第18話 右馬の介の談 3 天慶3年 長月

 ほうほうのていで姫様の邸を後に、築地を伝いながら邸に戻る途中、空を仰ぎますると月が冴え冴えと萬物を隈なく照らし出しておりました。かような惨めな姿をさらしておる時に、と望月の夜を選んだ事さえ恨めしゅうございました。

 遠くできぬたを打つ音が聞こえまてきましたので、はや暁の頃合いでしょう。女の家から首尾上々と帰る男どもに出くわさぬようにと、痛む足腰を押えつつ這うように邸に辿り着き、床に横たわると私はその日から二日は死んだように寝ついたのでございます。

 二夜ほどじっとしておりますと、漸く痛みが引きましたので、権の介を枕元に呼び寄せたのでございました。権の介は、私が惨めな姿で帰って来たことを聞き及んでおりましたのでしょう、引きったような笑みを浮かべ神妙な様子で、

「いかがでございましたか」

と尋ねて参りました。

「いかがもなにもあるか。見ての通りだ」

一つ頭でも小突いてやろうと身を起こしますが治りかけの腰に激痛が走り、

「うぐ」

と声にもならぬ呻きを上げると私は再び寝床に倒れ込こみ、仕方なしに枕を引き寄せつつ

「何が左の手を下げれば左向き・・・じゃ。そのようないとまはこれっぽちもなかったぞ」

と恨み言を申しました。権の介はひくりと頬を震わせ

「飛びたった所が低すぎたのでございましょう。もう少し高くから飛び立ちましたら・・・」

などと阿呆な事を言いましたので、

「ばか、あれより高い所から飛んでおったら死んでおったわ」

叱りつけますが、権の介は腑に落ちない様子で、

「しかしこれはもともと私が言い出したことではございませぬ」

と口答えをしたのでございます。

「何を言うか。飛ぶと決めた以上、それを何とかするのが御前の仕事であろう。死ぬところであったわ」

そう申しますと、

「飛び方をお間違えになられたのでしょう」

とあくまで非を認めませぬ。

 なぜ助けに参らなかったのか、と問えば決して来るなと申したのを覚えていて逆ねじを食らわせてくるのは目に見えております。

 口達者な男は小面こづら憎いものでございます。しかし思い返してみれば自分自身、なぜあのような無茶な振舞に及んだのか、考えるほど分からず思わず頭を抱えておりますと、女房が一人参り、その口上にふむふむと頷いた権の介が

「右馬の介様。例の陰陽師の方がいらしておられるとのことにござります」

と申したのでございました。

「なに、あやつがか。帰ってもらえ。会いとうない。怪我をしておる、と言えば良かろう。その通りだからな。このようになったのもみんなあやつのせいじゃ」

「それが・・・」

情けなさそうな顔をした権の介の後ろから

「さように私を嫌うものではない」

良く通る声を上げて入ってきたのは晴明でございました。

「なんだ。断りもなく入って来るとは無礼ではないか」

痛みが走らぬかとびくびくしながら精一杯の大声で叱りつけますが晴明は相も変わらず恬淡てんたん

「見舞いに参ったのだよ。どれ、体を見せてみよ」

と枕元に座り込みます。

「お主になど助けられたくないわ」

寝返りを打ち顔を隠したわたしに

依怙地いこじになるな。放っておくと立てなくなるぞ。それでは姫どころではなくなる」

あやつのそうした予言は必ず当たるのです。

「そうか・・・では致し方あるまい」

仕方なしに横になったまま体を診せます。

「だいぶ打ったな。れておる」

背中越しの声と共に柔らかな動きの指が腰の辺りを摩って参ります。

「うむ・・・気持ちが良い」

ついつい撫でられた猫のような声が洩れ出てしまいました。按摩になりすました私が按摩で助けられるとは・・・。

「思ったよりお主は頑丈のようだ。骨も折れてはおらぬわ」

そう言って軽くぽんと背中を叩いたあやつに向き直ると晴明はにこにこと笑って私を観ております。

「といっても、暫くは動いてはならぬ。あと二三日もすれば元のように動けるようになろう」

「三日も動けぬのか」

情けない声で尋ねますと

「この程度で済んで良かったの。何とか間に合う」

「間に合うとは・・・何にだ?」

すると晴明はふふふと笑みを浮かべ

「肝心な時にだよ」

と相も変わらず訳の分からぬ事を呟くのでございました。

「なに?」

「お主に言うても分かるまい。まあ、大事にしろ。大切な体だからな」

そう言うと晴明は権の介に顔を向け、

「これが痛みを取る薬、朝晩に服用させるがいい。こちらが体から熱を取り去る塗薬じゃ。一刻ごとに先ほど私がしたように腰を摩ってから縫って差し上げよ」

そう教えると

「では、養生せよ」

言い残してあっさりと去って行ったのでございました。






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