第16話 野生の勘⑧

 ……作業に慣れたのもあり、昼過ぎに始めた花壇の種蒔きは順調すぎるほどに捗る。


 このぶんだと明日の昼過ぎにはすべての花壇に種を蒔き終わることに気付いたロルカは内心で少し焦っていた。


 ――虚無ヴァニタスが来るまではこの町に留まらないと……。でももし依頼が終わったとわかったらニーアスが出発するって言う可能性も……。


 けれど――よくよく考えればニーアスはロルカと王都までの道をともにする必要がないのだ。


 彼を巻き込まずに済むならそれに越したことはなく、そのことに思い当たったロルカはひとり頷く。


 ――そうか。ニーアスの目的がお金であればとりあえずこの報酬を渡して先に王都に向かってもらう――っていうのも可能かもしれない。残りは王都でって頼めたりするのかな。……でももしお金が目的じゃないとしたら――。


 ナイフを向けたニーアスを思えば穏やかではないが……なにか理由があるはずだと楽観視していたロルカも、そのときはさすがに目的を問わねばならないだろう。


 そのとき、考え込んでいたロルカの視界にシャルロがひょこりと顔を出した。


「……ロルカ、聞いてるの?」


「わっ――え、ごめん、なに?」


「やっぱり聞いてなかった……。えっと……明日にはこの依頼も終わりそうだから、甘いものは明日にしない? そのほうがゆっくりできるから!」


「…………ああ、うん」


 ロルカは一瞬わけがわからず瞬きを返したが――そういえばシャルロが食べ足りないと言っていたなと思い当たり頷く。


 ――本気で言っていたんだ……シャルロは強いな。あの苦行をそんなにすぐに実行しようなんて……。


 神妙な顔でまじまじと彼女を見詰めるロルカに、シャルロは心底嬉しそうに微笑む。


「よかった! ……あのね、ロルカが昨日話してくれた『野生の勘』のこと……もう少し聞きたいと思っていたの。もしかしたら私が進むために必要なのかもしれないって考えて……」


「そっか、わかった。……って言っても、いつでも勘が働くわけじゃないから期待しないでくれると助かるかな」


「うん。それは平気だよ! たぶん覚悟を決めるためのひと押しが欲しいだけだから」


 ロルカは微笑んで土のついた手をぱんぱん、と払った。


「そうと決まれば――早いところ片付けようか」



******



 ロルカが宿に戻るとニーアスが床に胡坐を掻いて荷物の整理をしていた。


 外は暗くなってきていたがまだランプは灯しておらず、頼りない明かりのなかで……だ。


 彼の前に散らばっているのは小さな黒いガラス玉のようなもので、ロルカにはさっぱり使い道がわからない。


 とりあえずロルカがテーブルに置かれたランプに火を灯すとニーアスは下を向いたまま言った。


「よぉ、今日は早いな」


「うん、まぁね。……それは?」


「ちょっとしたお守りさ。ほかにも食糧や薬なんかは準備できたぜ。それと……少し嫌な情報もある」


「嫌な情報?」


「どうも最近、虚無ヴァニタスが活発になっているってな具合だ。ここの対虚無防壁ヴァニタスリメスは頑丈なほうだから多少の虚無ならなんとかなるだろうが――外に出たらそうはいかないぜ」


「…………」


 ロルカは巨大な亀のような虚無が町を襲うさまを思い出し――知らず眉を顰める。


 レンガ造りの防壁があっても――これから来る虚無は防げないのだ。


 するとニーアスは立ったままのロルカを見上げてひらりと右手を振った。


「王都までの道中は警戒が必要だ。お前の『野生の勘』とやらは当てにさせてもらうからな。……それで? 依頼の調子はどうなんだ?」


 ロルカは彼の問い掛けに我に返ると、慌てて頷く。


「あ……依頼は順調なんだけど……あのさニーアス。今回の依頼の報酬は全部渡すから、なんだったら俺を待たずに王都に向かってくれても……」


「ばぁか。お前が逃げるような奴じゃないってのはわかってるけど……いま話したろ。虚無が活発化してんだぜ? ただでさえ狙われてる奴を単独行動させんのは気が引けるんだよ。つーかお前、まだここで依頼こなすつもりなのか?」


 さらっと応えたニーアスに、ロルカは言葉に詰まり曖昧に笑う。


「……あ、えぇと。まだ決めていないんだけどね」


「なんだそりゃ……まぁいいや。――盛大に泣いて少しはすっきりしたってところだろ」


「……う。やっぱり気付いてたのか」


「まぁな」


 ニーアスはそこで飄々と笑い、ガラス玉のようなものを集めて袋にしまうと立ち上がった。


「さて、湯でも浴びるとするか。ああ、そこにお前の荷物用意したから中見とけよロルカ。後払い追加分だからな」


「え、あ――ありが……とう?」


 ロルカはニーアスが指した先、ベッドの上に並べられた荷物に目を向けて硬直する。


 簡易テントに寝袋、応急処置用品と折り畳み式の食器類――確かに旅には必要かもしれないが、いくらなんでも本格的すぎるのではと思うほどの量だ。


「えぇっ、こんなに買ったの⁉ 俺、その……払える気がしないよニーアス……!」


「そんなに高いもんじゃねぇよ。商人としちゃ安い買い物させたと思うぜ?」


 半ば悲鳴を上げるロルカに後ろ手を振り、ニーアスは飄々と言ってのけると部屋に備え付けられた浴室の扉を閉めてしまった。


 ロルカは困惑を滲ませた表情のまま視線を扉と荷物のあいだに往復させ――ふと気付く。


 ――そういえば浴室のある部屋なんて相当高価なんじゃないか? もしかしてニーアス、かなりお金持ちだったり……? 俺……早く王都に行かないといけないのに借金だけがかさんだりしないよな?


 ぐるぐると考えながらしばし呆然としていたが――結論からすると仕方がない。


 首を振って気を取り直したロルカは窓から外を見て……まずは亀のような虚無をなんとかしないと、と……ひとりごちるのだった。


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