第40話 羽化⑤

 弾き飛ばされて落下したニーアスが周りの蜥蜴形をなんとか振り切り龍形の堕神へと辿り着いたときには――もう間に合わなかった。


 巨大な顎はシャルロが倒れ伏した地面ごと抉り取って呑み下し、振り上げられた長い首の中をなにかが滑り落ちていくのが膨らんだ皮膚から見て取れる。



「あ……あ あ あ あぁぁぁ――――――ッ!」



 ロルカの絶叫が響き渡り、ニーアスはぎゅっと唇を噛んだ。


 どうしてこんな思いをロルカがしなければならないのか――その思いが胸を焼く。


「くそッ……この――!」


 ニーアスは龍形の堕神おちがみの右後ろから踏み切ると、その翼に向かって剣を振り下ろす。


『グルアァァッ!』


 どうやら翼はそれほど頑丈ではないらしい。


 皮膜を斬り裂かれた龍形の堕神は首を回してニーアスを威嚇し、次いで体の向きを変えながら太く長い尾を振り抜いた。


 蜥蜴とかげ形の虚無ヴァニタスたちが何体も巻き込まれるが、龍形の堕神は一切気に留めることがない。


 着地したニーアスは舌打ちして迫り来る尾から距離を取り――立ち尽くすロルカを見た。


「ロルカ! しっかりしろッ!」


 その声に――ロルカの肩がぴくりと跳ねる。


 どうやら彼の手足は治癒しているようだ。


 動くことは可能――ロルカの意識さえはっきりとしているならば、だが。


 ニーアスは瞬時にそれを見て取ると、なんとかロルカを逃がそうと剣を構え直し――はっと息を呑んだ。



 ゆるり、と。



 顔を上げたロルカの大きな翠色の双眸が――静かな怒りに燃えていたからだ。


 絶望していると思っていた。


 動くことすらままならないと思っていた。


 もしかしたら堕ちてしまうのでは……とさえ考えた。


 けれど信じられないことに……その空気に当てられて戦神せんしん神繭カムンマユラであるニーアスの背筋がぶわっと粟立つ。


 それは……畏れにも似た感情だった。


 ごくりと喉を鳴らしたそのとき……ロルカが口を開く。


「――――ニーアス、少しだけ堕神おちがみ虚無ヴァニタスの相手をしておいて」


「は? ……お、おう……」


 まるで簡単なことを頼むかのような淡々とした声音にニーアスは思わず頷きを返した。


 ロルカは硬い表情をしたままくるりと向きを変えると、繭狩りたちがいる方向へとすたすたと歩き出す。


「……あいつ……、っと⁉」


 呆然と見送っていたニーアスの背後から蜥蜴形の虚無が飛び掛かったのはそのときで、彼は咄嗟に剣を突き込んでそいつを屠ると左手で蜂蜜色の髪をがしがしと掻いた。


「あー、くそッ……! おいロルカッ! 後払い追加だからな! ……堕ちるなよ、絶対に!」



******



 安全な距離を保っていた繭狩りたちがロルカの姿を確認して剣を構える。


 その先頭では眼帯の男が腕を組み、醜悪な笑みを浮かべていた。


「繭狩りのシャルロを餌に使った神繭カムンマユラ――くく、民衆の反応が楽しみだ」


 ロルカはその言葉を無視して歩みを進める。


 眼帯の男を許すことは……ロルカにはもう、できない。


 ロルカの家族や村の人々の命を奪った挙句シャルロを駒のように扱い――あんなふうに追い込んだ男を。



 ――ニーアスの言うとおりだった。糾弾なんて簡単な話じゃなかったんだ……。



 ロルカは翠色の瞳に強い意志を宿し、一歩、また一歩と進む。


 眼帯の男はくくっと喉を鳴らして笑うと右手をロルカに向けて振った。


「狩れ!」

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