第33話 虚無⑦

******


「なんだよ、あれは……」


 ごくりと喉を鳴らしたニーアスが呟く。


 ロルカはその隣で言葉もなく立ち尽くしていた。


 伝令だという繭狩りを助けた二日後のよく晴れた朝。王都まではあと一日といったところか。


 丘の上から見下ろした平原――埋め尽くさんばかりの蜥蜴とかげ形の虚無ヴァニタスはまるで森のようでもあり、時折上下に動く頭部は波打つ川のようでもあった。


「全部……虚無なのか?」


 やっとの思いで口にしたロルカにニーアスは鼻を鳴らして頷く。


「目眩ましは役に立ちそうにねぇな……炸裂玉もあの数じゃ付け焼き刃か。――まあでも幸い王都までは多少距離がある。付き合えロルカ、罠を張る」


「わかった」


 頷いたロルカは踏み出そうとして――胸のなかがざわめくような感覚に眉をひそめる。


 奇妙な揺らぎとはまた違う漠然とした不安感。


 ロルカの『野生の勘』がなにかを告げていた。


「……あのさニーアス。なんだか変だ。嫌な予感がする。俺の『野生の勘』……なんだけど。もしかしたらこれも堕神おちがみがやっているのか?」


「俺もその可能性は考えてる。そうそうお目にかかれる奴じゃねぇんだけどな――とにかく念入りにいこう。こっちだ、少し先に面白い場所がある」


 ニーアスは一も二もなく応えるとすぐに歩き出す。


 慌てて追い掛けたロルカは彼の隣に並んで問い掛けた。


「面白い場所?」


「橋みたいになっている地形があるんだよ。そこに炸裂玉を仕掛けて――ボンってな」


「落とすってことか……えぇと炸裂玉って?」


「爆発する玉だ。一発はそんなに強くないけどな。のろま亀にも一発使ったぜ?」


「――ああ、君が刺される直前のやつ」


「お前……その言い方はどうなんだよ……」


 ニーアスは呆れた声でそう言うと虚無ヴァニタスの群れに目を向けた。


「……まぁいいや。進行速度は速くない……むしろ遅いくらいだな。お前の言うとおりなにか変だ。警戒は怠るなよ」


「うん」


 しっかりと頭を上下させたロルカにニーアスはにやりと笑った。



******



 ふたりは急ぎ足で進み――やがて巨大な橋のような場所に辿り着いた。


 天辺が平らな丘ひとつに穴を突き通したような地形。穴の幅は馬車が数台は擦れ違えるほど広く、はるか向こうに出口らしき光が見えている。


 かつて神繭カムンマユラ堕神おちがみが戦った痕だと言われているとニーアスから聞いたロルカは思わずごくりと息を呑んだ。


「こんなに大きな穴が開けられるのか……橋っていうか洞窟だよ」


「それこそ『神業かみわざ』なんて言われている技さ。俺の一族でも剣のひと振りで地面を割る奴がゴロゴロしていたしな」


「……『神業』……そんなものがあるんだ」


 感心したように呟くロルカに向けて「まぁ俺はそれを覚えきれないうちに逃げちまったけどな」と自嘲して――ニーアスは革袋と短剣を投げて寄越す。


「この上で等間隔に穴を掘って炸裂玉を仕掛ける。急ぐぞ、時間はそんなにないぜ」


「それでこの橋を落とせる? 炸裂玉ってそんなに強くないんだよな?」


 革袋の中にある手のひらに収まるくらいの濁った緑色をした玉を確認してロルカが言うと、ニーアスはひらひらと右手を振った。


「まぁ見てろって。穴は人さし指程度の深さでいい、短剣を使え。間隔はお前ひとり分ってところだ。穴を掘ったら炸裂玉をひとつ入れてくれりゃあとは俺がやる」


「わかった」


 ロルカは頷くとすぐに作業に取り掛かる。


 日はもうすぐ頂点に達するところで、おそらく夕方には虚無が到着するはずだ。


 ニーアスから預かった短剣を地面に突き立て、ザク、と乾いた音がして土に穴が穿たれたところに炸裂玉を落とす――。


 それを繰り返していくだけなのだが、地面が思いのほか硬い。


 やがて太陽は彼らをはるか頭上から見下ろす位置を越え……どうやら傾き始めたようだ。


 ロルカは作業を続けるうちに額に浮かんだ汗を腕で拭い、必死で穴を掘った。


 拭った額が土で汚れても気にしている暇はなく、こぼれた汗が眼に浸みる。


 ロルカはしぱしぱする瞳を瞬きながら唸った。


 ――もしニーアスの話していた『神業』なんてものが使えれば穴なんて一瞬で掘れるんじゃないか? ううん、そもそも俺が羽化できれば――。


 そう思うが、どうすれば羽化できるのか……こんな事態に陥っているにも関わらず、ロルカには皆目見当もつかない。


 ちらとニーアスを窺うと彼は胡坐を掻いてなにやら紐を用意していた。


 掘り終えた穴に炸裂玉を落とし、次の場所へと移動しながらロルカは口にする。


「あのさニーアス」


「……前も言ったが羽化の方法なら俺は役に立てそうにないぜ」


「…………」


「なんでわかったのかって? ばぁか。観察してりゃお前の考えなんて大体わかるさ」


 そんなわかりやすい顔をしていただろうかとロルカが渋い顔をすると、ニーアスは立ち上がって首をコキリと鳴らした。


「そういや繭狩りのシャルロも大概わかりやすかったか。お前ら似てるんだろうな」


「え……シャルロ?」


 じっとしているわけにもいかず、次の穴を掘ろうと地面に短剣を穿ったロルカが思わず聞き返す。


 ニーアスは頷いて背中の両手剣を抜いた。


「ああ。お前も繭狩りのシャルロもお人好しで頑固。面倒臭い性格だ――っと」


 言いながら両手剣を地面に突き立てるニーアスにロルカは苦笑してみせる。


「それはごめん。……ニーアス、君は繭狩りが……その。憎いとか、ないのか?」


「――そうだな、ない。俺の戦うべき相手は堕神おちがみ虚無ヴァニタスであって繭狩りじゃねぇってだけさ。……もしかしたら先達たちもそう思って人間同士の戦への参加を断ったのかもな。その結果が繭狩りの発足ってんだから皮肉なもんだ」


 ロルカはどこかでニーアスがきっぱりとそう答えるとわかっていた。


「戦うべき相手……か」


 だからそれだけを反芻して二度頷き……短剣を振り下ろす。


 それを視界の端に捉えたままニーアスは自分が穿った穴に炸裂玉を落として言った。


「お前も繭狩りのシャルロもきっと憎いとかそういうのは越えちまってんだろうな。自分たちでなんとかしよう、なんとかしなければってのは無謀な行為だ――けど正直に言えばすげぇなと思う。俺は逃げちまってたから」


「……うん」


 ロルカは短く応えてニーアスが言ったことの意味を考えた。


 受け入れがたいことを目の当たりにして憎しみを越えてしまった――そうなのかもしれない。


 自分がなんとかしなければ――それも確かに感じている。


 けれど――それだけではなくて。


 ロルカは気付く。


 そうしなければならない、そうあるべきだ、と思わせるなにかが……ロルカの胸のうちにあることに。


 嫌悪感と一緒に渦を巻いて濁流のようになったその感情がなんなのかはわからないが――そう。ロルカにとって『野生の勘』ともいうべきものだ。


 ――繭狩りと戦うべきなのは――俺なんだ。それは変わらない。だけど――。


 ロルカは汗を拭い、ゆっくりと頷いた。


「――ニーアス、もし繭狩りと戦闘になったらお願いがあるんだけど」


 ニーアスは顔を上げて……わかっているとでも言いたげに苦笑した。

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