第27話 虚無①

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 結局夜通し歩くことになったロルカとニーアスは川沿いを王都に向けて歩いていた。


 この川は蛇行を繰り返して南に大きく弧を描きながら、最終的には東へと流れて王都の隣に横たわる巨大な湖に流れ込むのだ。


 その道中でニーアスはぽつぽつと自分のことを話し始めた。


「繭狩りの粛清にあったのはもう八年前だ。まだ羽化したてでガキだった俺は完全に役立たずで……一族は次々に狩られちまった。あの頃の繭狩りはいまよりずっと強かった――芯があったっつうか」


 ニーアスは命からがら逃げ延びて……そこから戦うことを恐れたのだという。


「誰かのために剣を取ろうだなんてもってのほかさ。力に溺れる切っ掛けは憎しみや絶望だ。俺は――堕ちるのが恐かったんだ。だから商人やってのらりくらりと生きてきた。戦わずに生きる術を学ぶのにゃ丁度よかったからな」


「ああ、そうか。だからニーアスは用意周到なんだな……」


「……用意周到ね……まぁそうなるな。道具使って戦うことを回避できんならそうすべきだろ。俺は死にたいわけじゃねぇし」


 そこまで言って彼は歩みを止めると……どこか遠くを見詰め、やがて深呼吸を挟んでからロルカを見た。



「――――悪かった、ロルカ」



「うん?」


 訳がわからず思い切り眉をしかめたロルカに、ニーアスはなおも続ける。


「お前の村に繭狩りが来ることを告げたのは俺だ。結果お前だけが逃がされた」


「……え?」


「親切のつもりだったさ。でも――お前には酷な思いさせちまったよな」


「――それで助けてくれたのか?」


「まあ……そうなるか。……でも後悔もしたぜ? 同じように生き残った俺は戦うことから逃げたってのに、お前は命を散らしてでも……なんて言いやがる。――堕ちるくらいなら最初から死なせてやったほうがよかったか――とも思った」


 ニーアスはそこでロルカから視線を外し、再び歩き出す。


 ロルカの喉元にナイフを突き付けていたニーアスを思い出し……ロルカはニーアスの後ろでひとり頷いた。



 ――ああ、そうだったのか。だからニーアスは……。



 あれは彼なりの気遣いだったのだろう。


「だから俺にナイフを向けたんだな、ニーアスは」


「……は? ……あー……そうか。お前、気付いてたのか」


「うん。俺の『野生の勘』が大丈夫だって言ったから動かなかっただけ」


「なんだよそりゃ……よくそれで俺と旅していられたな……」


「はは、いま思えばそうかも。……でもありがとう、俺がこうしているのは君のお陰なんだな」


 笑うロルカをちらと見て、ニーアスも苦笑する。


「たいした度胸だよ。俺なんかよりずっとな」


「そんなことないよ。でもまさかニーアスも神繭カムンマユラで、しかも戦神せんしんなんて思わなかった。羽化ってどうしたらできるのかな? ――俺ももっと戦えたらって思うんだ……それこそ戦神みたいにさ」


「……なんつーか俺は役には立てねぇな。そもそも俺の一族はほとんどが神繭として生まれて戦いのなかで羽化するんだよ。自分がなんの神の繭かなんて知っていて当然だし、そのために幼い頃から戦闘訓練は欠かさねぇし」


「え? 一族のほとんどが神繭?」


「そうさ。ところがお前はそうじゃねぇ。……神繭が稀にしか生まれない一族ってのはもっと上位の神の繭だぜ」


「……え。神に上位とかあるのか?」


「それだよ、そんなことも教えられない神繭がいるってのが俺は衝撃だね。堕神おちがみや繭狩りに対しても殆ど教わってねぇだろ? ってなわけで俺にはお前がなんの神かも検討がつかねぇし……ああ、ただ……」


「……ただ?」


堕神おちがみ虚無ヴァニタスとは戦うもの。それだけは……もしかしたら変わらねぇのかもな」


「堕神や虚無と……?」


「ああ。――羽化した瞬間に思うんだよ。堕神や虚無と戦え、戦え、戦え――って。つっても俺が戦神の神繭だからかもしれないけどな。堕神だって理由があって堕ちるんだ。それを救うために狩るって言えば聞こえはいいんだろうけどな。……それで? 憎しみや絶望で堕ちる可能性があって、あんな化け物みてぇになっちまうかもしれねぇのに……お前まだ『命を散らしてでも繭狩りの喉に噛み付いて食い千切ってやる』とか言うつもりか?」


 不意に問われ、ロルカは少しだけ考えて頷いた。


「それは……うん。変わらない。シャルロにも怒られたんだけどね」


「繭狩りのシャルロか。あいつは繭狩りの象徴みてぇな存在で王都じゃ有名なんだ。神繭カムンマユラ虚無ヴァニタスの戦いに巻き込まれて家族をやられて……繭狩りが引き取ったって話だぜ」


「え……シャルロも家族を……?」


 ――そうか。それであんなに怒ったんだ……。


 ロルカはどこか腑に落ちて目を伏せる。


 いつのまにか畑は抜けて川沿いの踏み固められた道に入っていた。


 暗がりでも馬車のわだちがはっきりと見て取れることから、頻繁に使われているのだとわかる。


 ロルカはその轍を視線で辿り、ぽつりとこぼした。


「そうだとしたら俺たち、ちょっと似ているのかもな」


「取った行動は三者三様――バラバラだけどな。俺たちは神繭カムンマユラ。あっちは繭狩り様だぜ? しかも繭狩りのシャルロは狩りの腕も優秀って話で、繭狩りの長が率いる第一部隊に最年少で配属されてる。結果として繭狩りの印象操作に使われている駒だ」


「――印象操作? ……駒って……どういうこと?」


「神繭と虚無を狩るためのお涙頂戴の物語さ。大切な家族を失って仇を討つために戦う少女。王都じゃそれが支持されて神繭でも虚無でもない人間――神繭を擁護する人間も狩られていることに理解を示す奴らもいる。酷ぇもんさ……法に触れない殺人なんて」


 ニーアスは皮肉を込めて飄々と返してから続けた。


「ま、本人はそんなことに気付いちゃいねぇみたいだったけどな」


「……そういえば君、シャルロに『村の人間を狩れずに帰された』って言っていたっけ。よくわかったね」


「最初にお前から髪と眼の色聞いてちと気になったんだよ。お前にゃ悪いがじっくり観察させてもらったぜ。繭狩りは部隊で行動するのが基本だ。単独行動なんてしねぇはずなのに、もし本当なら仲間割れ――予想は簡単にできたってわけさ」


「まさか見られていたなんて気付かなかったよ……。神繭だってこともそうだけど、君って本当に狡猾だな」


「狡猾ってお前……。はっ、言うようになってきたじゃねぇか」


 ニーアスはそこでからからと楽しそうに笑うと、外気に晒された左脇腹を擦った。


「にしても腹が冷えるな……もう少し温まっておきゃよかった」


「あ。そうか、傷は治っても服は直らないんだもんな……えっとニーアス、俺のローブとか着る? もともと君への後払い品だけど」


「お前、本当に律儀だな。いらねぇよ、腹なら『特異紋』は見えないしな」


「『特異紋』……神繭の印か。ニーアスはどこにあるんだ?」


「あぁ――それな」


 そのとき、ニーアスの声が一段低くなった。


 ロルカが首を傾げると……ニーアスは振り向きざまにロルカの鼻先に人さし指を突きつける。


「おいロルカ! いいか、堂々と浴場で背中晒すような馬鹿なことしてんじゃねぇよ! 相手が俺だったからいいが、ありゃ最悪の愚行だぜ!」


「えぇっ⁉ 浴場って――村の? あ、そうか。それでニーアスは俺が神繭だって気付いた?」


 上半身を仰け反らせて両手を挙げたロルカに、ニーアスは盛大に鼻を鳴らす。


「ふん! あぁも無防備で正直引いたぜ! …………だからいまがあるんだ、わかるだろ――」


「……それは……うん……」


 村の浴場で誰かに背中を見られた可能性がないとは言い切れない。


 その人が繭狩りにロルカのことを伝えた可能性だってある――。


 ロルカは唇をきゅっと噛んで小さく頷く。


「なぁロルカ。復讐なんてやめちまえよ。あいつらを許せとは言わねぇけど……のらりくらりと生きるのだって悪くねぇし、俺としては堕神おちがみ虚無ヴァニタスを相手にするのに戦力がいるし」


「…………ニーアスはもう恐くないのか? 震えていなかったし」


 ロルカが質問で返すと、ニーアスは珍しく苦虫を噛み潰したような顔をして指を離した。


「吹っ切れたんだよ。馬鹿みてぇに逃げることはやめた。商人しながら機会があれば堕神や虚無と戦うつもりだ。それが俺の戦神としての使命ってなところさ」


「そっか……じゃあどっちにしても繭狩りはどうにかしないとだよな」


「まぁそうなる……か」


「じゃあ、俺がどうにかするよ」


「だからそんな簡単な話じゃねぇんだよ――まぁいいや」


 ロルカが笑うと――ニーアスは肩を竦めた。


 それ以上なにかを言うつもりは彼にないようだ。


 ロルカは村の皆を思い出し……小さく息を吐く。


 彼らのために繭狩りを糾弾する――それはロルカにとっての使命だ。


 それで堕ちる可能性があるとわかっても……その思いは揺らがなかった。

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