第36話 羽化①

 まずは一体。突いた剣を引き戻して次の一体。


 体を返して上から斬り伏せ一体、下から右へと振り抜いて一体。



 ――やれる、大丈夫、まだ戦える……!



 ロルカは腹の底に力を入れて大きく足を踏み込んだ。


 しかし。


 背後から別の一体が顎をいっはいに開き飛び掛かる。


「!」


「はッ!」


 そのときロルカの体と擦れ違うようにして――薄紫色の髪がなびいた。


 彼の背後から飛び掛かろうとしていた虚無ヴァニタスを屠り、彼女は腰を落としたままぴたりと双剣の切っ先を止めてみせる。


「脇が甘いよ、ロルカ」


「……うん、ありがとうシャルロ」


「いまは――協力するって言ったから」


 シャルロは応えるとすぐさま地面を蹴った。


 伸び上がるように右手で繰り出される下からの一閃。


 それを追うように左から右へと閃く左手の追撃。


 踊るような鮮やかな攻撃は――なるほど、彼女の狩りの腕が優秀だというのも頷ける。


 ロルカは舌を巻く思いでその背に背を預け、自身も虚無へと一撃を打ち込んだ。


「――へぇ、さすが繭狩りのシャルロ。やるじゃねぇか」


 そこで近くにいたニーアスが飄々と口にして目の前の虚無を二体斬り飛ばす。


「……あなたと話す気はありません」


 シャルロは唇を尖らせるとニーアスと同じように二体を斬り伏せ、競うように三体目を狙う。


「はっ、俺と張り合うつもりか? いいぜ、乗った!」


「いまはそんな場合じゃありません」


「なんだよ、負けるのが恐いのか?」


「……ッ、負けません!」


 どういうわけかニーアスはシャルロを挑発し、シャルロも対抗心を燃やしているようだ。


 洗練されたふたりの攻撃で虚無が次々と溶け消えていく。


 離れた場所では繭狩りたちも確実に虚無を減らしていた。


 ――これならこの群れも……きっと……!


 ロルカはそう思い、自分も動かなければと剣をぎゅっと握り直す。



 ……ところが。



 どくん、と。


 ロルカの心臓が大きく跳ね、足下が急激に揺らぐ。


「あ……うぅッ」


 吐き気を伴うほどの奇妙な揺らぎ。


 自分が溶けていくような――世界との境界が曖昧になる感覚。


 蹈鞴を踏むロルカのそばにひらりと戻ってきたニーアスは顔を顰める。


「どうしたロルカ⁉ まさか……いるのか・・・・?」


「……いるッ、ニーアスッ、シャルロッ、上だッ!」


 ロルカが声を張り上げた瞬間……彼らに影が落ちた。


「…………ッ」


 咄嗟に見上げたニーアスの表情が凍り付く。


 シャルロはこぼれんばかりに双眸を見開き、それを凝視していた。


 ……すると。蜥蜴とかげ形の虚無ヴァニタスたちが突然その首をもたげ、一斉に咆哮を放った。


『ルゥロロロ――ッ』


 笛――のような声。


 歌うように、歓迎するように、懇願するように。


 見上げる先の『影』へと捧げる咆哮だ。


 ロルカの全身を戦慄が駆け抜け、はるか上空から急降下してくるそれへの恐れに手足が竦む。


「――おさッ! あ、あれを――!」


 叫んだのは繭狩りの誰かだったか。


 ヒュオオオ……と空気を裂く音が聞こえた瞬間に『影』は地面に到達し、その場にいた繭狩りの何人かと蜥蜴形の虚無を巻き込んだ。


 ズドォォォッ!


 土煙が立ち上り――虚無たちの歌がいよいよもって高まる。


 その『影』は両翼をググッと持ち上げると皮膜が張り詰めるほどに思い切り広げ、その咆哮を平原に響き渡らせた。


『クカカ……グルアアアアァァァァッ』


 ビリビリと鼓膜が震える。


 蜥蜴形の虚無を巨大にして翼を生やしたようなその姿は丘ひとつあるのではと思うほどだ。


 頭には後方へと向けて二本の黒い角が生え、肌は黒々と光る鱗に覆われてゴツゴツしている。


 大木のような太い四本の脚の先には鋭い爪があり……揺らめく尾はすべてを薙ぎ払えそうなほど太く長い。


 その姿はまるで語り継がれる古の物語に記された生き物――。


「――龍形の堕神おちがみ……待っていたんだ……こいつが到着するのを……」


 ロルカは揺らぎのなかで必死に足を踏ん張り、呻くように口にした。


 着地に巻き込まれた繭狩りたちはおそらく……生きてはいまい。


 ――蜥蜴形の進行が遅かったのもそのせいだ。嫌な予感はこれだったんだ……!


 そう思ったところでロルカの肩をニーアスがぽんと叩く。


 はっとして我に返ったロルカに彼は飄々と言ってのけた。


「――任せろロルカ。これはずっと逃げてきた俺の役目だ――だからもう逃げない。とはいえ追加料金は頂戴するぜ?」


「ニーアス……」


 呟くロルカのすぐ近く、眼帯の男と数人の繭狩りがローブを翻して退却してきたのはそのときだった。


「な、なんだ……あいつは……堕神おちがみだと? あんなものがいるとは聞いていない!」


 眼帯の男が忌々しそうに吐き捨てると、ニーアスは両手剣をぶんと振り抜いて一歩前に出る。


「はっ、威勢のよさはどこにいった? とくと見ておけ繭狩りども。――俺は、戦神せんしん神繭カムンマユラニーアス! お前らなんかに興味はねぇが邪魔すんならぶった斬るッ! 俺は――堕神と虚無と戦うべくここにいるッ!」

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