幽霊

「一緒に行ってみる?」


夜の街で遊ぶのが好きという友達に誘われた。

どこに行くかというと、クラブなるものだ。大学デビュー、いや、もう大学二年なので何デビューになるのか。まあ、そんなことはどうでもいい。クラブ!夜の街!オトナ!


俺は意気揚々と友達についてった。

そして後悔した。ううん、ナニゴトも経験。経験しないと分からないことがある。まあとにかく俺には合わなかった。うえーいのノリについていけなかった。


俺は友だちに断りを入れ、敗残兵のごとくクラブから逃亡した。そのままキラキラした夜の街を脱出して、どこかネットカフェに朝まで立てこもりをしようと思ったのだけど。


街を脱出する前、キラキラした街の一角、古びたビルの前に小さな看板。

看板の奥には階段があった。看板を見ると、カフェのようだ。この階段を下りると、カフェがあるのか。もう日付が変わる時間なのに。さすが夜の街。

クラブからは逃亡したけど、カフェなら怖くない。せっかくだし、話のタネにカフェに入ってみようかな。


狭い階段を下りると、木のドアがあった。

カラン、と小さなドアベルの音。お客さんはいなくて、マスターとおぼしき渋いおじさんがいた。


どきまぎしながら奥まった席に座り、コーヒーを注文。さっきのクラブみたいな騒がしい音楽とは対照的に、ここではゆったりとしたクラシックが小さな音で流れていた。


うとうと。

眠くなってきた。

コーヒーを飲んで目を覚まそうとしたけど、このコーヒーには魔法が掛かっているのか俺の瞼はどんどん重くなる。


と、眠りの世界へ旅立ちかけたそのとき。


ぎしっと音がした。誰かが椅子を引いた音。


「こんばんは」


目をパチパチ。俺はひとりで来たはずなのに、誰かがテーブル挟んで向かいにいる。誰だろ。もう一回、目をパチパチ。よく見て見ると。知らない人だけど、とってもいけめん。いけめんの中のいけめん。


「こ、こんばんは」


いけめん相手に声が上ずる。なんだろ。どうして俺に声をかけたのかな。寝てたから注意されたのかな。


「この店は初めて?」


「う、うん」


俺は説明した。友達に誘われてクラブに行ってみたものの、途中で逃走したと。


「そうなんだ。ボクもクラブとか騒がしいところは苦手なんだ。この店は落ち着いてていいよね」


うんうん。俺は頷く。クラブは俺には合わなかった。うるさいのは合わない。この店のほうがいい。だけど、うるさくても、子どもたちの声がする休日の公園は好き。ベンチでぼんやりするんだ。不審者って思われないように公園ローテーション組んでる。

あと、ウチの近所を深夜に散歩するのも好き。だけど神社の近くはちょっと怖いから早足で通りすぎるんだ。


ぺらぺら。ぺーらぺら。


俺は初対面のいけめん相手にいろいろ話してしまった。

いけめんは「そっかー」「わかるわかる」なんてニコニコ相槌打ってくれた。だからついついぺらぺらぺらと話していたが、いけめんが腕時計に目を遣った。


「そろそろ閉店の時間だ」


クラブからの深夜の隠れ家カフェ。そしていけめんとの出会い。なかなかレア体験だった。と、今日の出来事にひとり満足していたその時。


「このあと、一緒にどう?ボク、ひとりで寂しかったんだ」


ひとりでさびしかったんだ。


なんだ、これは。映画か小説かで聞いたことあるセリフ。なんだったっけ、あ、そうだ。幽霊だ。幽霊が仲良くなった人間を連れて行くやつ…。


丑三つ時。目の前にはいけめん。冷静に考えたらさ、このいけめん、いけめんすぎない?幽霊じゃない?映画とか小説に出てくる幽霊って大抵美形じゃない?

ていうか、この店もヘンじゃない?キラキラした夜の街に場違いな感がありありじゃない?マスターもヘンじゃない?注文したときもコーヒー運んでくれたときも、マスターはひとことも喋ってなくない?


………。


やばい。


おばけの世界に連れてかれる。


「あの。ごめんなさい!」


テーブルにコーヒー代を置いて俺は逃げた。再びの逃走劇。さわがしくって自分には合わないと思ったクラブが今は懐かしい。あそこは騒がしかったけど、生きてる人間だった。



そんな恐怖体験があってからの数日後。


「こんにちは」


昼間の大学。空きコマの時間にベンチでぼんやりしてたら、声をかけられた。


「………あ」


幽霊だ。いけめんの幽霊だ。昼間なのに現れた。俺の目の前に。どうあっても俺を連れて行く気か。


「同じ大学だったんだね。また会えてよかった」


ん?幽霊じゃないのか?そうかも…体が透けてないし。


「この前は急だったよね。驚かせてごめんね」


「…俺も、逃げてごめんなさい。てっきり幽霊かと」


いけめんはキョトンとした。だから俺はかくかくしかじか。あの店もマスターもいけめんも、幽霊かと思ったと。


「そんなわけないでしょ」


いけめんはアハハと笑って、近くを歩いてる女子たちがいけめんにポーっとなってた。


「そっか、幽霊だと思ったんだね。大丈夫だよ」


いけめんは俺の手を握った。確かに。血が通ってるあたたかさ。あの夜は、悪いことしちゃったな。いけめんは寂しかったんだ。それなのに置いて帰っちゃった。


「ひとりで寂しいなら、俺、一緒にいるよ」


そう言うと、いけめんはもっと笑った。


「じゃあ早速よろしく」


だって。

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