第9話 野生の勘①
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「ニーアス、剣を抜いて」
粛清された村を発った翌日の昼過ぎ。少しの休憩を挟んだあとでロルカは口にした。
「は? いきなりなんだ?」
「俺の『野生の勘』がそう言っているってところかな。来るよ」
「だからなん――――ッ、
瞬間、ニーアスは背負っていた己の武器……先端に向かうほど細くなる幅広の両手剣に手を掛けた。
ロルカの感じた奇妙な揺らぎは自分の感じる世界をどんどん曖昧なものにしていき、ご多分に漏れず虚無が現れる。
「ちっ、土の中からってのは厄介だな!」
ニーアスの言葉とほぼ同時、土の塊を爆ぜさせて飛び出してきたのは蛭形の虚無だ。
その長さはロルカの腕ほどで、丸々と肥えている。
口と思われる部分には小さな牙がびっしりと生えており、一度食らい付けば簡単には引き剥がせないだろう。
「君って戦えるの? ニーアス」
ロルカはすでに構えていた両手剣を右足で踏み込みながら振り抜き、問いかける。
ズム……と鈍い感覚がロルカの腕に伝わり、蛭形の虚無は地面を跳ねて転がるとぎゅっと身を縮めたあとでニーアスに跳び掛かった。
「お前、俺が飾りで剣を背負っているとでも思ってんのか?」
ニーアスは束ねた蜂蜜色の髪を揺らして剣を抜き、その勢いのままに切っ先を振り下ろして虚無を弾き飛ばす。
しかし……その腕が震えているのをロルカは見逃さなかった。
――戦闘は苦手なのかもしれない。商人だもんな、ニーアスは……。
見た目は引き締まり鍛えられた体付きだが、だからといって得手不得手があるのは否めない。
ロルカは自分がなんとかしようと決めて踏み出したが――次の瞬間、ニーアスに首根っこを掴まれて引き戻された。
ブシイィ……ッ!
撒き散らされたのはどす黒い紫色の煙。蛭形の虚無が吐き出した毒霧である。
「ばぁか。戦闘では無闇に突っ込むもんじゃねぇぜ」
「毒なんて吐く虚無がいるのか……!」
「電撃を撃つ、発光する、炎を纏う――なんでもありだぞ、こいつらは。堕ちたとはいえ神の生み出した眷属だからかもな」
「そんな虚無まで……⁉ はー……ニーアスって博識なんだな……」
「言ってろ。――的確な判断と隙のない攻撃。それが戦いにおける――」
ニーアスはそこまで言うとぎゅっと唇を噛み……続きを紡ぐことなく前を向いた。
「――まぁいいや。さっさと片付けるぞ」
「……え? ああ、わかった」
どこか違和感を覚えつつ……ロルカは頷いて切っ先を虚無へと向ける。
毒霧が吐き出されてからの持続時間はそれほど長くないようだ。
消えていく霧を裂くように突き出した一撃は虚無の腹を貫き――今度こそ沈黙させた。
さわさわと溶け消えていく虚無とともに奇妙な揺らぎもなくなっていく。
ロルカはふうと息を吐くと……眉を寄せて悲痛な面持ちをしているニーアスを振り返った。
剣を握る彼の手はずっと震えたままだ。
「ニーアス、戦うのが苦手なのか?」
「……! 別に、そうじゃねぇよ。……お前こそ、その『野生の勘』っての? それで虚無がわかるなら――そう、戦わないで逃げればいいだろ? なんでそうしないんだ?」
ニーアスは珍しくはっと我に返った様子で剣を収めると、肩を竦めて笑ってみせる。
ロルカは大きな翠色の目をぱちぱちと瞬いて驚いたように応えた。
「――逃げる? ……そういえば考えたことなかったな」
自分を鍛えてくれたアルミラや村の守護を担う人々が
「俺なら――逃げちまうけどな! 戦わなくてもいいんだったら、そうしたっていい。……そういうもんだと思わねぇの?」
「それってさ、裏を返せば『戦わないとならないなら戦う』ってことだよな。俺はたぶん堕神や虚無とは戦うものだって思っている――ってことだよ。
「……堕神や虚無とは戦うもの、神繭として正しいね……。なぁロルカ。酷なこと言うけど、何事も命あってのものじゃねぇの? 違うか?」
「ニーアス。俺が残されたことに意味があるとしたら、この命を散らしてでも繭狩りの喉に噛み付いて食い千切ってやることだって言ったはずだよ。俺は命を捨てる覚悟でいる。戦いが恐いなら無理に付いてこなくてもかまわない。後払いの件はなんとかするからさ」
「…………は。なんだそりゃ。堕神でも虚無でもねぇんだぜ、繭狩りは」
ニーアスは一瞬だけ言葉に詰まり、そう言ってひらりと手を振る。
それ以上の会話をするつもりはないようだ。そう判断したロルカは彼のあとに続いて足を踏み出した。
――まだ先は長いしニーアスが途中で考えを変えるかもしれない。それに……本当に後払い回収のために付いてきているのか……はっきりしないからな。気にかけておこう。
まず向かうのはロルカの村から南西にある小さな町。
そこで旅に必要なものを揃え、南東にある王都へと進路をとる。
旅慣れたニーアスの知識はほとんど村を離れたことのないロルカにとって貴重なものだ。
ロルカは晴れた空を見上げて……いまのうちに学んでおこうと決めた。
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