第4話 粛清③
すでに踵を返していたニーアスは首の後ろで束ねた少し長めの髪を揺らし、肩越しにチラとロルカを見たあとで大袈裟に肩を竦めてみせる。
「――俺は商人だぜ。お得意様に恩を売って損はないだろ? で、どうすんだ? 行くのか? 行かないのか?」
「…………」
いつものように村で話しているのと変わらない飄々とした声。
ロルカは虚を突かれたように呆然とニーアスを見詰めたあとで小さく息を吐き、ぐっと腹の底に力を入れて立ち上がった。
「行くよ。――このとおり無一文だからすぐには払えないけど」
「だから後払いなんだろが。ま、取引成立だな。……んじゃ、手始めにこの飴舐めておけ。噛むなよ?」
「え……飴?」
ぽんと放られたのは束ねられたニーアスの髪に似た蜂蜜色の飴だった。
色がわかったのは彼が廊下に続く扉を開け放ちランプの灯りが入ってきたからだ。
……ランプが灯っているということは、どうやらまだ夜らしい。
ロルカは言われたとおりに飴を口に含み――強烈な苦みを無理矢理甘くしたような味に顔を顰めた。
「そんな顔すんなよ、仕方ないだろ。それでも高いんだぜ、その飴」
ニーアスは言い募るとすたすたと廊下に出ていく。
――村長(むらおさ)はどうしたんだろう、自警団もいるはずだけど……。
考えながら慌てて廊下に出たロルカは――ひゅっと喉を鳴らして息を呑んだ。
揺らめくランプの灯火に照らされて淡い影を躍らせる人影が
「ニーアス……き、君、まさか!」
「大丈夫だよ、死んではいねぇし。香で眠らせてんだ。その飴は香の中和剤ってわけ。さっさと出るぞ、来いロルカ」
「…………」
ロルカは唖然としながらも、とにかくニーアスに続く。
人を眠らせる香なんて初めて見たうえに、そんなものを用意しているとは思わなかったのだ。
飄々として掴み所のない性格だと評していたが、どうやら彼は用意周到で抜け目がないようだとロルカは考えを改める。
とはいえそのお陰もあり裏口から外に出ることに成功した彼らは、静まり返る村外れの茂みに隠されたニーアスの商品たちを引っ張り出した。
ニーアスは手際よく包みを開けると、ロルカに長剣と革鎧――そして濃い翠色のローブを差し出す。
「装備しとけ、こいつも後払いだから遠慮はしなくていいぜ」
「…………」
そんなに払える気はしないが、自分の村に戻るつもりでいたロルカにとって武器も防具もないのはたしかに心細い。
ありがたく受け取りながら彼は律義に口を開いた。
「すぐに払えなくてもいいかな、ニーアス」
「すぐに頂戴できるとはさすがに思ってねぇよ。――村の様子、見にいくつもりだろお前」
「そうするつもりだよ。でも――危険なんだよな、たぶん。……その、君はなにか知っていたりするのか?」
「――まあ、知っているから助けに来てやった……ってところか。一応な」
「歯切れが悪くなるほどの状況……なのか……?」
「……。情報が欲しいなら後払い追加だぜ」
「――頼むよ。いまさらケチってもしょうがないし」
本当は聞くのが恐かった。けれどなにも聞かずに村に行くのは――もっと恐かった。
ロルカは必死で震えを隠し、革鎧を被って留め具をきっちり固定しながら、できうる限りの落ち着いた声で応える。
――ニーアスの目的が本当にお金なのかは定かじゃないけど、いまはこうするしか……ない。
そんなロルカをニーアスの紅眼は値踏みするようにじっと見詰めたが、やがてついと逸らされた。
「見たくなかった、聞きたくなかった――ってのはナシだぜ。やめるならいま。ここが最後だぞ」
ロルカはその忠告に大きな翠色の瞳を瞠って、意を決したように頷く。
彼の『野生の勘』はいまこの瞬間、ニーアスと行く自分を肯定したのだった。
******
「それでロルカ。お前はなんで自分が捕まったのかわかってんのか?」
後払い分の情報は道中で教えてやる。悪いけど休む暇は与えられないぜ――そう言って歩き出したニーアスは星が瞬く夜闇をすいすいと進んでいく。
彼の半歩後ろに続きながらロルカは頷いた。
「
自分が
「心配すんな。俺はお前が
「え? ……知らないよ」
「は?」
「なんの神かなんて教えてもらっていないし、羽化したこともないから……。ただ、一族では久しぶりに生まれた
「へぇ――」
「
「ん……いや、俺もそこはわからねぇけど。普通は知っているもんだと……思っていたっていうか? ……ふぅん、まあいいや」
ニーアスはなにかを逡巡したあとでかぶりを振ると道を逸れ、草原へと踏み込む。
柔らかな草の感触が靴を通して伝わってくるのを一歩一歩確かめながら、ロルカはあとを追った。
気付けば隣村からは少し離れていて、広々とした空間を冷たい風が駆け抜けていく。
そこでふと気付き、ロルカはニーアスに聞いた。
「……そういえば君の荷馬車は?」
ニーアスは行商人だ。ロルカの村に来るときはいつも葦毛の馬が引く馬車に大量の商品を積んでいた。
「ばぁか。荷馬車なんて引いてこられねぇよ。……持ってきたのは自分の装備、それからお前の装備と食料、水、あとはちょいとした道具だけさ。馬は預けたし荷馬車は……まぁ燃えてんだろうな。早い話がお前の村に置いてきたんだ」
飄々と返した声とは裏腹に……彼の紅眼は眇められ、眉尻が上がっている。
けれどロルカはそれには気付かず、抑揚のない声で呟いた。
「……燃えて……それって、つまり……」
ニーアスはしまったとばかりに顔を顰め、眉間を右手でぐにぐにと揉んだ。
「……いいかロルカ。後払い分の情報をやる。繭狩りってのは
ふるり、と。体が震える。全身の肌がざあっと粟立つような寒気が奔りロルカは首を振った。
「……
「俺は伝えたはずだぜ。やめるならいま。ここが最後だってな」
「…………」
意味のない慰めなんか口にしないと、ニーアスの言葉が示している。
ロルカは浅い呼吸を落ち着けるために何度も深く息を吸い込み、己を律して歩き続けるしかない。
そんなロルカにニーアスは革の水袋を差し出して言った。
「繭狩りを避けるために道は使わねぇ。草原を最短で突っ切ってお前の村に行く。途中の水場で少しだけ休むから、そこまでは踏ん張れ。どんなに遅くても夕方までには到着だ」
「……わかった」
かろうじて絞り出したロルカに、ニーアスは蜂蜜色の髪を揺らして頷いた。
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