呪いのアプリとの決別
「真崎壮人さん、落ち着いたらまたお話ししましょう。岡野さん、帰りましょう」
そう言うと、まりかはカルトの袖を引っ張り、帰ろうと暗黙の中で指示する。カルト自身、自分で考える力はもうなくなっていた。もう、精神がからっぽの死体だけがこの世に存在する結。心がからっぽになったカルト。その現実を受け止めることが今しなければいけない。わかっているが、どうにも力が出ない。
「警察には私が連絡しました。捜査本部の城下さんに伝えておきました。結さんが亡くなったのは目の前にあった呪いのアプリが原因ですからね」
まりかが言う。
「あぁ」
足と手の感覚がない。力が入らない。彼女を助けるために仕事をしていた。彼女のために徹夜もした。でも、彼女の心は真崎壮人にあった。
「俺、一体何してんだろ……」
「今日はうちに来てください。空き部屋もありますし、兄も親も岡野さんのことを信頼しています。おいしいご飯と温かいお風呂とふかふかの布団で寝てください。人間、辛い時は、普段通りの生活と、人間としての基本的欲求を満たすのが一番です」
答えることもできないほど憔悴しきったカルトは言われるがまま、ただ出された夕食を食べ、風呂に入り、眠った。夕食の味はわからなかったし、半分も食べられなかったような気がする。お湯の感覚もわからず、ただ、湯船に浸かり、味のしない飯を口に運ぶ。人間は、基本的欲求がありそれが満たされることは生きるために必要なのだろう。そんなふうに解釈する。
とりあえず、心を休めよう。でも、まだ課題があった。まりかの呪いのアプリだ。仕事は終わっていない。そう思いながら、眠りについた。
どれくらい眠ったのだろう。ずっと眠ったまま時が止まればいいとカルトは独りよがりな欲求を持っていた。心身共に疲れたというのが本音だった。しかし、死んだように眠った後、カルトは我に返った。自分に嫌気がさすほど嫌なことがあった。でも、俺は刑事だ。この事実が自らを鼓舞する。
まだ生きている大切な友達の妹を助けなればいけない。死んだ人間ではなく、生きている人間のために、解決しなければいけない。呪いのアプリをどのようにまりかから遠ざければいいのか、それは大きな難題だった。
心配した様子の芳賀瀬とまりかが翌朝出迎えてくれた。なんて声をかけたらいいのか言葉が見つからない様子だ。すっかり正気に戻っているふりをするカルトにまりかが声をかけた。
「まずは、お味噌汁でも飲む?」
まりかが最初に声をかけた。
「そうだな。和食もいいな。俺、洋食も和食もどっちもイケるクチだから」
ほほ笑もうと必死に口角を上げる。筋肉が無情にも引きつるのが辛い。
「まりかは大丈夫だ。まりかが呪いの子どもと直接交渉する。結さんとのこと、聞いたよ。お前にはなんて言葉をかけていいかわからない。でも、呪いのアプリはなんとしてでも解決せねばな」
兄の芳賀瀬が心配そうな顔をしていた。元々優しい性格の芳賀瀬は全面的に優しさを見せないが、実はとても優しい人間だ。
芳賀瀬兄妹はとてもよく似ている。
顔は全く似ていないが、あまり言葉に表さないところ、案外優しいところが似ている。
ただ、味噌汁を飲む。一口目は格別な味がする。白飯も同様だ。一口目はやっぱり、黄金の味だ。生卵にしょうゆをちょっとばかりかけて、ご飯に乗せる。黄金の朝飯の出来上がりだ。たまごかけごはんは、栄養価に優れていると聞いた事がある。今日の朝食には「おもいやり」という隠し味が入っていることに気づく。芳賀瀬の家族のまなざしはとても温かい。お母さんとお父さんも穏やかでいつも思いやりに溢れている。この両親の元で育った二人はおのずと温かな人間になったのだろうと思いを馳せながら卵を混ぜる。
俺、今日も生きてるんだな――そんな当たり前を実感する。
今日の朝飯は心に沁みるなぁ。みそ汁の味を味わいながら、自然と涙が流れる。
「岡野さん?」
いち早くまりかが気づく。歳甲斐もないと涙をぬぐう。恥ずかしいと思い目を逸らす。
「結さんはきっと事情があったのかもしれない。アプリの恐怖から立ち去るために、あえて入籍の形を取ったのかもしれない」
年下の高校生に慰められるとは、と自分自身に呆れる。
「付き合うってなんだろうな。朝飯を一緒に食べた記憶がないことに今更気づいたよ。二人で食べるとしても、外食かコンビニ弁当が多くてさ。結は料理が嫌いで、俺も料理は苦手。心に沁みる手料理を味わって一緒に食べるっていう経験がないんだ。でも、今朝の朝飯は天下一品だ。ありがとう」
「褒めても何も出ないよ」
朝食を作ったまりかが嬉しさを隠せない様子だ。
「少しずつでいいのだ。前を見よう」
芳賀瀬も何気に優しい。あぁ、芳賀瀬志郎という男と友達になってよかった。心から思う。
「入籍して立花ではなく真崎結という本名を知っているのは、秋沢葉次のみ。結さんのスマホにアプリが入っているということは、彼が呪い主だと断定できる。幻人の力で遠隔操作でアプリを入れたとしか思えない。威海操人は幻人であり秋沢葉次。私が呪い主を特定しても殺さないでほしいと呪いの子どもに言ったの。彼には、生きて償ってほしいと思うから。約束してもいいと言われた。ちゃんと当たればアプリは消えるということも保証されたよ」
「じゃあ、正解すれば、呪いの子どもは消えるけれど、呪い主は死なないということか?」
「そうなると思う。呪いの子どもは今までの様子だと嘘はつかない。だから、大丈夫だよ」
「譲渡はしないのか?」
「するわけないでしょ。他人に死を押し付けるなんておかしいでしょ」
正義感の塊のまりからしい。
「でも、呪いは誰かに勝手に押し付けられたわけだろ? それで納得なのか?」
「私は気持ちよく生きたいから」
太陽の光がまりかの頭上を照らす。一瞬、体が凍てつく。
そこにいるのは生身の人間なのだろうか? 影と光の間でまりかの身体は不思議なオーラに包まれているようだった。神々しいという言葉を初めて体感する。
嘘が嫌いで、他人に不幸を押し付けない慈悲の女神のようだった。
譲渡のために入籍した結。彼女の本心が本当は壮人を好きだったのならば、ずっと気持ちを欺いていたのだろうか。カルトのせいで結は好きという気持ちを隠していたのだろうか。どちらにしても腹黒さが見え隠れしていた。まるで黒いもやに包まれたようなイメージが拭えない。付き合うという意味がわからなくなっていた。
スマホに向かってまりかが呪いの子どもに話しかける。
「呪いの子ども、呪い主は、威海操人と名乗る秋沢葉次でしょ。幻人も秋沢葉次が操る架空の人物。でも、秋沢を殺さないでね。そして、ここにいる私達を今後は呪い殺さないで」
呪いの子どもはまばたきをせず、一瞬フリーズする。
「正解。やっぱり殺さないでと言うと思った。甘いなぁ。でも、もう君たちを呪わないよ」というとそのまま扉の向こうに消える。そして――スマホのアプリは煙にまかれたかのように一瞬にして消えた。やっぱり、秋沢葉次が犯人だったということだ。アプリは嘘をつかない。
その後、あんな事件が起こるとは思わなかった。まさか、ヨージが直に鉄槌を下すなんて――。こんなにも深く恨みをもっていたなんて――。
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