1. タナトフォビア

 Thanatophobia(タナトフォビア)とは「死恐怖症」を意味する単語だそうだ。「ひとが死に至る過程や、存在することが止まることについて考えるときに認識され、心配になるという死の感覚」。私は中学生の頃に死について真面目に考え始めてからずっとこの感覚に囚われている。誰もが死と真面目に――合理的に――向き合えばそうなるのでは?と疑問に思うこともあったが、どうやらあまりそうではないらしい。それをこの「タナトフォビア」という言葉が示している。どうやらこの感覚に苛まれている状態は、人間としてあまり正常な状態ではないということになっているらしい。それでも私は愚直に信じている。私が常々感じているこの死の恐ろしさは、誰に対しても些事ではないということを。


 この「タナトフォビア」という言葉を知った時、実のところ私は少し希望を持ったりもした。正常な状態ではないとはいえ、ある程度普遍的な現象である以上、他者と共有することは容易いことだろうと。しかしそれは都合のいい楽観であった。私は比較的共感を得られそうな知人二人に胸の内を打ち明けたことがあったが、数時間ほど話し合った末についに共感を得られることはなかった。彼らの内の一人は、自らの鬱病を振り返りながら私に忠告した。「そんなことずっと考えてると狂ってしまいますよ」と。そう、私はまさしく今狂ってしまう寸前であり、それを色んな方法で瞬間的に忘れたり、頭の片隅に追いやったりすることで、ギリギリ抑え込めているにすぎない。


 生きる全ての者はその未来の中に死を内包している。それはテレビの中の芸能人や、日常的に接する家族・友人も例外ではない。もちろん私やあなた自身も。そしてその死は誰の許にもいきなりやってくる。予定調和の死は殺す側(それは車であるかもしれないし、病気であるかもしれないし、人であるかもしれない)にしか存在せず、殺される側に降りかかる死は、その主観の中で常に唐突なものである。つまり「私は数時間後に死んでいるかも」「あの人の主観を想像すると今こんな感じかもしれないけど、その主観も数時間後には死んでいるかも」という妄想的命題は常に真なのだ。真である限り、その妄想は現実に即しているものとして許容される。何が言いたいかと言うと、現実に生き、そして現実について何かしらを考えている限り、その思考の中には常に死が存在するわけだ。望むとも望まないとも関わらず。私だけの話ではない。あなたの思考の中にも必ず死が存在する。大抵の人はそれを無視出来ているか、そもそも無自覚であるようだが、生けとし生けるもの皆死ぬという絶対的な法則がある以上、必ず前提として死が存在する。地球には重力があるとか、宇宙では物理法則が働いているとか、1+1=2とか、そのレベルの話だ。私のように死を恐怖し、その「死の前提」を受け入れたくない人間は、日常で現実的なことを考え始める時、必ず死のことを思い出し、そしてその唐突な死に怯えるのだ。お化け屋敷の中に入っているようなものだ。いつ「驚かし」が来るのかビクビクしながら進む。ただしお化け屋敷とは違って、この人生という死の屋敷には本物の死が出るのだが。


 誰もが思考の中に死を持っているならば、やはり誰だってこのような「タナトフォビア」が発症するポテンシャルを秘めているはずだ。しかし実際に発症してないのは何故か? 私はその「タナトフォビア」という境界線の溝の中に、死に対する諦めや、達観、思考放棄、超自我への逃避、偽の客観視による物語化があるように思う。死に対する実感が持てないからだとか、そういう風には考えていない。そもそも私こそまだ近親者の死を経験したことがない(それどころか近親者の誰よりも早く自分が死ぬだろうという予感もある)。そういう意味では私は非常に幸運な方で、しかしそんな私でも死に対する危機感を持たざるをえないほど、死への実感というのはそこかしこに存在する。例えば胸に手を当て心臓の鼓動を感じるだけで、心臓を守る外殻がどれだけ薄いかがわかるし、常に死と紙一重であるという実感を得ることが出来るだろう。生きている限り、死の実感を持つことは容易いのだ。


 さて、実際のところ、「死は避けられないのだから、人生を楽しむ上で死に対する諦めや、達観、etc.という手段を取るのは合理的なことじゃないか」と考える人は少なくないと思う。私はそれに反論することはできない。それは間違いなくそうだからだ。しかしそれらの合理的な手段によって、「死は恐るるに足らない」という結論に至ってしまうとすれば、それは非常にまずいことだと考える。こと自殺大国である日本においては特に。生きるのは素晴らしいという話をしたいわけではない。しかしそれでも、死の恐怖に対して誠実に向き合うことなしに死を決断してはならない、「タナトフォビア」である私はそう感じるのである。何故ならそれは取り返しのつかない選択になるのだから。


 では死の何がそれほどまでに私の恐怖を駆り立てるのか、次の章から何とか言語化してみようと思う。

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