自分ができること

 目的もなく歩きながら、今朝の夢について考える。あんな風にかっこいいヒーローになれないと分かったのはいつだろうか。自分より足の速い奴に出会った時だったか、自分より頭がいい奴に出会った時だったか、覚えてもいない。物語の主人公になんてなれないまま死んでいくことに気がついた時に、憧れは消えてしまった。違うな、考えを改めよう。上ばっかり見ていてもきりがない。今を考えよう。そうだな、それでいいじゃないか。普通の生活を手に入れることさえ難しい世の中だ。一番なんか目指さなくても、オンリーワンならそれでいい。


 その男はゆっくりと進む。車道沿いのコンビニの前を通り、閑静な住宅街へと抜けていく。


 やはり散歩はいい。頭がスッキリしてきた。そうだ、自分は受験生なんだ。下手なこと考えるよりもやるべきことがある。コンビニにエナジードリンクを買いに行こう。今日の分の遅れを取り戻さないと。将来の夢とかは、大学生になってからまた考えればいい。目的地が決まった足取りは迷いがない。軽やかに進み、入ってくる車を避けながら店に入っていった。


 人気のない道に重苦しい足音が響く。何かを探しているように、ゆっくりと丁寧に。


 店から出て、時間を確認する。下校時刻も過ぎて、高校生がいる方が珍しいような時間になった。目的は達したが、ふと今日は息抜きの日にしようと思い立ち、コンビニを通り過ぎて住宅街に入る。少し歩いたところで、ズン、ズン、という音が聞こえてくることに気づいた。珍しいな、工事でもしているのかなと思い、野次馬精神が働く。散歩がてら音の鳴る方へ行ってみようと、歩を進め始めた。


 男の対面から女子高生が一人歩いてきた。それを見た男はニヤリと笑い、全身を覆っていたコートを脱いだ。中から現れたのは、怪人だった。燃え上がる炎のような怪人が、そこに現れたのだ。


 俺はとっさに物影に隠れる。目の前の光景が信じられなかった。突如として目の前に怪人が現れた。フィクションの世界の生き物なんかではなかったのだ。俺の日常が音を立てて崩れさる。今まさに、目の前の怪人が女子高生を殺そうとしている。やばい、どうすればいい?俺にできることは?……いや、待てよ。そうだ、この世界が怪人の出る世界なら、それに対抗する存在が居るのが世の常だ。悪だけが幅を利かせる作品なんてあったら、間違いなくゴミ作品だ。俺にできることなんてないんだから、きっと誰かが助けに来てくれる。そう願うしかないのだ。


 女子高生は、呆然として、今目の前で起きていることが理解できていなかった。しかし次の言葉で、彼女は大事なことを理解した。

 「死ね」

 その怪人から放たれた冷たい一言は、彼女の思考をきれいに整理し、一つの結論を導いた。つまり、逃げなければ殺される。そう考えてからの判断は速かった。踵を返して走ろうとする。その瞬間、彼女の目の前が激しく燃え盛った。それが怪人の仕業だと理解するのは簡単だった。

 「もう一度言う。死ね」


 少したって、この世界は無常なのだということに気づいた。怪人が暴れていても、誰も助けになんか来ない。この世界はそういう世界らしい。全身に緊張が走る。そこで、胸ポケットに何かが入っていることに気が付いた。取り出してみると、黒い電池のようなものだ。そこで、俺は全てを思い出した。昨日、自分に何があって自分が何をしたのか。激しく頭が痛む。しかしそこに一筋光が差した。これがあれば、彼女を助けられるのではないか?今自分の状況を改めて考え直す。目の前に怪人がいて、女子高生を殺そうとしている。しかし俺はそれと同等の力を発揮することができる。そうか、俺はちょっとの勇気でヒーローになれるのか。あの憧れたヒーローに。今朝言われたことを思い出す。どうやらこれがそのチャンスらしい。そう思って、電池を握りしめる。確か昨日の男は胸の真ん中に刺していた。俺は大きく振りかぶった。


 彼女はなおも逃げようとしたが、体は動かなかった。腰は砕け、膝は震え、まともに立っていることもできなかった。

 「わかる、わかるぞ。お前は今、どうして私だけがこんな理不尽な目に合わなきゃいけないんだと思っているな?」

 怪人が口を開いても、彼女は黙ってそれを聞くのみだった。

 「俺が痴漢の冤罪を擦り付けられた時もそうだった。それはあまりにも唐突で、理不尽だった。誰も助けてなんかくれなかった」


 あとは胸に刺すだけなのに、できない。ふと見ると、腕が振るえていることに気が付いた。そして、電池を刺した自分がどうなったのかを思い出した。制御できず、ただ破壊だけを考えていた自分を。もう一度あの姿になる。そうすれば、俺が彼女を殺してしまうかもしれない。それどころか、誰も止められず、さらにひどい状況を招いてしまう可能性もある。もし変身しても怪人に敵わなかったら、俺が殺されてしまう。変身したところで状況は変わらず、むしろ悪化する可能性の方が高いのか。冷静になれ。自分がヒーローになりたいからとかいう一時の欲望で、恐ろしい結果にしてしまっては元も子もない。考えれば考えるほど、動くよりも動かない方が安全だ。やはり、助けてくれる誰かを待つのが一番確実だ。俺がヒーローになるチャンスがあったとしても、きっとそれは今じゃない。


 「でも俺は、ある男に電池を受け取った。それを刺してから人生が180度変わった。力を手にした俺は誓ったんだ。女子高生全員に、俺の苦しみを味合わせてやろうってな。あいつらの人生を、ひとつ残らずぶっ壊す」

 彼女には、もう相槌をうつことすらできなかった。体のどの部位も言うことを聞かず、目の前の恐怖を見ながら、ただ自分の死を待つのみだった。今までの人生が流れていく。走馬灯というやつだ。しかしそれは、振り返るにしても短い人生だった。

 「冥途の土産にしてもしゃべりすぎたな。じゃあ、死ね」

 怪人が腕にまとわせた炎が、どんどん大きくなっていく。まだしてないこともしたいこともいっぱいあったのに。嫌だ、死にたくない。生きたい。怖い。誰か、誰か、

 「誰か助けて!!」


 違うだろ!!

 彼女の声が、俺の思考をハッキリさせた。夢だからとか怖いからとかそういう話じゃない!怪人がどうとか、ヒーローがどうとかも関係ない!目の間に困っている人がいる、たったそれだけの話だ!迷ってる暇なんかない。電池を握りしめる。やるぞ、行くしかない。俺は、思い切り胸に突き刺した。


刹那、そこに少年の姿はなかった。


 静かな町に轟音が響く。振り下ろした腕をゆっくりと上げる。そこには何も残ってなかった。まるで、最初から誰もいなかったように。後ろを振り向くと、さっきまでそこにいたはずの女子高生と、それを抱きかかえた黒い怪人が居た。全てを飲み込むような漆黒の黒で、闇を司るような姿をした怪人だ。

 「おいお前、何者だ?」

 炎の怪人が言葉を投げる。黒い怪人は何も答えず、女子高生をそっとその場に降ろした。

 「なんだ、お前も怪人か。察するにお前にも目的があるんだろう?丁度いい。ここは一つ、手を組まないか?」

 そう言って手を差し出す。彼はゆっくりと近づいてきて、それに応えるように手を差し出した。が、次の瞬間、差し出された手は思い切り払われた。困惑している炎の怪人の顔を、力強く握った反対の拳が、思い切り振りぬいた。

 「ぐっ!」

 重い一撃を受けてすくんでしまい、二三歩後ろによろける。顔をあげると、距離をつめて間髪入れずに二撃目を繰り出そうとしていた。腕を引く、それを見て、とっさに腕で顔をガードした。だが、顔を守ったことでガラ空きになった体に膝蹴りが突き刺さる。それでひるんだところに、拳が思い切り突き出された。これを受けて、後ろの方に吹っ飛ばされた。

 「クソッ!!」

 黒い怪人は、再びゆっくりと歩を進めてくる。距離が離れたのを好機とみて、炎の怪人は炎弾を三発繰り出す。燃える火の玉がまっすぐ飛んでいく。だが、彼は歩みを止めない。炎弾は当たるかと思われた。しかしそれは、当たる直前で、まるで闇に飲み込まれるように消えた。彼に動揺している暇はなかった。気づけば目の前にいたその怪人に、二発殴打され、突き刺さるような蹴りをくらう。

 「クソが!」

 立ち上がり、走って距離をつめていく。力を込めて思い切り拳を突き出すも、相手は一切ひるまない。カウンターとばかりに、二三発殴り返される。それならばと、態勢を立て直してから、今度は炎を両手にまとわせる。炎はどんどんと大きくなっていく。そして強く拳を握りしめ、全力で突き出した。

 「“オーバーヒート”!!」

両手は相手の胸を刺す。炎弾とは違い、今度は確実に体を捉えることができた。確かな手ごたえを持って顔をあげたが、体に当たった瞬間に腕の炎は消えていた。渾身の一撃も、虚しい音が響いただけで、全く効いてはいなかった。そこへ組まれた腕が思いきり振り下ろされ、吹き飛ばされてしまった。強すぎる。勝てない。圧倒的な実力差を見せつけられた彼は、立ち上がって、叫び始めた。

「クソが!クソがクソがクソがクソがクソが!!何故お前は俺の邪魔をする!?女を助けてヒーロー気取りか?じゃあ俺は誰が救ってくれるんだ!冴えない野郎には救われる権利さえないっていうのかよ!偽善者が!醜い化け物が調子に乗るなよ!!」

 黒い怪人は、黙ってそれを聞いていた。

 「俺は被害者だ!悪いのは全部俺に痴漢冤罪を擦り付けてきたあの女なんだよ!!」

 そう言うと同時に飛び上がり、手を上に掲げ、頭上に大きな炎の玉を作る。

 「だから俺は復讐するんだ!俺の全てを奪ったあいつに!」

みるみる内にそれは大きくなり、街一つ程度簡単に消し飛ばせるほどの大きさになった。

 「何もかもぶっ壊れちまえ!!“災禍の太陽”!!」

 上に掲げた手を振り下ろす。大きな炎の玉は落下を始める。それに対し、黒い怪人は微塵も動かず、ただ片手をかざすだけだった。

 「それが……」

 炎の玉の落下は止まらない。突如現れた巨大なそれは、町全体に暗い影を落とした。

 「ハハハハハ!!全部まとめて消えちまえ!!」

 ゆっくりと地面に破滅が近づいていく。そして、かざしていた手が炎の玉に触れる。

「そんな力の理由になるかよ!!」

次の瞬間、今の今まで圧倒的存在感を放っていた炎の玉は消えていた。

「なっ……!?」

 かざしていた手を強く握りしめる。そして膝を曲げ腰を深く落とす。

 「ダークネス……」

 全身のバネを使い、炎の怪人の方へと飛び上がっていく。それと同時に、拳を前に突き出した。

 「パンチ」

 繰り出されたパンチが怪人を貫く。黒い怪人が着地した少し後、ドサッという重苦しい音が鳴った。


 彼女は何もできずにいた。体のどこも動かすことができず、張り詰めていて、感覚もほとんど機能していなかった。そうして、ついさっきまで自分を殺そうとしていた怪人が、一方的に蹂躙されているのを見ていた。ふいに頬が濡れる。それに気づいて顔をあげると、ポツポツと音がしてきて、雨が降り始めた。それはどんどんと勢いを増していき、すぐに土砂降りへと変わった。

 「ウオオオオオオオオオオ!!」

 黒い怪人の雄叫びが、土砂降りの街の中を駆ける。その声が告げるのは、始まりか、終わりか。

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Even if in the darkness, @jimo-fu

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