第35話 虚無⑨

 しかし虚無ヴァニタスの数は圧倒的で……ふたりはじりじりと後退を余儀なくされていく。


 まずロルカが炸裂玉を使い、怯んだ虚無から距離を取って肩で息をした。


 戦い続けるうちに腕はどんどん重くなるが、一撃の重さは反比例するように軽くなる。


 一撃で突き通せないのならば二撃、三撃と攻撃を続けることになるが……そのあいだの隙は大きくなる一方だった。


「はあ、はッ……切りがない――」


「下がれロルカ! でかい一発いくぞ!」


 ニーアスはロルカの状態を察してポーチから炸裂玉を取り出した。


 別の小瓶のようなものを一緒に準備した彼はそれを足下に放ると一気に後退する。


 その直後。



 ズドオォンッ



 弾ける炎が地面を粉砕して上空に土塊を噴き上げた。


 巻き込まれた虚無たちが吹き飛ばされ――地面に叩きつけられて溶け消えていく。


 離れていたロルカは汗を拭い、懸命に呼吸を整えるともう一度剣を構えた。


 ――まだまだッ……やれる、絶対!


「ロルカ! いけるか?」


「いけるっ……!」


「はっ、いい返答だ。数はあと数百ってとこだな。三分の二は減らしたと思うが多過ぎんなこりゃ。こうなったら俺が羽化してある程度は一気に仕留め――」


 ニーアスはそこまで言いかけて――はっと息を呑む。


「ニーアス……?」


 聞き返したロルカは思わず眼を瞠った。


 虚無の群れに突っ込んでいく無数の影が視界に入ったからだ。



「狩れッ!」



 左眼を黒い眼帯で覆った先頭の男が指示を飛ばし、濃紺のローブを翻す。


 男の剣が閃いたと同時にその背に見えた『紋章』に――ロルカの喉が、ひゅ、と音を立てる。


「――金糸の――三つ叉の槍――」


 こぼした声をニーアスが聞いたかどうかはわからない。


「来たな繭狩り――」


 低い声で呟いて、彼はぺろりと唇を湿らせると紅色の瞳を煌々と光らせた。


 ロルカはぎゅっと剣の柄を握り絞め、次々と虚無を屠る彼らを見据える。


 数は三十人弱だろうか。


 しかもそれだけではなく、紫水晶のような色彩を持つ少女を見つけ……ロルカは唇を噛んだ。


「――シャルロ……」


 その声に気付いたかのように。


 髪と同じ色をした瞳がロルカを捉え……見開かれる。


「そこの者。狩りを手伝え」


 瞬間、高圧的な言葉がロルカの耳朶を打った。


 金糸の紋章を持つ眼帯の男――繭狩りのおさの発したものだ。


「手伝え――じゃねぇよ繭狩り。半分以上を片付けてやったんだ、礼のひとつでも言ったらどうだ?」


 ニーアスが唇の端を持ち上げ嘲笑いながら吐き捨てる。


 眼帯の男は飛び掛かってきた虚無を斬り捨て、ふんと鼻を鳴らした。


「勝手にやって礼をしろとはおこがましい。邪魔をすれば間違って斬り捨ててしまうかもしれんな。せいぜい気を付けろ」


 それを聞いたロルカはぴくりと眉を跳ねさせ、唇を震わせる。


 わかったのだ。


 ロルカの『野生の勘』があの男こそ村を襲った張本人――自分の戦う相手なのだと告げていた。


「――それが……繭狩りのやり方? 誰彼構わず狩るのが――」


「……ほう。文句でもあるのか? ――いや、待て。お前は……」


「長、いまは虚無の殲滅を優先しましょう。そのような者に構っている暇はありません」


 眼帯の男が晒されている右目を眇めたとき、シャルロがその前に立って冷ややかな声音で告げる。


「長ッ! 数が多い! 指示を!」


 ほぼ同時に眼帯の男の向こう側で虚無と戦う繭狩りが声を張り上げた。


「…………いったん陣形を整えろ! 片付けるぞ!」


 どうやらいまは虚無が先と判断したらしい。


 眼帯の男はロルカをじっと睨め付けてからくるりと踵を返し、腕を振り抜いて自ら戦いへと赴いていく。


 シャルロは小さく息をつくと肩越しにちらとロルカを見遣り……眉をきゅっと寄せて囁いた。


「――どうして、ここに。本気で繭狩りを糾弾するつもりなの」


「うん。でもそれは虚無をなんとかしてからだ。あの眼帯の男と戦うのはそのあと」


「…………そんなことはさせない。そのときは私も――あなたを狩る」


「シャルロ、君は――本当にそれが正しいと思っているのか?」


 瞬間、シャルロの薄紫色をした瞳が大きく見開かれた。


「俺はね、シャルロ。君とは戦わない。ニーアスもそうしてくれる。俺は――君にこんなことを強いるあの眼帯の男に用がある。俺の村を――村の『人間』の命をずたずたに引き裂いたあの男が――俺の糾弾すべき相手、戦うべき相手だ」


「……ロルカ……」


 シャルロはぐっと唇を引き結んで白銀の双剣をくるりと返すと背を向けた。


「――先に、虚無を倒す。それには同意する。けど……その先は約束できない」


「……わかった。でも俺は君と戦わない。俺の『野生の勘』がそう言っているから」


「…………」


 シャルロは無言で踏み出し、繭狩りたちのもとへと戻っていく。


 黙って聞いていたニーアスは蜂蜜色の髪をがしがしと掻いたあとでため息をついた。


「ったく。ありゃ眼帯男にお前が神繭カムンマユラだってばれたな。ま、どうせ戦うんだ。結局一緒か」


「ニーアス――」


「……わかってるよ。手を出すな、危険になれば逃げろってのは聞いたぜ?」


「うん。お願いする。あと……自分がなんの神の繭かすらわからないのに言うのもおかしいんだけどさ。俺がもし堕ちたそのときは――」


「ばぁか。堕ちたあとの話なんか聞かねぇって言ったはずだぜ。とはいえ、お前、ずいぶんとまぁ威勢よくなったよな――」


 そう言って苦笑するニーアスにロルカは小さな笑みを返し、虚無たちに向き直る。


「いつもは飄々としているくせに狡猾で抜け目ない神繭のお陰かも。繭狩りたちが虚無を引き付けてくれたから少しだけ休憩も取れたし」


「はっ、よく言うぜ」


 ふたりは再び剣を構え、虚無の群れへと駆け出した。


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