Ⅱ-異端と異端



 天津さんは手強かった。友達なんか要りませんとばかりに休み時間は決まって文庫本を開き、下校も移動教室も最速、昼休みは図書室に篭りきりで、全くと言っていいくらい隙がなかった。


 あたしは正直なところ、天津さんに憧れすら抱いていたのだ。あんなに堂々と「異端」をやる人間は、今まであたしの世界にはいなかった。2000年に生まれたあたしの自我はまだ一歳と数ヶ月、自由にしようにも縛られてきた時間が長すぎて、あたしには知らないことが多すぎた。だから、周りと同じように「自由」をやれないことを、恨んで、羨んで、たまに泣いたりした──ところがこの天津燈子という女の子は、むしろ自ら「周りと同じであること」を突き放しにかかっている。これが自由ってことなんだ、あたしはそう思った。


 天津さんと友達になって、はじめて本当に自由になれるんじゃないか──なんて、勝手なことを思ってみたりもした。




 チャンスが訪れたのは文化祭の時だった。天津さんは文芸部だから、当然、文化祭で文芸部が出す部誌に作品が載っているはずだ。


 あたしは迷わず部誌を買った。一冊五百円のコピー本は酷く薄っぺらくて、文芸部存続の危機を物語っている。目次を開けば案の定、作品数は三つときたもんだ。天津さんの作品は部誌のいちばん後ろ──トリとでも言うべきところに載っていて、やっぱり天津さんはすごいんだ、なんて、あたしはそんなことを思った。


 天津さんの作品は、普段の天津さんからは想像もつかないほど甘やかで素敵で、ふわふわしたお伽噺だった。舞台はここではないどこか、ファンタジーの世界で、空想の生き物たちが突拍子もない物語を繰り広げる。その中にたった一片の現実とも言うべき何か、あたしたちもよく知っている何かが紛れ込んでいて──机を運ぶとき指に刺さるささくれ立った木片とか、裸足で歩いていてうっかり踏んでしまったガラス片とか、そういうものみたいに、ちくり、と心を刺して、そこからじくじくと痛みが広がっていくみたいな。

 天津さんの書く物語は、そういう物語だった。


「天津さん!」


 あたしは気付けば、天津さんに声をかけていた。文芸部の先輩と思われる人と話をしていた天津さんは、驚いたようにこちらを振り返った。


「何? えっと……」


「京子! あたし、市杵京子って言って、その、天津さんのクラスメイトなんだけど」


「クラスメイトなのはさすがに知ってるかな。……私に何か用事?」


 天津さんは不思議そうにこちらを見ていた。天津さんがクラスメイトと話しているところなんて見たことがないし、そりゃ突然話しかけられたら驚きもするだろう。あたしは言葉に詰まった。あたしには友達がいない。友達の作り方なんて、本で読んだやり方しか知らない。知らないけど、天津さん相手なら──むしろ本で読んだやり方しか、通用しない気がする。


「部誌、読んだの! 天津さんの作品、すごく好きで……ていうか、あたし、そもそも入学式の日に自己紹介を聞いた時から、天津さんに憧れてたっていうか、その」


 声が震える。

 別に友達にならなくたっていいじゃないか。友達になったところであたしの世界は狭いから、共通の話題なんてないかもしれないし。あたしなんて、大した人間じゃないから、天津さんと釣り合わないかもしれないし。どうせ、あたしは、あたしの自我は──まだ、一歳と数ヶ月。なんにも知らない、赤ん坊なんだから。


 でも。


 それでも──あたしは1999年に一度死んだ。2000年からのあたしは、もう親父が囲った世界だけで生きていけるほど、我慢強くもないから。


「あたしと、友達になってくれない?」


 言った。

 あたしは、遂に言ったんだ。親父、聞いてるか? あたしはあんたの作った世界から、出て行かせてもらうんだから!


「天津ちゃん! 良かったじゃ〜ん!」


 言葉を発したのは、文芸部の先輩だった。


「市杵さん……だっけ? 天津ちゃんさぁ、もう入学してこんなに経つのに同学年に友達いないんだってよ! いやぁ、天津ちゃんがこのまま一人だったらどうしようかと思ったよ〜!」


「せ、先輩! 余計なこと言わないでください!」


「はっはっは! いや〜良かった良かった! そんじゃ、ババアはこの辺で退散するから! あとは若い二人でよろしくやんなさい!」


 そう言い残し、先輩は去って行った。……なんて騒々しい人なんだ。


「なんかごめんね……先輩、ああいう人でさ」


「元気な人なんだね……」


「まぁ、そうとも言うよね」


 天津さんは仕方なさそうにため息をついた。


「……っていうか、私の自己紹介、覚えてるの?」


「そりゃもう、ばっちりと。あれを聞いてあたしは天津さんと友達になりたいって思ったんだもの」


「お願い……恥ずかしいから忘れて……」


 顔を覆う天津さん。わざわざ丸眼鏡の下に手の平を滑り込ませるあたり、芸が細かいなと変なところに感心する。


「……京子」


「えっ」


「……って、呼んでもいいかな」


「そんな、恐れ多い」


「何だそりゃ」


 天津さんは笑った。思えばあんなに彼女を目で追ってきたのに、笑顔を見るのは初めてだった。


「じゃあ、あたしは天津さんのこと……すみこ、だからすーちゃんって呼ぼうかな」


「普通に呼び捨てでいいのに」


「それはちょっとハードルが高いっていうか……」


「京子って変わってるんだね。まぁ、私なんかと友達になりたいくらいだからそりゃ変わってるだろうけど」


「ひどい!」


 あ、こういうやり取りってちょっと普通に女子高生っぽいかも。


 あたしも天津さん……もとい、すーちゃんも、全然普通じゃないし、今更普通になるなんてきっと無理だけど。でも、普通じゃない同士で普通に友達になれるのって、ちょっといいかも。あたしみたいなはぐれ者に用意された「救済」っていうの?


「あま……えっと、すーちゃん」


「何?」


「よろしくね」


 あたしは右手を差し出した。すーちゃんの右手が、それを掴んだ。


「うん、よろしく」

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