Ⅷ-利害と器



「黒服? ああ、燈子がそう言ったのね」


 颯葵さんは、ケロッとして言い放った。


「嘘に決まってるじゃない。普通にキャストの方よ」


 まぁそうか。あたしは拍子抜けしてため息をつく。


「なんでまた、そんな中途半端な嘘をついたんですか? 普通にコンビニの夜勤とか言っておいた方が無難だったんじゃないですか」


 不思議に思って私が尋ねると、颯葵さんはケラケラと笑った。


「京子ちゃん、分かってないね。嘘をつくときは真実に近ければ近いほどバレにくいのよ」


 そういうものだろうか。


「私、嘘つくのは得意なの。燈子は私のことすごいって言うけど、燈子が羨ましがった普通の人間関係とか、流行に乗れてるふりとか、全部嘘の上に積み上げられたものなのよ。だから嘘を取り払ったら全部崩れる。私の今の仕事──接客も同じね」


 颯葵さんは得意げにそう言ってみせた。これは得意げっぽい「嘘」で、本当は得意になんか思っていないことは一目瞭然だった。


「嘘の極意はたったの二つね。一つは可能な限り真実に近づけること。そしてもう一つは、絶対に崩れない範囲でだけ嘘をつくこと。一箇所崩れたら全部崩れるからね、嘘ってのは」


 颯葵さんは強い人かもしれないけれど、きっと寂しい人だ。そしてすーちゃんの言ったように、弱いところもたくさんある人だ。それを、ある時は「姉」という立場で、またある時は「夢を追ったから」という責任で、自分にも他人にも覆い隠してきたのだろう。

 そしてこの人は、存外その隠し方が雑だ。


「……颯葵さんは、自分で思ってるほど嘘が上手くはないと思います」


 あたしは氷を──ドリンクバーから持ってきたメロンソーダに浮かぶ溶けかけの氷を、見つめながら言った。


「颯葵さんの『嘘』は固いんです。固い器で、液体の心を覆ってるから……器が割れたら、きっと同じ形には二度と戻らない」


「……抽象的な話ね。哲学?」


「本当に強い人は、ぷるぷるのゼリーみたいな心をしているんだと思います。揺れるところも、傷がつくところも丸見えだけど、修復も簡単です。そういう人は薄皮を張るみたいに嘘をついて、嘘が破れても大したことにはならないようになってるんです」


「私は違うっていうの?」


「ええ。ついでに言えば、すーちゃんも」


 すーちゃんと颯葵さんは似ている。固い器に心を入れて、絶対に中身を見せてくれない。その器を嘘と呼ぶのなら、確かに颯葵さんの嘘は丈夫な嘘なのだろう。


 でもそれは、器用な嘘のつき方ではない。


「あたし、すーちゃんの心の中身が見たいんです。それで、颯葵さんの心の中身も見てみたい」

「……私たぶん、あなたが思っているほど真面目でもないし弱くもないよ。他の女の子のお客さんとか平気で取るし」


「それはよく分かりませんけど」


 お客さんを取るとか取られるとかあるのか。


「別に、颯葵さんやすーちゃんが弱いって言いたいわけじゃありません。ただ、危ういと思うんです。一回壊れたら、二度と直らないから」


 あたしがちゃんとした嘘のつき方をできるとは思わない。これは言うほど簡単なことではないと思う。人のことなんて言える立場じゃないのだ。


 でも、もしいつかあたしの目の前で、その嘘が壊れてしまったら?


 全部がバラバラになって、キラキラ光る破片になって、手遅れになっていくところを、あたしはただ見ているしかないんだろうか。


 そんなのは、嫌だ。


「…………あなたは燈子が心配なのね」


「すーちゃんだけじゃありません。颯葵さんも……」


「でもどちらかといえば燈子の方が心配でしょう」


「それは……」


 颯葵さんはお見通しよとでも言いたげに笑う。あたしは何も言えなくなってしまった。図星だったからだ。


「安心して。私だって燈子が心配であなたに接触したんだから。お互い様だし、これは利害の一致よ」


「そうでしょうか」


「あなたは燈子の知らない部分を知りたい。私はそれを提供できるわ。で、私は燈子の近況が知りたいしあなたはそれを提供できる」


 利害の一致。颯葵さんの秘密や弱いところを何となく知ってしまった今、颯葵さんとの関係をそれだけで片付けられるのは少し寂しかった。関係って言ったって、まだ二回会っただけの仲だけど──利害の一致で片付けるのは、すーちゃんに秘密を抱えることを考えたら割に合わない。


「颯葵さんって意外とドライですよね。ドライなふうに振舞ってるっていうか」


「これも嘘だって言うの?」


「嘘とまでは言いませんけど」


「演じてるって言いたいのね。……まぁ、こればっかりは仕事柄ねぇ……利害が一番信用できる世界だから。許してね」


 颯葵さんは笑った。もしかしたらこの利害という言葉は、颯葵さんからあたしに贈られたせめてもの誠実さなのかもしれない、と思った。

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