XI-地獄と心中




 翌日、あたしは──否、私は、学校に行った。


 クソ親父、改めお父様が、私が学校に行くところを見届けないと仕事に行かないと言うから。校門までお父様に張り付かれて、同級生の奇特なものを見る視線に晒されて、私は久々にこの「普通じゃなさ」で惨めな思いをした。


 昨日といえば散々で、しかしそれは日常だった。かつて日常だったものが帰ってきただけだった。叱責と罵倒、平手打ちされた頬の痛み、スカートに隠れた根性焼きの痕。惨めで痛くて冷たいが、心と身体を切り離してしまえばどうってことはない。


 どうして忘れていたんだろう。私は所詮、この家にいる限り自由になんてなれないこと。すーちゃん、いや、天津さんと友達になったような気になって、自由になったと勘違いをしていた。


 私には寝たふりでやり過ごす休み時間や、教室の隅で背を丸めて食べる冷たいお弁当や、寄り道ひとつせず一人でまっすぐ行き帰りする登下校の道や、1999年に終わったりなんかしない世界、そういうものがお似合いだったのだ。


「京子、おはよう。大丈夫だった? 色々と」


 そんな気分を抱えながら机に突っ伏していると、天津さんの声がした。


 我ながら単純だった。1999年より前の、暗闇みたいな気持ちに、一片の光が差したような気がして。


 あたしは思わず顔を上げてしまった。

 ──それでも、それだけだった。


「………………私に何か用事? 天津さん」


 私を地獄に引き戻したお父様に植え付けられた、仄暗い感情。颯葵さんに「あなたの心は固い器で覆われている」みたいなことを言ったけれど、それで言うなら私の心はそれこそ強固な、うんと固くて光の差さない器の中にあった。


 天津さんとの関係もこれっきりだ。私が間違った感情を抱いたことも、颯葵さんの嘘を守らなきゃいけないことも、これで終わりにできる。


「……『天津さん』?」


 怪訝そうに聞き返す彼女。ごめんね、あなただって私以外に友達なんていないんだから、あなたのことも私と同じ地獄に連れ戻してしまうのかもしれないね。


 地獄で心中しよう──ふと、そんなフレーズが頭に浮かんだ。ロマンチックな響きだ。私のいる地獄にお似合いの、素敵な響きだと思う。



 そうだ、心中。

 ──それでいい。それがいい。



「天津さん」


 私は彼女を見つめる。たじろいだ様子を見せつつも、目を逸らさずにいてくれる。


「今日の昼休み、屋上に来て」


 それだけ言うと、私はそれ以上話すことはないと言わんばかりにまた机に顔を伏せた。天津さんは「……分かった」とだけ返した。本当はすぐにでも授業をサボって屋上に行きたいけれど、そんなことはお父様が許さない。


 彼女はそうなのだ。私が心を閉ざせば、それを無理にこじ開けるようなことはしてこない。人との距離を一定以上縮めようとしない。彼女の心もまた、固い器に入っているからそうなのだ。颯葵さんもきっとそうだ。だから嘘でできた仕事ができるのだ。


 いつか家を出たら、颯葵さんみたいに夜の仕事をしてみるのもいいかもしれない。今の私ならきっと向いている。



 もっとも、そんな日は来ないんだけど。

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