いいもの
ある日の学食。
混雑してる中、キラキラ目立つ榛野くんは大勢の人に紛れてる俺を見つけた。
「や。元気?ね、ウチこない?ケーキあるよ」
榛野くんは危ない奴だ。痴漢だ。
一度、この類いの甘言に乗せられて榛野くんの家に行ったことがある。きれいなマンションだった。そこで俺は、こともあろうに榛野くんにちゅーされたのだ。怖くなって裸足で逃げた。
「いらない。ダイエットしてるから」
嘘である。ケーキは大好きなのである。でも榛野くんは怖いのである。
「そっか…。それはともかく、チョコレートパフェっておいしいよね」
嘘がバレたのである。そう、俺は今まさにチョコレートパフェを食べていたのである。
ちょっとだけ良心が痛いけど、まあいいか。俺は榛野くんを気にせずにチョコレートパフェを食べることに専念した。
別の日。
英語の授業の前、俺が必死に予習してるとこに榛野くんが現れた。
「ウチ来ない?いいものあげるよ?」
いいもの…。なんだろう。お金かな。100万円とかかな。
はっ…!たとえいいものが100万円だったとしても、お金貰ってちゅーをするなんて。だめだめ。
ブルブルと首を横に振った。決して行かない。
「本当にいいものなんだけどな…?」
榛野くんは尚もそんなことを言う。なんだろう。いいもの…。メロンかな。100万円よりは現実的ないいものだな、メロン。
そんなこと思ってしまったから、俺はノートについ『めろん』と書いてしまった。それを榛野くんにバッチリ目撃された。
「メロンが食べたいの?」
俺は両手でノートを隠し、ブルブルと首を横に振った。メロンはいいものだけど、別に好きじゃない。あったら嬉しいけど。
また別の日。
四限目の講義が終わったあとのこと。女の子たちに囲まれた。モテてるわけではない。いびられてるのだ。
「あのさー。榛野くんに対して、あの態度なに?」
「ちょっと気に入られてるからって、生意気」
「いい気になってんじゃないわよ」
いびられてるけど、そんなに怖くないよ。本当だよ。ちょっとだけ嘘だよ。
とりあえず、女の子たちが言いたいこと言い終わるのを待とう…。じっと地蔵のフリして立ち尽くしてたら、どこからともなく出てきた。榛野くんが。
「なにしてんの?」
「榛野くん…!」
女の子たちは榛野くんの登場に顔を赤くさせた。さっきまでとは違って、すごく可愛い表情だ。すごいね。
だけど榛野くんは女の子たちに見向きもせず、憮然とした表情を浮かべて、ついっと俺に近づいた。
「こんなとこで何してんの?つまんないだろ、ウチ来る?いいものあるよ」
榛野くんは俺の肩をぐっと抱き寄せた。ひいいいい。ちゅーの思い出が…!
「いいいやあああ!」
この叫びは、女の子のものではない。俺のものだ。
俺はまるで変質者に遭遇した女子のように叫び声をあげて猛然と逃げた。…でも、いいものって何だろう。ケーキかな?ケーキじゃないかな?何だろう。気になるなあ。
またまた別の日。
今日はアルバイトの日。俺のアルバイトはお菓子工場で不良品を弾くバイトだ。
不良品といっても形が悪いだけ。だから、工場長はバイトやパートさんたちに商品にならないお菓子を分けてくれる。ここはとってもいいバイト先だ。天国かもしれない。
今日もいくばくかの収穫を手に、工場を出た。帰ったら食べよう…。フフフ。
スキップする勢いで家路に着いてたら、途中で榛野くんに出くわした。ぎゃっ。
「や。夜にひとりで歩いてたら危ないよ。バイトの帰りかな?」
するっと俺に近づいてくる榛野くん。怖い。夜だからじゃない。榛野くんが怖いんだ。
「いいものあげるから許してください…」
俺は工場で手に入れたお菓子を榛野くんに差し出した。榛野くんはお菓子の入った袋と俺を交互に見て、クスクス笑った。
「いいもの、か。そうだね。でもそれは俺にとっていいものじゃない」
「…そう」
よかった。じゃあこれは俺のだ。しゅっと手を引っ込めて、俺はお菓子の袋を握りしめた。だけど…。俺は榛野くんが怖いから、榛野くんにいいものあげようとしたけど。
でも…?
「榛野くん、どうして俺にいいものくれようとするの?」
俺がそう聞くと、榛野くんは珍しくキョトンとした。いつものカッコイイ、俳優さんみたいな綺麗な笑顔じゃなくて、キョトン。
「…え?だって、好きだから。言ったでしょ、キスしたときに」
好き?
「きーてない」
ちゅー事件のことは、あまり記憶にない。きれいなマンションと、裸足で逃げる自分のことしか覚えてない。
「そこは聞いておいてよ。…で、どうする?ウチに来る?いいものあげるよ」
榛野くんは俺のことが好きなのか。だからいいものくれるのか。いいもの…。何だろう。気になってるんだ。いいものって何かなって。
「どうしようかな…いいもの…。いいものって、本当にいいもの?」
心が動かされつつある俺は、榛野くんに聞いてみた。すると、榛野くんはすごく綺麗な笑顔で頷いた。
「もちろん」
「変なことしない?ちゅーしない?」
「しないよ」
榛野くんはすごく誠実そうに頷いたので、信用することにした。ちゅーされないなら、行きたい。いいもの欲しい。
「じゃあ、行こうかな」
俺の返事に、榛野くんはものすごく満足そうに頷いた。いいものって何だろうな。
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