第2話 粛清①

******


 ――なんだったんだろう、いったい。


 ロルカは頭を掻きながら隣村への道をひとり歩いていた。

 踏み固められた道は平坦で危険な場所はなく、見通しのよい草原と少しの林を抜けるだけである。


 背負う革袋には村の皆がくれた様々な道具や食料、野宿のための簡易テントまで入っていて、ベルトにはロルカの得物である両手剣が装備されていた。


 ――ミラ姉さんもなんだか変だったな。もう少し問いただすべきだったかもしれない。


 ロルカは草と土の匂いを肺に満たしては吐き出しながらそう考えたが、隣村にはすでに手紙を出してロルカの訪問を伝えてあるらしい。


 とりあえずそこまで行けば事情もわかるだろうと彼は気を取り直した。


 ……そこで奇妙な揺らぎがロルカを襲った。己と世界との境界が曖昧になるような――まるで自分がたったひとりになった心細さのような感覚が込み上げてくる。


 ロルカはこの感覚が嫌いだったが、ひとつ、役に立つこともあった――。


虚無ヴァニタス――か」


 腰の剣を抜き放ち構えたロルカの右斜め前――茂る下草を揺らして現れた黒い影。


 このあたりでよく見かける大きな蟻型の虚無ヴァニタスである。


 ロルカがこの揺らぎを感じたとき、そこには虚無ヴァニタスがいるのだ。


 そこで虚無ヴァニタス獲物ロルカに気付いたらしい。ギチギチと音を立てて六本の細い脚を踏み鳴らす。


「ちょうど体も動かしたかったところだから相手になるよ、さあこい!」


 ロルカは真っ直ぐに踏み出すと、剣を右肩あたりに構えたまま一気に疾走した。


 大きくあぎとを開く虚無ヴァニタスに怯まず真上から剣を振り下ろす。ガチリと硬い音がして前に傾いだ頭に間髪入れずもう一撃。


「――はあッ」


 最後は大振りで強力な一撃を右から左へと閃かせ――黒い頭部を撥ね飛ばす。


 ロルカは沈黙した虚無ヴァニタスが砂のように崩れ去りさわさわと空気に溶けていくのを見送った。


「うーん。もう少し――体を動かしたいところだったんだけどな」


 ロルカは奇妙な揺らぎが消えたのを確認して剣を収め、小さく息を吐き出す。


 この程度なら両親に宣言したとおりロルカでも問題なく対処できる。だから危険はない。


 それなのにロルカ本人が『野生の勘』と称する感覚は不安を訴えていた。


 ――村にはミラ姉さんもいるし心配ない。俺も大丈夫。それなのに……どうしてだろう。この勘も……もしかしたら俺が神繭だから反応しているのかな。


 膨らむ不安をかき消すように首を振ると……ロルカは再び隣村を目指して踏み出した。


******


 翌日の昼過ぎに隣村に到着したロルカは、太い丸太を幾重にも重ねた対虚無防壁ヴァニタスリメスの前でそわそわと行ったり来たりを繰り返すご老人を見つけた。


村長むらおさ、こんにちは」


「おお! ロルカ君! よく来た、よく来たね……!」


 駆け寄ってきたご老人はロルカより背が低かったが、まるで小さい頃と同じようにロルカの頬を挟み込んで「よく来た」とさらに繰り返す。


 ――手紙を出してあるとは聞いたけど……村長むらおさの反応もやっぱりおかしい気がするな。一体なんなんだろう……。


 皺くちゃの顔をさらに皺くちゃにして大袈裟なほど喜ぶ村長むらおさにロルカは困惑したが、歩き通しで疲れていたせいかうまく考えが纏められず――とりあえず村長むらおさと一緒に彼の家へと向かうことに決めた。


「昼はまだ食べていないだろう? そうだ、お湯も準備しておこう。浴場の場所はわかるね?」


「あ、えぇと、村長むらおさ。俺、実はどうしてここに使いに出されたのか理由を聞いていなくて――」


 ロルカの村の人は勿論のこと、ロルカ自身も隣村は何度も訪れたことがあった。


 そのため勝手知ったる場所ではあったけれど……彼はなんとなく萎縮して首を竦める。


 村長むらおさはロルカの様子に頬を緩めると……コホンと咳払いをしてからかぶりを振った。


「そのことなら心配ない。君のご両親からも手紙を受け取っているからね。とりあえず休んで、そのあとでゆっくり話をしよう」


「――そう、ですか。じゃあお言葉に甘えさせていただきます」


 ぺこりと頭を下げたロルカは勧められるがまま、隣村にしては――というのも失礼な話だけれど、まるで宴かと思うほどの豪華な食事に舌鼓を打つ。


 そのあとは浴場で汚れを落とすことになったが、ありがたいことにロルカのために特別に湯を沸かしてくれたようだ。


 誰もいない浴場で疲れた体をじっくりと癒やすことができたロルカは、そろそろ村長むらおさと話せるだろうかと考える。


 ……しかし。着替えて外に出ると、村の自警団のひとりが待っていた。


村長むらおさに急用ができたみたいでね。悪いがロルカ君、村長むらおさの家でゆっくりしていてくれと伝言を預かっている」


「え……急用ですか? ……それなら仕方ない……ですね」


 ――本当なら早く話がしたかったけど――我が儘を言っていい立場でもないしな……。


 ロルカはこぼしそうになったため息を呑み込むと、気を取り直して村を回り、顔見知りの人々に挨拶を済ませておとなしくの村長むらおさ家に戻った。



 ……けれど。いつまで経っても村長むらおさと話せないまま夜になってしまった。



 あてがわれた部屋でベッドに横になっていたロルカは、誰かがやってきた気配に瞼を持ち上げる。


 既に外は真っ暗だ。小さなチェストの上で踊るランプの灯火が窓に映り、どこか不安げに上半身を起こしたロルカの情けない顔を照らした。


 ――村長むらおさが戻ったのかな。


 ロルカは少し肌寒い空気に両手を擦り合わせて立ち上がり、耳をそばだてる。


 忍ぶような足音は細い廊下を抜けた先――突き当たりの扉の向こうに移動したらしい。


 そっと部屋から顔を出すと、扉の下から漏れた灯りの上を影がついと滑ったのが見えた。


 やはり村長むらおさが帰ったのだと歩み寄ったロルカはその扉の前でぴたりと足を止める。


「……それでは、本当に隣村は……?」


「はい。繭狩りの粛清で壊滅したようです」


「そうかそうか」


 聞こえてきたのは村長むらおさと誰かの会話だ。


 ――繭狩りの粛清? 壊滅? 隣村って……俺の村……?


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