神繭‐カムンマユラ‐ 神たる力を宿す繭は己の生きる意味を問う

第1話 プロローグ

******

 

 ――最初からおかしかったんだ。俺の『野生の勘』はそう言っていたのに。


******


「二十歳になったら冒険に出る風習がある……って、そんなの聞いたことがないけど」


 使い込まれた家具が置かれた小さな部屋。


 装備を整え終えて呆れた声でこぼしたのは、大人と子供の魅力を併せ持つ成人したばかりの青年ロルカ。


 さらりとした黒髪は光の加減で濃い蒼色に艶めき、落ち着いた雰囲気を醸し出す。


 しかし溌剌とした輝きを放つ大きな翠色の瞳は彼を幼く見せることもあり『威厳を纏った凛々しい男』を目指すロルカにとって悩みの種でもあった。


「まあそう言わない。神繭カムンマユラたるもの冒険のひとつやふたつすべきでしょ」


 扉の横で応えたのはロルカより六つ年上の女性アルミラ。ロルカにとっては姉のような存在で、肩ほどまでの燃えるような赤髪の下で光る深紅の瞳は我の強い彼女の性格によく似合っている。


 ずっと見上げていた背をこの数年で頭ひとつ分追い越していたロルカだが、村の守護も担う彼女に剣で勝てたことはいまもってなかった。


「冒険っていうより隣村までのお使いだよ……俺が神繭カムンマユラだからいいように言っているだけで」


「――そうかも」


 ふて腐れた顔をするロルカに小さく微笑んで応えながら、アルミラは右腕を伸ばし部屋の扉を開け放って彼を外へといざなう。


 まだ昇りきっていない日の柔らかな光を浴びて右手で庇を作りながらロルカは双眸を眇めた。


 広がるのは突き抜ける青い空。濃い土の香りを含んだ湿り気のある空気が四肢に染み渡り、体が目覚めていく。


 しかしそんなロルカが見たのはそれだけではなかった――。


「……え、皆なにしてるの……?」


「冒険に出るあんたを見送りにきたに決まってるでしょ?」


 アルミラは馬鹿にしたように言うが、ロルカからすれば意味がわからない。


 彼らの眼前にはずらりと並んだ村人たちがいて、思い思いに手を振ったり拍手をしたりと……まるで祭りかなにかのようなのだ。


 村自体そんなに大きくはないわけだが、ロルカが見た限りでは全員が集まっている。これが自分の見送りだというのだから動揺もするというものだろう。


「冒険って……俺、なにをしなきゃならないんだろう?」


「――神繭カムンマユラとして、あんたが存在する意味を見つけること――かな」


「え?」


「ほら、行ってきなよロルカ」


 視線を落として呟いたあとでアルミラはロルカの背中に右手を当て、彼を村人たちに向けて押し出した。


「ロルカ! これ持っていけ!」


「隣村の織物職人の婆さんによろしく伝えとくれ。あんたにもよくしてくれるはずだよ」


「応急処置用品も用意してやったぞ!」


「え、えぇ? あ、ありがとう……? でもちょっと、えっと、皆どうしたの……」


 困惑したロルカは眉間に思い切り皺を寄せつつ、次々と手渡される様々な贈り物を両腕で抱えるようにして持った。


 そこで皆のあいだを抜け出てきたのはロルカによく似た色の髪と眼をした男女だ。


 女性の胸には瞳の色に似た大きな石のペンダントが柔らかな光を放っている。


「皆、期待しているのよ。神繭カムンマユラたるロルカが立派な神として羽化することをね」


「――母さん」


「神たる力をその身に宿した繭。僕らの一族には長らく神繭カムンマユラが生まれていなかったから期待もひとしおってところかな。僕らを護ってくれている村の人もロルカを盛大に送り出そうと集まってくれたんだよ」


「父さんまで……。うーん。盛大もなにも大袈裟だよ、すぐ帰ってくるのに。それに俺、一度も羽化したことがないんだけど……立派な神なんて程遠いよ」


 はぁーとため息をこぼして肩を落とすロルカに、彼の両親は優しい眼差しを向け、眦を下げて微笑む。


 ……けれどその慈愛に満ちた瞳はどこか寂しそうな光を湛えていた。


「――羽化すれば神の如き力を使えるようになって――お前の進む道が見えるはずだ。道中は堕ちた神の眷属――虚無ヴァニタスもいるから気を付けるんだよロルカ。今回アルミラは一緒じゃないからね。無理はしないように。それから――隣村の村長だけには伝えてあるけれど、くれぐれも神繭カムンマユラであることをほかの人に悟られないように」


「心配いらないよ、父さん。ミラ姉さんがいなくてもこのへんの虚無ヴァニタスくらいなんとかなるから。悟られないようにするのも恐い恐い繭狩りがいるから、だよな。ちゃんと覚えてるよ」


 神が堕ちると堕神おちがみとなり虚無ヴァニタスを生むようになる……その説明は何度も聞いてきたけれど、ロルカにとってあまり実感はない。


 堕ちた神どころか、ほかの神繭カムンマユラに遭ったことすらなかったからだ。


 そして繭狩りという組織があるらしいことも何度も聞いているが……こちらもまた然り。


 苦笑するロルカにくだんのアルミラがどこから持ってきたのか大きな革袋を差し出す。


 抱えている荷物を入れろということらしい。


「大丈夫ですよ、おじ様、おば様。ロルカはこのあたしが鍛えたんですから。――絶対に大丈夫です」


「――そうねアルミラ。さあロルカ、お母さんを抱き締めてくれる? 昔みたいに」


「ええ⁉」


 ぎょっとして半身を引いたロルカは有無を言わさぬ母の強引な抱擁に戸惑って目を瞬く。


「では僕も」


 追随した父にも母と一緒にぎゅうぎゅうにされ、ロルカは困惑を顔に滲ませたままアルミラを見た。


 両親の抱擁だなんていつぶりだろうか。気恥ずかしさと懐かしさがロルカの胸に熱をもたらすと――アルミラが眉尻を下げ、どこか泣きそうな顔で微笑む。


「いいじゃないの。抱き締めてあげなさいよロルカ。――少しのあいだ、会えないんだから」

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