第3話 王子支部
双子には精神のつながりがあると、ものの本には書いてある。
心の動きや、痛みや喜びを共有する。いったい、有線でもないのに、どんな仕組みでそれを感じるのか、その謎は明かされていない。
柚木鬼灯はそのことを思い出すと、あの夜、何も感じなかった自分のことを許せなくなる。だから信じない。原因や理由のはっきりしない戯言はすべて誰かを騙すための玩具だ。
信じられるのは自分の体に感じられる痛みと、目の前で変化する物理現象だけ。プラズマが灼いた空気と血の匂い、圧搾された血が解放されて弾ける音。
「こちらモディー・ドゥー! カー・シー、深追いはするな!」
路地裏を駆け抜ける鬼灯の耳を、蜂屋隊長の声がインカム越しに怒鳴りつける。
「はーいこちらカー・シー、ターゲットはっけーん、引きつけまーす」
厚生労働省安全衛生部異端審問課、ドナー隊。彼女たちの銃にはコードネームがつけられており、作戦中はそれが彼女たちの呼称となる。鬼灯はカー・シー。アイルランドの伝説に登場する犬の妖精。隊長、蜂屋蒼はモディー・ドゥー。
ケルトの怪異譚に登場する犬の化け物だ。
インカムの向こうでモディー・ドゥーが喚き声をあげている。
「こちらタルー・ウシュタ、視界が悪い、そっちに入るなカー・シー」
500M先から狙っているスナイパー、桃原牡丹のコードネームはタルー・ウシュタ。ケルト民話の水牛だ。
鬼灯は牡丹の言葉も蜂屋の叫びも気にもかけず、路地の行き止まりまで一気に駆け抜ける。
「やっばい、弾切れ~!」
ゴミ箱を吹っ飛ばして壁際に追い込まれた鬼灯は、いつも通り笑っている。
「殺したい? 殺したいよねえ? あんたの恋人殺したの私だもんねえ!」
覆いかぶさるように、カーディガンを着た大柄な女が鬼灯の顔の間近に指を突き立てる。
「ドナーなど、弾が切れたらただの人間だ!死ね!」
そう叫びながら、大柄な女は突き立てた指をそのまま横に滑らせた。その風圧だけでコンクリの壁がティラミスのようにえぐれていく。その風がまともに当たれば鬼灯の顔は三等分され、ティラミスにいちごのトッピングを添えていたことだろう。だが鬼灯は全身の力を抜いてぺたんと座り込み、虚をつかれたバイツのアゴにとっておきの一発を撃ち込んだ。
献血式の特殊炸裂弾が頭蓋内で破裂する。強靭なバイツの肉体は、その威力すら筋肉の力で封じ込め、割れた頭蓋も、弾が切り裂いた皮膚も、たちまち再生を始める。だが、今回ばかりは違う。
傷口は赤く燃えて広がり、白い煙が口、鼻、眼、顔の至る所から漏れ始める。
「弾切れちゃった、なんてふつう信じる? ほんっと、素直だよねえ」
理性的な動きを止め、痙攣するバイツの横から悠然と立ち上がり、鬼灯は歩き出す。
背後でバイツの体がRHマイナスL型の血液と反応し、影の柱になって崩壊していく。プラズマ化する過程で空気の層が破裂し、鐘のような音を周囲に響かせる。
駆けつけた蜂屋蒼は、その荘厳な美しさを持つ影の十字架を見つめている。
「蜂屋隊長、始末はつけました」
「命令を」
無視するな、と言いたいのだろう。だが命令を無視した鬼灯は結果を出した。
「ありがとうございます、暗号で指示してくれたから、うまく戦えた」
鬼灯は、蜂屋隊長への反抗心で暴走しているわけではない。一匹でも多くのバイツを狩りたいだけだ。だから「命令違反は」しない。結果を出して、すべて蜂屋の手柄にする。
「蜂屋隊長のおかげです」
「すごい、勉強になります」
王子特殊職業訓練校のカフェテリアでコーヒーに砂糖を入れながら、新しく配属されたばかりの黄竹雛菊が、きらきらした目で鬼灯を見ている。
「あんまり人に言う話じゃないんだけどね」
鬼灯はパイプ椅子に身を預けて頬をひきつらせるように笑う。あの時以来、心から笑ったことはない。
「なんかぁ、蜂屋隊長って頼りない感じだな、って思ったんです、私も」
三袋の砂糖を溶かしこんだコーヒーを両手で持ちながら、雛菊は続けた
「現場でも、安全第一って感じで」
と言いながら音を立てながらコーヒーをすする。
まだ熱いのか、苦いのか、蜂屋に対する嫌悪か、雛菊は顔をしかめた。
「ここのコーヒー、クソまずくないですか?」
「言葉遣い、気をつけて」
背後から蜂屋蒼が声をかける。
ぴっ、と雛菊の姿勢が真っ直ぐになる。
「ここ、先生方も使うところだから」
「はーい」
そのまま蜂屋は窓際の席まで歩いていく。
雛形が顔を近づけて小声で尋ねる。
「鬼灯先輩、いまの聞かれてました?」
鬼灯も机に肘を乗せ、顔を寄せる。
「聞いてても気にしないよ、あの人は。ああ、でも黄竹さん」
「雛菊でいいですよ」
「じゃあ雛菊、私は隊長があの人でよかったって思ってる、理由はわかる?」
「自由にできるから?」
「安全第一だから」
鬼灯は再びパイプ椅子に体を預けると、窓際の席でコーヒーを飲む蜂屋を見た。
「嘘はつかない、私とは違う」
雛菊は煙に巻かれたような顔で鬼灯を見た。
鬼灯には双子の妹がいた。柚木珊瑚。
いつでも微笑みながら自分の後ろを歩く珊瑚の姿を、鬼灯は町のショッピングウィンドウ越しに反射した姿でしか見たことがない。
顔は同じでも、性格は反対。好きなものも違えば、言葉遣いさえ似ていなかった。それでも珊瑚は鬼灯を追いかけて、共に過ごそうとした。怒りっぽく、いつも何かにイライラしている鬼灯とは違い、珊瑚は笑顔を絶やさずいつでも明るく無邪気だった。
たとえばコップに半分水が入っているとしよう。
鬼灯は「もう半分しか入っていない」と思う。
珊瑚は「水が入ってるよ、すごいね、お姉ちゃん」と鬼灯にコップを差し出すだろう。
RHマイナスL型の血液を持っていることが判明したのは、鬼灯が10才のときだった。
高熱と全身の痛みに耐えかねて何度も気絶する鬼灯を、珊瑚は寝ずに看病した。いくつかの病院をたらい回しにされて、たどり着いた病院で処方された鎮痛剤でやっと意識を取り戻し小康状態になった鬼灯の横で、疲れ果てた両親とともに珊瑚は微笑みながら眠っていた。
いまはもういない。どこにも。
◆◆◆
厚労省異端審問課の資料室は、地下と一階がつながった高い天井の上まで本棚が積み上がっている。その上の方へハシゴで登った係長、笹山香がアルベルタに関する資料を発見した。
アルベルタ・アーベンシュタイン。一年前に港の倉庫で柚木珊瑚を殺害し、現在は霞ヶ関本部の地下深くに幽閉されている。その存在記録は十数世紀を遡り散見される、伯爵級の貴族種バイツである。
「ありましたよ、これ、五百年前の文献の写し」
白い合板のテーブルに、課長補佐、藪下巡はいくつかの資料を並べる。
「これ全部今から調べるんですかぁ?」
笹山が甲高い声で叫ぶと、藪下は肩をすくめた。
「まさか、ラテン語なんて読んでる暇ないでしょ。こういうときは先人の知恵を借りるの」
タブレットにコードを打ち込み、データを照会する。カメラ書影を捉え、データベースと照合する。
「参照論文を全文検索して、関わりの深い情報を探すの」
「うわ、ハイテクですねえ!」
「ハイテクって今時の子が使うの?」
「私、おばあちゃん子なので」
軽口を叩き会っているうちに、検索結果がソートされる。
「あの日、アルベルタが誘拐した子供は二人。一人は無事に解放されて、もう一人は犠牲になった」
藪下の言葉を受けて、笹山は答える。
「誘拐された子、片方はRHマイナスL型だったんですよね」
「犠牲になったのはそうじゃない方……あった、笹山さんお手柄、さっきの五百年前の文献に記録がある。『片方が呪われた血を持つ双子を誘拐し、呪われていない方を好んで殺し、呪われた子にその血を浴びせた』」
「この事件、まんまじゃないですか、じゃあ生き残った方って被害者の双子の」
「それが違うの、一緒にいたのはRHマイナスL型だけど、血縁者じゃない。被害者の双子の姉はそのとき自宅にいて、鎮痛剤の作用で眠っていた」
「アルベルタが……望んだ状態じゃなかった、ってことですか?」
笹山の指摘に、藪下は手元のファイルを開く。
「リストの、一番上を見て」
「柚木鬼灯……待ってください、この事件の被害者、柚木珊瑚と、双子。こんなの絶対に連れてきちゃダメじゃないですか。だって知らないんですよね、アルベルタが自分たちを集めてる、って」
藪下は額を抑え、頭の痛みをこらえた。
「この作戦を行うかどうかは、私たちの調査にかかってる。こうしていくつもの真実が明らかになれば、上の方も考えを改めてくれるはず、そうでしょう?」
笹山は熱くなった自分を恥じることもなく、笑顔になる。
「そう言ってくれるって信じてましたよ、藪下さん!」
◆◆◆
鬼灯にとっても、雛菊にとっても、木々の生い茂る公園での作戦は初めての経験だった。普段の街中と違い、行動の選択肢が広い。
「こちらモディー・ドゥー。三匹が移動中、カー・シー、グラシュテイン、接敵の準備を」
「こちらグラシュテイン。三体二、ですね、鬼灯先輩、じゃなかった、カー・シー」
「こちらカー・シー。無駄口を叩くなグラシュテイン」
他の場所でも戦闘が始まり、情報が錯綜する。スナイパーが追い込み、予定通り三匹のバイツが視界の中へと入ってくる。いつも通り引きつけて始末するわけにはいかない、油断を誘う余裕もなさそうだ。
鬼灯は距離をはかり、最も近いものに狙いを定める。
「お姉ちゃん!」
ターゲットから耳慣れた声を聞き、集中が一瞬途切れたとき、鬼灯は死を覚悟した。
間近に迫ったもう一匹が、かぎづめのように曲げた指を鬼灯の腹に食い込ませ、そのまま振り抜く。宙に浮きながら咄嗟に二発、当たったかどうかの確認もできないまま、鬼灯は立ち木の枝を折りながら幹に叩きつけられ、そのまま三メートルほど下の地面に落下する。
頭部を守りながら、転がって衝撃を分散させ、立ち上がろうとする。ふらつく視界の中で二本の十字架が森の中に鐘の音を響かせて黒く燃えていた。
その黒い炎の間から、一匹のバイツが鬼灯の方をめがけて走ってくる。
仲間を殺された怒りか、弱ったドナーを仕留めるためなのか、夕闇の森の中でその表情は見えない。
鬼灯は霞む目を開き、銃口を向け、そして気を失った。
寝苦しさに目を開ける。ベッドの上で管に繋がれて、白い天井を見上げている。薄暗い部屋の中、窓の外は暗い。首をねじるとミシミシと音がなる。長い間同じ姿勢で気絶していたらしい。ベッドの横にはみかんをむいている雛菊。その横にはあくびをしている牡丹の姿が見える。
「何を、してるの?」
ふと顔をあげた雛菊が人懐っこい笑顔で笑う。
「みかん、きれいにむいたほうが美味しいでしょ」
「じゃなくて、それ、お見舞い?」
喋ろうとすると、口がうまく回らない。普段ならそれで更に苛立つはずが、あまり心が動かない。
牡丹が鬼灯の顔を覗き込み
「折れていたのは肋骨三本と、左腕尺骨、左鎖骨、どれも手術の必要はないけど、固定と安静が必要なんだって」と楽しそうに語った。
「あん、せい?」
「そう。体が動かなくなるくらい、強烈な鎮静剤を投与されているらしいよ。暴れられなくて残念だね」
牡丹の軽口に、怒る気にもなれない。それが薬の作用なのか、自分の間抜けさへの諦めなのかもわからない。
そこへ、花束を持って、蜂屋が現れた。
「目が覚めた? なんで電気つけてないの? あ、雛菊勝手にお見舞い食べて! 牡丹もちゃんと注意してよね!」
あわてた姿が面白く、鬼灯は笑おうとしたが肋骨がうまく動かず息を吐いた。
まるでそうだ、できの悪い妹たちを叱る姉のようじゃないか。
自分は正しい姉ではなかった、妹のために何かをしてやれたことはなかった、だから鬼灯は蜂屋が隊長であることに、おそらくきっと、安心を感じているのだ。
自分が得られなかったものを、蜂屋なら与えてくれるのかもしれない。
双子には精神のつながりがあると、誰かに聞いたことがある。
鬼灯はそれを信じない。
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