第6話 繭狩り①

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 ……彼女は神繭カムンマユラ虚無ヴァニタスに己の剣を突き通すことを厭わない。


 目の前に虚無ヴァニタスが現れたなら白銀の双剣でその喉を斬り裂き、ドウ、と倒れた虚無が砂のように溶け消えるのには目もくれず踏み出すだろう。


 それが――彼女に与えられた宿命。それが――彼女の誇り。


 彼女――繭狩りのシャルロは幼い頃に神繭カムンマユラ虚無ヴァニタスの戦いに巻き込まれ、目の前で家族を失った。


 幼い彼女の記憶には本来在るべき無垢で純粋な思い出の代わりに濃厚な憎しみが満ちており、やがてそれは神繭と虚無感を狩ることへの執着に変わった。


 繭狩りに保護されたことも執着を加速させたと言えるが、彼女はその執着を糧に体を鍛え、技を磨き、齢十八にして繭狩りの上位に登り詰めることになる。


 そのために彼女が歩んできたのは当然苦しい日々の連続だった――何千、何万と剣を振って体に覚え込ませ、持久力をつけるため長い距離を走っては泥のように眠る毎日。


 すぐに根を上げるだろうと嘲笑っていた者たちでさえ、彼女の血の滲むような努力と鬼気迫る生き方になにも言えなくなっていく。


 やがて繭狩りのなかでも地位ある者が彼女に自身の技を教え込むと、いよいよ彼女の力は周囲が無視できないほどに高まった。


 しかしその繭狩りが狩りの最中に命を落とすと――彼女への風当たりが強くなる。


 ……妬まれたのだ。


 模擬戦でほかの繭狩りたちによって痣になるほど叩きのめされたこともあれば、力が上の虚無ヴァニタス相手に実戦を強要されて大怪我を負ったこともある。


 それでもシャルロの居場所はここだった――ここしかなかった。


 神繭と虚無を狩ることが国や自分と同じ境遇の者を救う行為だと信じて疑っておらず、繭狩りであることを誇りに思っていたのだ。


 だから。彼女は神繭と虚無に己の剣を突き通すことを厭わない。


 ……けれど。


「長、どういうことです? 神繭カムンマユラだけでなくそれを護る一般人まで狩れというのは……!」


 下された命令の是非を問うためテントに飛び込んだ彼女は、薄紫色の双眸をキッと眇めた。


 さながら紫水晶のような美しい色合いの瞳は見るものを惹き付けるが、いまこの瞬間は剣呑な光を湛えている。


 長と呼ばれたのは左眼を眼帯で隠した屈強な男であり、歳は四十半ばといったところか。


 反り返った刃を持つ剣を念入りに磨いていた男は残されている黒々とした右の瞳をシャルロに向けて小さく微笑んだ。


「そんなに恐い顔をするな、シャルロ。……調査で村人たちが一丸となって神繭カムンマユラを護っていると報告が上がった。彼らが襲ってきた場合、我々とて身を守らねばならない。わかるだろう? それに神繭は危険だ。あいつらこそが虚無ヴァニタスを生むのだから」


「――それは……わかりますが、でも……」


 思いのほか柔らかく応えられたことにシャルロは瞳に満ちる剣呑な光を和らげ、次いで困惑に彷徨わせる。


 長と呼ばれた眼帯の男はゆるりと剣を下ろし、有無を言わさない声音で続けた。


「なに、どうせ一般人は逃げ出すさ。被害は最小限に収まるだろう。――戦えるな?」


「…………」


 逡巡。葛藤。声に出せず答えられないでいたシャルロを眼帯の男は鼻先で一蹴し、冷たく言い放った。


「戦えないのなら繭狩りとは言えないぞシャルロ。それでいいんだな?」


 瞬間、シャルロの肩がビクッと跳ねる。叱られた子供のような反応だった。


「……! ……い、いえ、戦えますッ……すみませんでした……ッ」


「ふ……それでいい。神繭カムンマユラは狩るべき存在だが……狩るためには障害もある。そろそろお前もそれを学ばねばならんよ、シャルロ。……狩りは明朝決行だ。休んでおくように」


「……、……はい。……失礼します」


 シャルロは右の拳を胸に当て、深々と礼をすると踵を返してテントをあとにする。




「――ふん。小娘が……」


 眼帯の男は彼女を睨め付けるように見送って――何事もなかったかのように剣を磨き始めた。




 ……明朝、日が昇らぬうちに狩人たちは動き出した。


 シャルロも着慣れた黒い革鎧に身を包み、得物である白銀の双剣を手にしている。


 ――神繭カムンマユラは狩るべき存在。そう、私はそうするためにここにいる。神繭を護る人だって同じ、狩るべき存在。迷うことなんてない。


 神繭カムンマユラは恐ろしい力で人の命を刈り取る最悪な種族だ。


 しかもその力に溺れ、堕神おちがみとなれば虚無まで生み出す。


 神繭たちが堕神と虚無を狩るのは自分の仲間の尻拭い――汚名をそそぐための自己保身に他ならない。


 堕ちる可能性があるとわかっていて生かしておく理由はない。


 シャルロは考えを巡らせて己を叱咤し、顔を上げた。


 しなやかな体躯を軽やかに駆り、肩より長い瞳に似た薄紫色の髪を弾ませて……木々のあいだを駆け抜ける。


 けれど進めば進むほど彼女は胸を締め付けられるような焦りを覚えていた。


 雑念は狩りに不要。わかってはいても今日の彼女はどこか心と体がちぐはぐで違和感が動きを鈍らせる。



 それは当然、狩りにおいて顕著に表われることとなった。


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