第8話  ききょうの回想 3 天慶3年 葉月


「北の方のお耳にどのように話が入るや知れませぬ。今のうちにお謝りなさいませ」

わたくしは何事もなかったかのように平然と籠の中を覗いている姫様を強くお諫め致したのでございますが、姫様は振り向きもせずに仰ったのでした。

「勝手にやって来て人の物を手に取り大騒ぎをしたのはあちらの方々。なぜ私が謝らねばならぬのです」

はさりながらこの世にはさまざまな物の見方がございます。

「あちらでは姫様が虫を飼っておられる事が事の発端とお考えでございましょう。飼われるにしてもきちんとお許しを頂かねば」

何度もそうお諫めし、ようよう姫様はいやいやながら北の方へと渡るのをうべなわれたのでございましたが、渡殿わたどのを渡っている途中で太夫の君御一党が語り合う声が聞こえて参ったのです。興奮が醒めやらぬのか甲高いお声でございました。

「ずいぶんな理屈を並べ立てておられましたが、姫様は病にかかられてからおかしくおなりです」

これは太夫の君のお声でございます。

「毛虫をいらぶとは何と趣味の悪い」

これは小大輔でございましょう。

 「蝶ならともかく毛虫が好きな姫にお仕えする人なんておりませぬ。わたくしはごくごく普通の姫にお仕えしとうございます」

兵衛は涙声でございます。よほど虫がこわかったのでございましょう。これには少し私も同情いたしました。なんといってもあのお方が見たものはとりわけ大きな虫でございましたから。

「毛虫くさい姫を殿方がお好きになりましょうか。北の方もお里と語らわれ御縁談を進めなさっておられますが、かわむしの姫を相手になさる方などおられますまい」

太夫の君の言葉に小大輔が笑い声を上げました。

「手厳しい事ですこと」

「お剃りにならぬ眉はまるで毛虫のようですよ。お顔の中にまで毛虫を飼われるとは、ご趣味の悪い」

 憎々し気に太夫の君が申されるのでこれには腹が立ちます。

「あのきらきらしい御口元は何とかなりませぬものか。まぶしゅうてまぶしゅうて」

「殿も何とも頼りなのうございます。北の方はたいそう気を揉まれておられるに、一向にお聞き入れようとなさりませぬ」

 小大輔の分際で大殿に対してまでなんという無礼な申しようでございましょう。姫を振り返り

「もはや北の方もご存じのようでございます。遅うございました。それにしても何と失敬な。あのような事を申される方々はきっとかわむし地獄にでも墜ちましょう」

そう耳打ちしますと、姫様はおおどかに

「そうですか。さすがに私でもかわむし地獄に墜ちるのは勘弁してもらいたいわね、でもまあそういうことなら、行く必要もないわね。帰りましょう」

と仰るなりくるりと後ろを向いてさっさと戻って行かれたのでございました。必要もないという言葉の意味は分かりかねましたが、用なきという意味でございましょう。私は慌ててそのあとを追いかけ、必死に説いたのでございますが姫のお気持ちは二度とお変わりになりませんでした。


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