第4話 ききょうの回想 天慶3年 文月
姫様がお熱を出されて床につかれたのは五日前でござりました。その頃、京では
大路を南に
姫様が罹ったのもまさにその「まさかど」の祟りのようででござりました。高いお熱にたいそう苦しまれ、四日目には助からぬものと思いきわめたのでござりましたが、二条東洞中納言様のご子息、
その夜、看病の疲れでついうとうととしておりましたわたくしは、ふと姫様の溜息を聞いたような気がして目を覚ますと
「おひぃさま、おこたりましたので
そう申し上げながら近づいたわたくしを灯り越しに見たおひぃさまは、突如、
正気に戻りました時、わたくしは
「姫さまは・・・」
尋ねますと太夫の君は
「お休みで御座りますよ。悪い夢でもご覧になったので御座りましょう。一昨日は
と仰ってから、少しばかりきつい眼で私を
「燭の火が落ちてもうすこしで火事になる所でありましたよ。も少し気をやりなされ」
叱りつけたのでございました。恐縮して、はい、と頷いた私を太夫の君はもう一度睨むと
普段お目覚めになる刻の半刻ほど前から姫様の枕元に侍りますが、白々と夜が明け鳥の声も騒がしい程になられても姫様はいっこうに目をお覚ましになられませぬ。額にそっと触れてみますと熱はすっかり引いております。
半刻ほどはそのままお待ち申し上げましたが、いつまでたっても目をお覚ましにならないのでそっと肩に手を掛けて揺すってみたのでござります。
目をお開けになった姫様は、わたくしを見てお顔を
姫様は朝の行事をすっかりお忘れになっておられるようでござりましたが、このような時こそ神仏のご
こは、なんと。姫様は自分が誰かを覚えておられないようでござります。震える手でその紙を持って下がりますと、そこにおられた太夫の君にかくかくしかじかと相談申し上げたのでござりました。
「どれ、お書きになられたものを見せてみよ」
仰るまま先ほどの紙を渡しますと太夫の君はまじまじとそれを御覧になられました。
「なるほど、これはひどい手だこと」
「殿に申し上げねば」
「先ずは北の方さまにお話しする方が良かろう」
ひそひそと女二人で相談しておりますうちに、私共は思いもよらず殿の御前に呼び出されたのでござりました。
「姫の様子はいかがじゃ」
殿も昨夜の出来事をお耳にされ姫様の身を案じておられたのでござりましょう。かようにおわします、とわたくしが事細かく申し上げます。殿は首を
「姫は真名を
とお尋ねになられました。
「いえ、わたくしの知る限りでは・・・」
「不思議じゃの。自らの事は覚えておらぬ、だが学んだことのない真名を書くとは」
「
太夫の君が仰いましたが、殿はその言葉にも首を傾げられ
「憑いた先の家で自分は何者かと尋ねる間抜けな狐もおるまい。ともかく後で見舞おう。されどこの事は暫くは固く秘するのじゃ。これからはききょうが一人で世話をせよ」
さよう仰せになられたのでござります。
今一つ気になりますのは御召かえの時に姫の
「いかがじゃ。何かわかったか」
とお尋ねになられました。
「いえ、何も覚えておられぬようで御座ります」
私が
「どこで真名を覚えたか尋ねたか」
「それはおいおい。今はお口も利かれませぬので」
「そうか・・・」
殿は不思議そうな顔で自分をお見つめになられている姫様をじっとご覧になり
「不思議な事よ。確かに姫の姿をしておるがふとまるで別の者のようにも見える。さて、北の方にはどう申せばよいか」
そう
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