三匹の蛇が黄色い眼でこちらを見て、赤い舌をちろちろとさせている。

「いやぁ、なにこれ?これが贈り物?」

慌てて蓋を閉めききょうに箱を返す。ききょうは蓋を抑え

「何を考えておられるのでしょう、右馬の介様は。長虫など贈って来るとは」

悲鳴交じりの声をあげながらも気丈に箱にひもを固く結ぶと私たちの間においた。

「とにかく、どっかに捨ててきて」

昆虫を苦にしない私も爬虫類と両生類はダメなのだ。触った時のあのぬめっとした冷たい皮膚がどうしても好きになれない。いくらヒロ君の・・・いやヒロ君似の人から頂いたものだからと言って・・・無理なものは無理。

「わたくしがでございますか」

あわあわとした声でききょうが私に箱を押し返してくる。

「おひぃさまはむしがおすきではございませぬか」

「これ、虫じゃないじゃない。私は爬虫類はダメなの」

「なんですか、そのはちゅう・・・とかいうものは。お断り申し上げます。姫様への贈り物でございますし、御育てになられたら宜しいじゃないですか。あ、それはやっぱしだめでございます」

 舞い上がってしまって何を言っているのか混乱した様子のききょうに向かって私は断固とした口調で断った。

「こんなもの育てる訳ないでしょう。蝶にもならないし」

「長虫はお上手に育てれば・・・たぶん龍になるのでございましょうよ」

支離滅裂な言い争いの声を聞いて、また何かもめ事を起こしたのかと心配そうな顔をした「父上」がやって来た。しょっちゅう騒ぎを起こす娘を心配して何かあったらすぐに伝えよ、と命じていたらしい。

「どうしたのだ」

 「父上」は厳かな声で私たちに尋ねた。

「右馬の介様がおひぃさまに長虫を贈ってきたのでございます」

ききょうが蛇の入っている箱を私におしつけながらそう答えた。

「なに、長虫を?」

「父上」は首を傾げた。

「さようにございます。本当にいやらしい」

思い出すのも嫌だと言うようにききょうが顔を顰める。

「どれ、寄越して見なさい」

二人が押し付け合っている箱を取り上げると「父上」は紐を解いて慎重に蓋を開けた。

「なるほど、長むしであるな・・・うん?」

首を傾げて「父上」は中をじっと見つめた。それからからからと笑いだし、

「そなたたちらしゅうもない。これはこしらえ物ではないか。生きてはおらん」

そういって、箱の中に手を入れた。

「あぶのうございます」

ききょうの叫び声を気に留める様子もなく、中から一匹の蛇を取り上げると

「うむ、これは何で作ってあるのか・・・良くできた代物じゃ。体は柔らかいが蛇のように冷たくはないな」

「父上」は感心したように呟くと箱を床の上に置いて蛇を熱心に調べ始めたのだった。

「ふうむ。唐渡りにもこのような物があるとは聞いておらぬ。右馬の介殿はどこで手に入れたものか」

調べ終えると「父上」は蛇を元通りに納め箱の蓋を閉めた。それを見てききょうはやっと安心してそろそろと体を近づけてきた。

「かようなものをを贈り物とするなど聞いた事がございませぬ」

ききょうの苦情に「父上」は苦笑を浮かべ、

「右馬の介殿と何かあったのか?」

と尋ねてきた「父上」に私たちは一瞬顔を見合わせてから揃ってプルプルと首を横に振った。

「そなたは長虫は嫌いなのか」

父上はからかうような口調で私に尋ねた。

「嫌いでございます。第一それは虫ではございませぬ」

私の言葉に「父上」は「はて?」と訝しげに私を見つめた。

「では何じゃ。四足の獣、空を飛ぶ鳥、それ以外は、皆むしであろうが」

「え?」

余りに大雑把な分類に私が戸惑っていると、

「かわずもはまぐりも皆、むしではないか。それとも姫はあれらは虫ではないと申すか」

そう言えば、蛙も蛤も漢字で書くと虫偏だし、爬虫類って言葉にも虫の字が入っている。蛇だって・・・。

「むし・・・」

思わず呟いた私に

「そうじゃ。右馬の介殿はお前が虫を愛でていると聞いてこのような珍らかなものをわざわざ手に入れたのであろう」

「はあ」

私は「父上」が手にしている箱を開け蛇のおもちゃを取り出した。ききょうがまた飛びのくように後ずさる。なるほど、手で触ってみると確かに良くできている。パーティで女の子を脅すための蛇よりは数段精巧だ。尻尾の所に小さくmade in Chinaとある。「父上」、これはやっぱり唐渡りです。というか、時代を超越してここにやってきたものです。

「ゴムかしら?いやシリコン」

そう呟いた私に「父上」は怪訝そうな目を向けた。

「ごむ?しりこん?何を申しておるのだ?」

「あ、いえ」

慌てて誤魔化しながらもこの蛇を右馬の介様はいったいどうやって手に入れたのだろう、と私は猛烈な勢いで考えて始めていた。まさか、右馬の介さまもヒロくんが時代を超えてこっちにやってきた?

「いかがしたのじゃ?」

「なんでもございませぬ」

 私の嘘に掌中しょうちゅうの蛇は生々しい赤い舌をちろちろと揺らした。

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