第49話 寒剤

「その答えはまた、梶田さんが関わってきます」

「えっ」

「ううむ」

 青龍が梶田を名指しすると、楓は驚きの声を上げたが、梶田本人は唸ってしまっていた。どうやらその件に関しては、すでに青龍から確認されていたのだろう。

「それは液体窒素、ドライアイス、そして消毒用のエタノールです」

「はっ」

「何だって」

 しかし、次に具体的に挙げられた品々に、一体何に使うんだという思いと、そんなものがどうして事件に絡んでくるんだという動揺が、一斉に口から出ていた。

「そう。これだけ聞くと不可解に見えますよね。それにドライアイスは食材の運搬に使う程度の量、エタノールはまあまあの量があったとしても、液体窒素はアイスやチョコを加工するために使う程度で大した量ではないんです。それをどう駆使したのか、というのも、この事件が一見すると不可能犯罪に見えるポイントなんです」

「ぐう」

 そこで神田が唸ったので、これらが事件で使われたのは事実なのだろうと、雅人は気づく。しかし、何をどうやれば二つの事件が可能なのか。さっぱり解らなかった。

「ではまず、最初の事件についてです。神田さんは杉山さんが寝入ってしまうのを待ってまず、絞殺したのでしょう。そこまでは普通の事件だったんですよ。そもそも、神田さんは私が関わった犯行に見せたかっただけですから、殺す際は別に拘った方法を用いる必要がなかったですからね。先ほど、岩瀬さんを襲おうとした時にも大ぶりのナイフを持っていましたし」

「ああ」

 そうか。外観さえ青龍が行ったように見えればいいのだ。つまり、その手前の過程で無駄な労力を払う必要はない。雅人はかつて青龍が関わった事件を知っているから、殺す段階でも手の込んだものだったのだろうと思ってしまうが、今回は不可解なトリックを使って殺されたように見えればいいだけなのだ。

「ええ。ですので、殺した方法はその現場を最小限に汚す程度に済ませたいはずですので、絞殺が適切だと思いますね。そうやって寝ている杉山さんを難なく殺し、死体をシーツに包んで風呂場へと移動したはずです」

「風呂場へ」

「はい。あそこ以外に人の身体がすっぽり入る容器なんて存在しないですからね」

「ううむ」

 風呂の浴槽を容器と言うか。その感覚にはついていけないが、言いたいことは解る。すっぽりと人間の身体が収まるもの。それが浴槽だ。つまり、この事件のトリックの要は全身が入る容器にあるというわけか。

「杉山さんの死体を風呂場に運んだ神田さんは、まず杉山さんの服を剥ぎ取り、裸にして浴槽へと放り込みます。そして使うのが、先ほど言ったものです。先ず使ったのはドライアイスの方でしょうか。あれは翌日も確保できるかどうか解りませんもんね。浴槽にドライアイスをあるだけ放り込み、そして次に大量のエタノールを放り込みます」

「ん?」

 ドライアイスにエタノール。

 一体その組み合わせに何の意味があるのか。雅人も楓もきょとんとしてしまったが、どうやら他のメンバーはそれで理解できたらしい。はっとした顔をして青龍と神田を見比べている。

「死体を凍らせたんですね」

「ええ」

 確認した庄司に対し、青龍はそのとおりだと頷いた。しかし、一体どういうことなのか。雅人にはさっぱり解らない。

「おい、その二つでどうして死体が凍るんだ?」

「おや、知りませんか。結構有名な科学実験ですよ」

「えっ」

 科学実験。

 そう言われて、他が納得していることは解った。なんせ、ここにいるメンバーは工学部出身の理系だ。シェフの梶田は理系ではないだろうが、液体窒素を利用して菓子を作っているのだ。ある程度の知識はあるだろう。

 しかし、雅人にも楓にもその二つを利用した科学実験なんて知る由もない。お手伝いの女性たちも、どういうことかと首を傾げている。やはり、そう馴染みのある実験ではない。

「悪いが、素人に解るように説明してくれ」

 腹は立つものの、理解できないのは刑事として情けない。これから取り調べをして行く上でも、知らない状態では困る。雅人は素直に青龍に説明を求めた。馬鹿にされるかと思ったが、青龍はすんなりと頷いただけだった。

「いいですよ。有名とはいえ、誰もが試したことのある実験とは言えませんからね。簡単に説明しましょう。ドライアイスとエタノール。この二つを組み合わせることを寒剤かんざいといいます」

「寒剤?」

「はい。二つの物質を組み合させて混合物を作ることによって低温が得られるもののことを、総称して寒剤と呼ぶんですよ。詳しい説明には立ち入りませんが、ドライアイスとエタノールを混ぜるとマイナス七十度くらいの温度になります」

「なっ」

 それだけ下がるのならば、確かに凍らせることが可能だろう。それも瞬時に凍ってしまうに違いない。しかし、まさか身近なものでそんなことが可能だったなんて。雅人も楓もぽかんと口を開けてしまう。

「インターネットに実験動画がいくつかありますので、後で見ておいてください。ともかく、その二つを使えば難なくものを凍らせることが可能なんです。もちろん、人体だって例外ではありません。

 さて、ドライアイスに関してあるかないか。これは確認するまでもなく、プロの料理人でありデザートも難なく作れる梶田さんならば、必ず使うだろうと推測できます。しかも前もってデザートに液体窒素を使うものをリクエストしておけば、ドライアイスが足りない場合も対応できるでしょう」

「ふうむ。まあ、テレビに出るほど有名なシェフだ。どういう料理を作ることは事前に知ることが出来るか」

 楓がテレビに出ていたと言っていたのを思い出し、雅人はリクエストは可能だろうと頷く。

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