1999年

木染維月

Ⅰ-1999年7月

 これは、あたしが一番幸せだった頃の記憶。







 あたし──つまりは市杵京子のことなんだけど、「あたし」っていう一人称を使うようになってからそこそこの年月が経つ。あたしの親父はとっても厳格で、逆らうことなんて絶対許されなくて、こんなところで「親父」なんて呼んでいるのがバレたら冗談抜きにゲンコツが飛んでくる。あたしは親父、もといお父様のお人形だった。そして一人称も「あたし」なんていい加減なのは許されなくて、家ではきちんと「わたし」と発音しなければいけなかった。


 なーんて、そんなことはどうでもいいのだ。誰だって、他人の家庭事情や過去になんて興味はないもの。とにかく重要なのは、あたしがお父様のお人形だったこと、それゆえに自我らしいものがあんまりなかったこと、そして当時は1990年代も終わりかけで、世紀末がどうとか大予言がどうとか何とか、世間がてんやわんやだったってことだ。


 みんなが1999年を恐れていた。世界が滅亡するって怯えてた。1998年、あたしは中学一年生だった。中学校のクラスメイトたちはみんな、世界がどんなふうに滅亡するか、なんて話題でキャーキャー言っていた。中には本気で怖がっている子もいたし、そうでなくともみんな心のどこかで不安だったと思う。まぁ、あたしは流行のひとつもマトモに知らなかったし、俗な文化に染まると困っちゃうので、そういう会話を傍目から見てただけなんだけど。(誰が困っちゃうのか? というのには、言及しないお約束だ。)

 あたしの家族だって例外じゃなかった。お母様は結構本気で怖がってたと思う。お父様はあまりそういう素振りを見せなかったけど、世間が騒がしいのを鬱陶しく思っているみたいだった。とにかくあたしの周りは、誰一人として1999年を歓迎していなかったの。ま、人類が滅亡するなんて言われちゃ当然だよね。


 でもあたしだけは、1999年を心から楽しんでいた。


 正確に言うのなら、あたしは1999年そのものが楽しかったわけではない。1999年の7月、世界が終わるその瞬間を心待ちにしていたのだ。うちの家族はテレビを嫌ったのであたしは当時のニュースにあまり明るくないんだけど、それでも大きな事件や暗いニュースが飛び交っていることは何となく知っていた。バブルも弾けたことだしね。これは順調に世界が終わりに向かっているのだと、あたしはそう信じて疑わなかった。いいぞ、このまま全部終わっちゃえ。だんだんおかしくなって、1999年の7月が来たちょうどその時、何かしらの不思議な力がはたらいて、全部バラバラになって、あとには何も残らないのだ。でもこの世界の終わりってたぶん人類滅亡のことだから、人類だけが世界っていう考えってことになるよね。それってちょっと傲慢じゃない?


 これはあたしが初めて抱いた、自我らしい自我だった。お父様が──あのクソ親父がカラスは白だと言えば、カラスは白色だった。何も考えなければ楽だった。考えることをずっとやめていた。

 親父が歓迎しない1999年を、あたしは心待ちにした。世界の終わりと人類の滅亡を大真面目に祈っていた。これは、あたしが初めて抱いた自我で、だから、結構トクベツな記憶だった。






 程なくしてあたしは中学校を卒業し、高校に入学した。



 親父からは茶道部に入るように言われていて、だからあたしは茶道部に入った。2000年を境にあたしは変わった。世界は終わらなかったけど、よく考えたらどうせそのうち親父もあたしも死ぬんだから、好きに生きてやろうって決めた。そしたら不思議と親父のことも怖くなくって、高校受験のシーズンは自分から塾通いを希望して自習室でテキトーにサボりをする、なんていう悪知恵もはたらいていた。高校は親父が行けって言ったところからわざとランクを一つ落としたところを受験した。幸い親父が行けと言った高校とランクが一つ下の高校は名前がよく似ていたから、願書を出すときに間違えちゃったということにした。まぁそれでも怒られるけど、あたしが熱心に塾通いをしていた(ということになっている)のはお父様だってよく知るところだから、お父様とてあんまり強くは出られない、はず……なんて思っていたのだ。ちなみにこれは全くの見込み違いで、予想の五倍くらいけちょけちょんに怒られた。


 それでも入学してしまえばこっちのもの。あたしは明確な意思をもってあのクソ親父に逆らった、そしてその意識はあたしを更に自由にした。解放された、許された、何となくそう思った。部活の活動日も両親にはあらかじめ嘘を伝えて、部活がある前提で決められた門限まであたしは寄り道を堪能することができた。


 まぁでも、友達はできないかな。あたし、女子高生がしそうな話題なんて何一つ知らないもの。

 そう思っていた。



 それでも新しい時代は来るものだ。あたし達の世界は相も変わらず教室と家だけで完結していたけれど、その教室は、中学校までより少しだけ広かった。


 だからあたしは、見つけたのだ。

 入学式を終えて、クラスで行われた自己紹介。出席番号一番──教壇に立ったその子は、三つ編みを垂らし、丸眼鏡をかけ、文庫本を小脇に抱えて、堂々と言い放った。


「出席番号一番、天津燈子。1999年に世界が終わってくれなかったので、仕方なくここに進学して来ました。文芸部に入る予定です。よろしくお願いいたします」


 ──この時あたしはこの変な子と、友達になってやろうと決めたのだ。

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