第6話 ききょうの回想 2 天慶3年 葉月

 姫様が初めて口になされた言葉は・・・。

 この言い方は変で御座りますね。お悩みになられる以前はごく普通にお話をなさっていたので御座りますから。ええ、どちらかというと物静かな御方でおられましたから、口数は少のう御座りましたが。

 それはともかく、お悩みになられて本復された時、初めて口になされたのはなんとわたくしの名前で御座りました。ききょう、と。

 かすれては御座りましたが、確かに姫様ご自身のお声で御座りました。まことに嬉しゅう御座りました。なぜと申せば、もちろん、お口を利きになられたことも嬉しゅう御座りましたが、よりにもよって私の名前をお呼びになられたので御座りますから。赤子が初めて、かかさま、と口を利いた時、それまでの苦労が水の泡の如く消えてなくなるような思いがすると世間では申すそうで御座りますがそれに似たような気持ちになったので御座ります。

 そうで御座りますね。それからと言うもの、声はともかくお口の利き方もおしゃべりになる言葉も以前とはだいぶ違っておられましたし、聞いた事のない言葉を口にされることもたびたびgigaました。何と申しますか、遠く唐の言葉の様にも聞こえました。ええ、ご本人はお気づきになられておりませんでしたが、スマホとか、ママとかパパとか。

 スマホとは須磨の帆の事で御座りましょうか?姫様は須磨には参られたことが御座りませぬが、名高い所でありますれば、何かでお聞き及びになられたので御座りましょう。

 朝ぼらけ 須磨の沖行く舟の帆に ・・・などと歌でも御詠みになられていたのかもしれませぬ。

 ママは子供のいう「まんま」のようにも思えます。姫様は昔は食がどちらかというと細いお方でしたが、あの事があってからと言うものの、以前よりずっと食が進まれるようでして、ついお召し物の事をお考えになってそのような言葉を発せられたのかもしれませぬ。とりわけ、かくなわなどは昔は見向きもされませんでしたのに、この頃は良くお召しになられるようでございます。パパとは・・・想像もつきません。でもさような事は・・・口をお利きになれない事に比べれば些細な事でが御座りませぬか?


さて、話を戻しますると、姫が口を利かれたとお伝えしましたところ殿は久しぶりに晴れやかなお顔になられました。まことに親の愛情と言うものは貴いもので御座ります。

 ですが元の事は覚えておられませぬ事を申しあげますと少しご尊顔を曇らせ

「ふむ、さようか」

  暫く考えておられましたが、やがて微笑まれると

「とにもかくにも口が利けるようになったのは幸いじゃ。北の方にもさよう伝えよ」

そう仰せになられたので御座ります。

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