第5話 粛清④

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 運がいいことに――というのは皮肉かもしれないが虚無ヴァニタスに出会すこともなく己の村に辿り着いたロルカは、小さな森のなかにある対虚無防壁ヴァニタスリメスに囲まれたその場所で膝を突いた。


 ニーアスは黙って防壁に背中をもたれると紅い瞳を伏せる。


 日暮れまではもう少しあるが森はすでに暗くなり始めており、いつもなら仕事を締めようとする人々が行き交って少し騒がしくなる頃合いだった。


 ……だというのに、鼻が曲がりそうな酷い臭いを纏う黒ずんだ煙が立ち込めているその場所に……生きるものの姿はない。


 生臭く、泥臭く、目に染みる悪臭。


 形をなくした家々には当然灯りはなく、ロルカを呼ぶ声もない。


 そして。


 その、村の入口付近に。


 ロルカの腕の太さはある金属製の杭のようなものが何本も突き立ち、その先端にが――――いた。


 鈎状の突起にぶら下げられた、柔らかな木をたわめて作られた大きな輪を縦半分にするような形で――両手両足を縛られ磔にされていたのである。


「――こんな、こんなの……」


 乾ききらない赤黒い液体はそこら中を染め上げ、静寂だけが頬を撫でる。


「嘘だ……だって……」


 ロルカを送り出したとき、彼らは笑っていたはずだ。


「俺だけ、逃がすなんて……どうして」


 全身がまるで石になったかのように動かず、ロルカは膝を突いたまま視線だけを忙しなく泳がせる。


 呼吸が荒くなりガタガタと勝手に震える体をどうすることもできない。


 しかし次の瞬間、瞳に映った彼ら・・にロルカは声にならない声で叫んでしまった。


「――――ッ!」


 いたのだ……そこに。――磔にされて。


 ロルカと同じ、光の加減で蒼く艶めく黒髪の男女と――燃えるような赤い髪の――姉のような存在が。


 ズタズタに引き裂かれた衣服は泥で汚れ、薄く開いた唇からは血のこぼれた痕。光をなくした瞳は虚空を見詰め、ロルカを認識するはずもない。


「い、嫌だ――父さん、母さん……み、ミラ……姉さ……」


 地べたを這いつくばってなんとか移動したロルカは――空気を吸おうと喘ぎながらその体に手を伸ばす。


「――――」


 ひやり、と。人にない冷たさが指先を伝わり……そこでロルカは「あぁ」とこぼした。


 唐突に理解したのだ。自分をかたどってきたすべてが失われたことを。


 両親の抱擁の温もり。どこか泣きそうな顔で微笑んだアルミラ。自分を育んでくれた村もそこに住む人々も――もう二度と戻ることはないのだと。


 ――酷いよ。わかっていて俺を送り出したなんて。全部、わかっていて……。


 胸のなかで呟いた言葉とは裏腹に、繭狩りへの強烈な嫌悪が込み上げる。


 死した人々をわざわざ磔にして見世物のように扱うなど――正気を疑う行為だ。


「どうして……こんなことができる……? なあ、ニーアス……繭狩りは本当に人間なのか? こんな、こんなの……ッ」


 地面に拳を叩きつけ、嗚咽とともに涙を滲ませて叫ぶロルカ。


 ニーアスは黙ったまま静かに歩み寄ると、項垂れた彼の肩をぎゅっと掴んだ。


「――昔話をしてやるよ。その昔、この国の王は国同士の戦のために戦神せんしんの力を求め、神繭カムンマユラを捜していたんだ。けどな、戦神の神繭の一族だけじゃなく、ほかの神繭の一族も尽く協力を拒否した。それが気に食わなかったんだろうぜ。王は繭狩りを組織して神繭への粛清を行うようになった……いや、正確には神繭の力を畏れたんだろうな。神繭が相手にしていたのは堕神おちがみ虚無ヴァニタスだってのに……おかしな話だろ? 堕神が虚無を生むってのも粛清の理由に挙げていやがったんだ。結果、いまも粛清は続いている――これが繭狩りのやり方なんだよ」


 声音こそ飄々としていたが……これを語るニーアスは狡猾で抜け目なくあたりを窺い、牙を研ぎ澄ませて獲物を狙う獣のようだった。


 ロルカは喉を詰まらせながらニーアスを見上げ、すぐさま腕で目元を拭う。


 再び開かれた瞼の下、翠色の大きな瞳は静かに光っていた。


「……繭狩りの拠点はどこにある? 後払いでもいいよ――教えてくれないか」


「――毎度あり、と言いたいところだが、その程度の情報で金を貰っても商人の名折れだ。いらねぇよ。……奴らの拠点は王都だ。……で?」


 聞いてどうする? とでも言いたげなニーアス。


 ロルカは白くなるほど強く握り締めた拳に瞳を落とし、ゆっくりと……確かめるように応えた。


「真っ正面から王都に行って――糾弾するよ。俺が残されたことに意味があるとしたら、この命を散らしてでもその喉に噛み付いて……食い千切ってやることだと思うから」


 ニーアスはなんとも形容しがたい複雑な表情をして……額に右手を当ててため息を吐く。


「そんな簡単な話じゃねぇよ……まぁいいや。どうせ俺も王都まで戻らねぇと商品が仕入れられないからな」


「付いてくるつもりなのか?」


「当たり前だろ。後払い金の回収が必要なんだから。――それと酷なことを言うが弔う暇はないぜ。お前には追手が掛かっているはずだ。……暗くなるまでは待ってやるから、せめて安らかに眠れるよう祈るんだな」


 隣村の村長むらおさはロルカを繭狩りに売るつもりだった。


 早馬でも走らせてロルカのことを繭狩りに報せていたのだろう。それがいざ到着してみたら逃げ出していたとあっては、当然……追う。


「――わかった。それとニーアス、悪いけど……少しひとりにしてくれる、かな」


 ロルカは張り裂けそうな気持ちを押し殺し、静かにそう応える。


 その頬を転げ落ちていく雫からニーアスはそっと視線を外した。

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