宗像は振り返ると、カメラを探した。暖炉の上にはいくつかの写真立てが並べられて、宗像と亜佐子の幸せそうな笑顔が収まっている。その間に、小さな丸い広角レンズの光が見えた。

「あれか……」

 宗像は暖炉に走ると、写真立てを薙ぎ払ってカメラを掴むと、そのコードを引きちぎった。息が急激に荒くなっている。

 西田が言った。

「もう、遅いですよね。僕がいない間に何が起きたのか、全部ネット中継されちゃいましたから。実は、読者にはサプライズとか言っておいて、亜佐子さんの誕生パーティーをダラダラ見せるつもりだったんです」

「なぜそんなバカなことを……?」

「その分、第四幕への期待が高まって宣伝効果も抜群だと思っていたから……。でも、本当に強烈なサプライズになっちゃいましたね。あなたは亜佐子さんを殺した。僕たち2人をゴーストライターにしていたことを認めた。そして、鈴木専務と組んだ企みまで明らかにした。宗像先生……あなたはもう、おしまいです」

 宗像がカメラを床に叩きつける。

「これで……もう中継などできないぞ……」

「その通りです。でも、これ以上は続ける必要なんてありませんから。ネットで見せたかったことは、すべて公開を終わりました。ここから先は、あなた以外には知らせたくないことばかりです」

 宗像が呆然と西田を見つめる。

「だ、だが……ここには電波は届かない……。だろう……? 公開なんて……できやしないよな……? 人殺しを中継しただなんて、私を脅かす嘘なんだろう……?」

「方法は、すでに読みましたよね? 念のために、葵さんが放送局で働いていたことも書いておきましたから。女性には珍しく、放送機器をいじるのが大好きだったんですって。引きこもりって、熱中すると際限がないってところがありますから。彼女が中継設備を設置したんですよ。原さんは僕をキッチンに運んで麻酔の拮抗薬を注射してから、中継装置のスイッチを入れる手はずになっていました。放送がうまくいっていることを確かめた後に、命を捨てるためのお芝居を始めたんです」

「そんな……。だが、携帯電話は使えないじゃないか……。キッチンが開かないのでまさかと思って、何度も確かめたんだぞ」

「周波数帯域が違いますからね。キッチンに鍵をかけたのは、中の装置を壊させないため。僕は意識を取り戻した後、放送が正常に送られていることを確認しながら、出てくるタイミングをモニターでチェックしていたんです」

「殺し合いを黙って見ていたのか……?」

「僕が意識を取り戻した時には全部終わってましたけどね。でも、言い訳する気はありません。みんな死ぬまで何があっても絶対に出てくるな、ってきつく命令されていましたから」

「し、しかし……そうだ、そんな映像を見たって、誰も信じやしないぞ。殺し合いの中継なんて、作り物だと思うに決まってるさ……それこそ新作のプロモーションだと……」

「そんなふうに自分に言い聞かせたい気持ちは理解できますよ。でも、無理があるでしょう? だって、実際にこの山荘の中では中継した通りに人が死んでいるんだから。警察が来れば、全部本当だって分かっちゃうんですから」

「あ、いや……そんな画像を黙って中継させておくはずがないだろうが。ユーチューブだろう? 関係者が不適切だって気づいて、中断させてるに決まってるさ……」

「関係者って、誰ですか? アイザワ書房の幹部とか、ですか? そんなお偉いさん達にまで見られちゃって構わないんですか? そもそも、サプライズで第四幕を実演しますって予告してるんですよ。誰だって、それこそ作り物の宣伝映像だって思うじゃないですか。だからこそ、登場人物が全員実名なんです。出たがりの作家本人、宗像霞まで登場してるんですからね」

「そのために……本名を使ったのか……?」

「やっと気づいていただけたみたいですね。みんな、ああ、すげーリアルな芝居だな――とか喜んでるうちに、何だか変だって気づくと思いますよ。これ、本物なんじゃないかって。そしてさらにSNSとかLINEが加速していく。視聴者が幾何級数的に増えていく。たぶん、もう全世界に広がってるんじゃないですか?」

「全世界って……ウソだろう……」

「だってネットですよ。世界は一つじゃないですか。まあ、中国とかは別かもしれませんけどね。警察もただ事じゃないって気付いている頃でしょうし。映像を見れば、この場所が過去に先生がインタビューとか受けていた山荘だって見抜く編集者もいるでしょう。おそらく数時間以内にパトカーが様子を見にくるでしょうね。当然、ダウンロードされてる数も半端じゃない。ユーチューブ側が不適切だと判断して削除しても、次々に再アップされていく。だって、リアルな殺人映像ですから。再生回数が稼げれば、黙っててもアフェリエイトの収入が増えてきますからね。自殺死体さえ平気で晒すお気楽なユーチューバーが放っておくはずがないじゃないですか……」

「お前たち……それが狙いで……」

 西田が悲しげに微笑む。

「まさか……。僕たちはただ、新作のプロモーションに誕生パーティーを見せようとしてただけですって。少なくとも僕は、警察にはそう話します。だって最初から大量殺人の現場を中継しようとしてただなんて、あまりに馬鹿げてます。正直に話したところで信じてもらえるはずないですから……」

「なんてことを……」

 西田は亜佐子の手を両手で包み込み、しっかり握った。

「亜佐子さんはね……本当に宗像先生を愛していたんですよ。端から見ていて可哀想になるぐらいに。僕らからは利用されてるとしか思えないのに、本人はそれでも幸せそうにしていたんです……。先生は過去を隠したいから従っているだけだと思っていたんでしょうけど、亜佐子さんにとってはそれさえも先生との大切な絆だったんです。ゴーストライターとしてでもいい、性欲のはけ口としてでもいい、そばにいて共に暮らしていきたかっただけなんですって。そんな気持ち、僕には到底理解できませんけどね」

「亜佐子は鈴木のことを知っていたのか……?」

「当然です。それでも、先生が鈴木専務に乗り換えたって、繋がりさえ保っていられればいい……体が触れ合うことがなくなっても、先生が自分を必要としてくれればそれでいいんだって……。でもね、原さんが先生と鈴木専務がラブホから出てくる写真を撮ってしまった。もう、亜佐子さんに見せるしかないじゃないですか。肩を抱いて楽しそうに笑ってる写真です……。亜佐子さん、はっきりと顔つきが変わりました。ただ頭の中で考えてるだけのことと、実際にその姿を見せられることは全然違うんですね……」

「余計なことを……」

「相手は若くて、育ちがいい出版界の超エリートで、輝かしい将来が約束されている……。対して亜佐子さんは落ちこぼれアイドルの成れの果てで、四〇歳も近い……。しかも先生の気持ちはとっくに敵に移ってるって分かってる。勝ち目なんかあるわけがない。2人がベッドで抱き合ってる場面を強烈にイメージしてしまったんですって。それが、決定的だったようです。切れちゃったんですね。この女だけは許せない。先生は絶対に渡さない――そう決めたそうです……」

 宗像がつぶやく。

「これだから女ってやつは……」

「僕にも到底分かりません。先生を奪われるぐらいなら自分が死のうなんて、どうしたら決意できるのか……。なぜ別れよう、逃げようっていう選択肢が思い浮かばないのか……。ここまで悪し様に扱われているのに、先生への愛情が消えたわけじゃないんです。いいえ、より強くなったって言ってました。ただただ、鈴木専務が憎かったそうです。あの女の全てをぶち壊してやりたい……何もかも奪って、血反吐を吐かせてやりたい……。そう、はっきり言葉にしていました。あの穏やかな亜佐子さんが、鬼のような形相をしていましたよ。ありきたりの表現ですけど、そうとしか思えませんでした……。鬼って、ああやって生まれるんでしょうね……慣用句の重みを再認識させられました……」

 宗像には納得できない様子だ。

「あの言いなりの亜佐子が、そこまで……」

「言いなりって……そんな無神経な言葉を使う人が、なぜかつてはあれほどの作品が書けたんだろう……? 僕にはそれも理解できません……」

「君に分かってもらったところでなんの意味もない」

「僕、原さんから、先生の前の奥さんのことも話してもらったんです。出版社の要求と先生のわがままの間に入って、ずっと苦しんでいたそうじゃないですか。先生が書けなくなってからは、なおさら。出版社からは一時間ごとに催促が来る、先生は初めて経験するスランプに頭を抱えたまま立ち尽くしている……。それでも奥さんは、先生を守ろうと奮闘していたって聞きました。それが原因でうつ病になったとか」

「あいつが自ら買って出た役目だ」

「確かにそうらしいですね。編集者の前に立ちはだかって、先生の目には触れないようにあらゆる手段を取っていた、とか……。結局先生は、スランプから脱することはできなかった。そんなんじゃ、誰だって神経が摩耗しますよ。自殺……だったんでしょう?」

「さあな。夜中に勝手に出かけて、酒に酔ってホームから落ちた――それが事実だ。うつ病から少し回復した途端の出来事だった。間抜けすぎて、語るのも恥ずかしい」

「やっぱり……」

「やっぱりって、なんだ? 私があいつに何かしたとでも言いたいのか?」

「回復してきたからこそ、自殺する元気も出たんですよ。あなたがどん底まで追い詰めなければ、そんな事態にはならなかったはずです」

「何がなんでも私の仕業にしたいようだな。自殺と決まったわけでもないのに」

「先生が人を追い詰める性格だってことは、身をもって体験していますから。僕も、死んでいった3人も、ね……。あなたは、身の回りの人たちをみんな不幸にしていくんです。なんだって亜佐子さんはそんな先生にここまで……?」

「やっぱり君は、私を極悪人に仕立て上げたいようだな」

「先生は、僕に狂気が宿っていると思っていますよね。それは間違いないと思います。心も体も、常識ってやつでコントロールできないことがほとんどですから。血液型で性格がどうこうって言うのを馬鹿にする人も多いけど、僕はある意味信じています。B型の射手座ですからね、勝手気ままで手に負えないでしょう? 興味がないことはどうでもいいし、好きなことには妥協できない。社会人としては身勝手すぎるって罵られも仕方ありませんよね。でも血液型がそうなんだから仕方ないって決めつけちゃえば、他人からどう思われようと自分が許せます。楽になれるっていうか、好きにさえなれそうなんです。そう考えられるようになったのも、みんなのおかげなんです」

 宗像が嘲るように鼻先で笑う。

「君なりに成長できたことを褒めてやるよ……」

 西田はその言葉を無視する。

「僕ははぐれものです。でも先生だって、狂気に取り憑かれていますよ。ご自分では気づいていないかもしれませんけど」

「世間から求められている作家のどこが狂気だというんだ?」

「世間から求められている作家――だなんて、平然と言い切れるところが、です。自分じゃもう何も書けないのに」

「だからプロデューサーなんだろうが」

「と言いつつ、異様に名声に固執している。それが狂気なんです。僕のそれとは全然違う、他人の幸せや希望が許せないっていうような、どす黒い欲望……。人を惹きつけるのに、近づいてきた人の心まで濁らせていく……。何しろ先生は、常に注目を浴びていなければ落ち着かないし、自分が頂点にいなければ許せないっていう感性の持ち主ですからね。みんないつの間にか取り込まれてしまって、自分が何を願っていたのかさえ分からなくなっていく……。僕は最近、中世に黒魔術と呼ばれていたものみたいだなって思うようになりました……」

「そこまで言うのか。だったらそもそも、亜佐子たちはなぜ私の元にやってきたんだ? 私は何も特別なことはしてこなかった。ただ、自分自身を偽らないように生きてきただけだ」

「だから黒魔術なんです。現代の科学では、サイコパスってやつの特徴だとも言われてるようですけど。一見とても活発で社交的、他者を引き寄せる魅力に溢れているらしいですよ……」

「黒魔術の次はサイコ呼ばわりか。まあいいさ。だが、それが分かったのなら、さっさと去ればいいだけだろうが」

「黒魔術がご不満なら、新興宗教の教祖と言い換えてもいいですよ。ほら、集団自殺したりテロに走ったり、結構な知識人がヘンテコな教義に盲目的に従ったりするじゃないですか。そういうカリスマ性を持った指導者って、いますもんね」

「私はただの作家に過ぎない。それ以外のものになろうとしたこともない」

「自分じゃ書かないのに? 僕、分かっちゃったんです。書くのって、かなりしんどい作業ですよね。カリスマ指数が高い先生なら、他人を操って書かせた方が楽でしょうから。先生ご自身がそれに気づいちゃったんでしょう? 逃げ道を見つけちゃったんです。人間、楽に生きられるなら、そっちに惹きつけられることもあるでしょうから……」

 宗像は、鼻先で軽く笑った。

「なんとでも言うがいいさ。私の正体はすでに暴かれてしまったんだろう? 手足をもがれて、もはや抵抗もできないんだろう? ならば、今さらどうでもいい事だ。だが、そうまで気に入らなかったなら、なぜ去らない? 私は引き止めたりはしない」

「と言いつつ、他人の心を縛るからこそ教祖なんです。亜佐子さんは、もう逃げられない……去ることを許してもらえるはずがない、って言ってましたけど……。あれは、去るつもりはないってことだったんでしょう。亜佐子さんは先生の正体も自分の弱さも、きっと全部分かっていたんです。それなのに、離れることができない。DVから逃げられない女性みたいなもんです。だからこうやってけじめをつけるしかなかったのかもしれません。それでも、ずっとあなたを大事に思っていたのは本当なんです。亜佐子さんは言いました。『必ず、わたしが宗像先生に殺されるように考えてね』って」

「私に対する復讐か?」

「逆ですよ。亜佐子さんの目的は鈴木専務への復讐が主でしたけど、ただ死にたかったわけじゃありません。あなたの手にかかって殺されたかったんです。それが、最後の、そして一番大切な絆だったんです」

 宗像が、乾いた血に汚れた手を見下ろす。

「絆、だと……? あ、そうか……だから、だったのか……」

「なんのことです?」

「亜佐子は……私に刺し殺されながら……微笑んでいたんだ……。妙に穏やかに……」

 西田は驚いたように宗像を見つめる。

「それなのに……気づかなかったんですか……?」

「なんに、だ?」

「亜佐子さんの本当の気持ちです。亜佐子さんを裏切ったあなたを、それでもなお想い続けた気持ちです……」

「私を思い続けた……? そうなのか……?」

「何も感じていなかったんでしょうね……」

「そうだったんだな……」

 西田は吹っ切れたように口調を変えた。

「でも、良かったです。亜佐子さんの最後の願いは叶ったようですから。こうして、先生にも真実を知ってもらえましたしね。幸せとはいえなくても、納得できる死に際だったんでしょう。そして、鈴木専務の狡猾さも暴かれた。勝ちなどとうてい望めない相手と刺し違えたわけですから、上出来でしょう。殺人事件にまで絡んでしまったら、彼女はもう社会的生命を断たれたようなものです。いかにアイザワの中枢を握っていようと、株主たちが退陣を要求するでしょう。会社の価値を徹底的に毀損しますからね。社会的にも人間的にも、彼女を信用する業界人は今後一切現れないでしょう。何もかも思い通りにしてきたお姫様だった分、底辺の暮らしは堪え難いものになるでしょうね。亜佐子さんの復讐は、狙い通りに、完璧に成就したんです」

「私の計画も灰燼に帰したがな……」

「欲張らなければいいだけだったんです。マスコミにちやほやされて、良識派気取りのコメンテーターで満足してれば良かったんです。おばさまたちに大人気のワイドショーじゃ、それなりに重宝されていたんですから。それなのに、鈴木専務とアイザワを乗っ取ろうなんて高望みをするから……」

「高望みは、男の本懐だろうが」

「それは、実力がある人間が言ってこそです。寿命が尽きた作家が、しかも他人の才能にしがみつきながら願っていいことじゃない」

「君も言うようになったものだ……」

「亜佐子さんに厳しく鍛えられましたから。亜佐子さんは、ただ僕のアイデアを文章にしていただけじゃない。僕にとっての真の教師だったんです。どうすれば書けるか、どうやって人間を見ればいいか、どうやって頭の中に湧いてくるアイデアから必要なものだけを掬い上げるか……大事なことを全て教えてもらいました」

 宗像の目が真剣さを帯びる。

「書けるようになったのか?」

「まだ満足できるレベルじゃありませんけどね。たった今あなたに読んでもらったものぐらいは、書けました。僕の頭はこれまで、制御が効かない暴れ馬みたいなものだったんです。誰からも理解されずに、ただ馬鹿にされ……いや、怖がられていた、と言うべきなのかもしれません……。常識がないって、本質をえぐること恐れないって意味でもありますから。気付かずに、他人を切りつけちゃうんです。だから僕も、他人の反動を恐れて引きこもるしかなかったんです。折り合いの付け方が分からなかったもので……。でも、コツさえ掴めれば自分を分析できる。何が悪いのかが見えてくれば、コントロールもできる。重要なものだけを取り出して求められるものを創り出せる。ただの狂気を才能に置き換えることができる。それを教えてくれたのが亜佐子さんです。亜佐子さんの職人的な手腕と観察眼が、迷惑な変人を価値のある才人に変えてくれたんです。もちろん、それは宗像先生の狙った化学変化ではありました。その意味では、いまの僕を作ったのは先生だと言えるかもしれません。かもしれない、っていう程度にすぎませんけど」

「酷い言いようだな……」

「僕はようやく生まれ変わるきっかけを掴めたんです。亜佐子さんの力で、この世に踏み出すことができるようになったんです。生れ変わらせてくれたという点では、亜佐子さんは僕の母親でもあります。むしろ、真の母親だと呼ぶべきかもしれません。生物学的な母親は、相変わらず僕を怖がって避けていますからね。その亜佐子さんをこうまで追い込んだ先生は許せません。絶対に」

 宗像は、それ以上は聞きたくないとでも言うように話を変えた。

「原は? あいつも死を望んでいたのか?」

「もちろんです。厳しいながらも守り続けていた原出版は、鈴木専務の妨害で窮地に立たされていました。会社の存続自体、もう諦めていたようです。気力が尽き果てたんでしょうね。とっくに死を覚悟していたそうです。っていうより、生きる理由を失ったのかな。死に魅入られてしまったんでしょうね。自殺をしてでも生命保険で社員の退職金を、とも考えたそうですが、心臓も悪いので到底高額の保険には入れない。そもそも、掛け金自体が高額すぎて手が出せなかったそうです。せめて宗像先生の過去作が何本か扱えればと、頼み込んだそうじゃないですか。その幼馴染の必死の願いを、あなたは即座に断った。ろくに話を聞こうともせずに……」

「宗像ブランドをドブに捨てるようなものだからな。原は道楽が過ぎたんだ。小劇場だとか、ろくに部数を稼げない純文学だとか……金にならないものばかり扱いたがる。自業自得なんだよ。いくら社員がやりたがるからって、許していいこととそうでないことは見分けろよ。それが経営者の責任ってものだろうが」

「原さんがお好きではなかったんですか?」

「ああ、嫌いだったね。常識人なら分かり切った計算もできないお人好しだ。ただの幼馴染として付き合う分には構わないが、仕事上では絡みたくなかった」

「それって、作家の感性じゃないですよね。先生は作家を捨てて商売人になった……ってことですよね」

「笑いたければ笑え。書けない作家の苦痛など、君にはまだ分からないだろうからな」

「だからって、他人を傷つけることが許されるわけじゃないでしょう? 原さんは、あなたに断られたことは当然だと思っていたし、恨んでもいないと言っていました。先生が言った通り、全ては自分の甘さが招いた災厄だ、ってね。でも、取れる手段がなくなったことに変わりはありません。そんな時に、誰からともなく今回の計画が持ち上がったんです。人気ミステリー作家が大量殺人に巻き込まれる事件が発生、しかも原因はゴーストライターの新原稿の奪い合い……これだけでもその作品には注目が集まります。その作品が数時間だけ公開されていて、唐突に途切れたかと思えば、ネットでは殺人現場の実況まで……となれば、もはや世界規模の社会現象が引き起こされるでしょうね。版元はもちろん原出版で、世界中の版権を一手に握ります。原出版の今後は安泰でしょう。作者の名前は僕ですが、死んでいった3人は作品を練り上げた仲間なんです。命を捨てる覚悟で巨大な権力に一矢を報いる、虐げられた戦士たち――それって、エンタメの定番じゃないですか」

「それが君の狙いか……」

「何がですか?」

「3人の命を踏み台にして出版界に殴り込みをかけることだ」

「まさか……。僕は……僕だけが奴隷扱いされているだけなら、それでも耐えられたんです。耐える事だけには慣れていますから。でも、先生がアイザワに接近し始めると、鈴木専務から原出版への圧力があからさまになったといいます。原さんも葵さんも、作品の制作にはプラスの関与はしていない、いわば邪魔者ですものね……。しかも現在の宗像霞が2人のゴーストライターによって支えられている搾りカスだなんてバレたら、商品価値がなくなっちゃいます。2人から反抗心も手段も徹底的に奪って、小金でも与えて言いなりにする気だったんでしょう? まさか、命を捨ててまで牙を剥いてくるなんて、常識人なら考えませんからね」

「だから君は、彼らの覚悟を利用したんだろう? 自分の名で出版するというのは、そういうことだ」

「違いますって。僕は最後まで断ったんです。なのにみんな、僕が独り立ちしないと許さないって……。どんなに苦しい思いをしてでも、一人前の作家になれって……。今だってみんなの願い受け止めるために、必死に自分を奮い立たせているんです。今まで言いなりだった僕が、何でこんなにたくさん喋ってると思ってるんですか……」

「なぜだ……? なぜ彼らはそこまで……」

「亜佐子さんは僕を大事な仲間だと考えてくれていたようです。というか、戦友みたいな……。2人で宗像霞の作品世界を創っていたんですから、当然といえば当然ですよね。亜佐子さんは言いました……自分はここで希望を断たれたけど、あなたはわたしの分まで闘わなくちゃならない、って……」

「闘うって……?」

「僕って、文章を書くのはまだまだ苦手なんです。だけど、止めるな、諦めるな、乗り越えてみせろって……。自分の名前で作品を出す苦行と重圧に、この先一生耐え続けろって……。正直、そんな種類の重荷には耐えられるかどうか、自信がないんですけどね……」

 宗像は一瞬息を呑み、その話を避けるようにつぶやく。

「じゃあ、原はなぜ……?」

「だから、原さんは僕の本当の父親だって書いておいたじゃないですか。そりゃあ僕がこんなに歪んでしまった原因でもあるし、初めて知らされた時は憎みましたよ。僕も家族も、とことん壊されてしまったんですから。でも、実際に原さんと触れ合って考えが浅かったことを思い知らされました。原さんが家庭崩壊の原因じゃなかったんです。むしろ、結果でした。母さんは事実がバレる前から父さんとうまく行ってなかったんです。それを陰から支えてくれていたのが、原さんだったんです。母さんは離婚して僕を1人で育てようとしたんですが、世間体を異様に気にする父さんは許しませんでした。なのに外には女を作り、家では母さんに暴力を振るうようになっていきました。しかも僕は重度の引きこもり。母さんにとっての救いは、原さんの精神的な援助しかなかったんです。だからこそ、原さんは僕を引きこもりから救いだそうと必死になってくれたんです」

「あいつは確かに、そういうお人好しだ……」

「僕自身、外に出られるなんて考えたことのなかったのに……。葵さんと力を合わせて、本当に成し遂げてしまった……。最初はそりゃ苦しかったですよ。でも、いつかは自分の殻を破らなけりゃと思っていたことも嘘じゃありません。2人は全身全霊で、僕の心を溶かしてくれたんです。今だってまともな人間になれたとは思っていませんけど、もう狂ってもいないと思います。歪んだなりに自分を認めて、世の中となんとか折り合いをつけていけます。あなたにだってこんなに饒舌に話せていますしね」

「確かに、君がこんなに話すところを初めて見たよ」

「だから必死に頑張ってるんですって。そうしなければ、死んだ3人に申し訳ありませんから。もともと、子供の頃から話したいことはいつもいっぱい頭の中に溢れていたんです。ただ、ほとんどは誰からも理解されない空想の断片でした。いつだって、誰に話しても受け入れてもらえない。両親さえ、鬱陶しがる。みんなの話に合わせていくことができなかったんです。そういうのを『空気が読めない』って表現することだって、やっと最近、腑に落ちたぐらいです。嫌われましたよ。だから、余計に話していいことと悪いことの区別がつけられなくなっていった。話すことに怯えるようになった。他人との話し方が分からなかったから、閉じ籠るしか身を守る術がなかったんです。頭の中に溢れてくる言葉と一緒に引きこもるしかなかったんです。でもみんなに囲まれて、その恐怖から抜け出すきっかけを得られました」

「そんな話は初めて聞いたな」

「葵さんにしか話していませんから。話せば普通の人でも相槌は打ってくれるでしょう。でも、本当の苦しさは到底理解できないと思います。葵さんだから、分かってくれたんです。だから僕は、これからは完全に殻を破らないといけないんです。僕だけが甘えたままなんて、もう許されません。人はみんなどこか歪んでいて、みんな何かに苦しんでいて、それでも生きていくんだって……みんなが教えてくれたんです……。だからみんなのその気持ちを……それぞれ抱えてきた思いを、全部先生に知ってもらわなくちゃならないんです……」

「原も、君が作家としてデビューすることを望んでいたのか……?」

「もちろんです。だって、本当の息子なんですから。原さんには家族があって娘さんもいますけれど、それでも僕を息子として愛してくれました。ご家族には過去の経緯も含めて、全部正直に話してくれたそうです。あなたは気づいていないでしょうけど、僕の母さんも含めて家族ぐるみのおつきあいも始めているんですよ。原さん……そうやって過去を清算できれば、もう思い残すことはないって……。家族が円満で、会社が存続できて、息子が一人前の作家になるのなら、男として立派に誇っていいだろう、って……」

「ならば、何も死ななくても……」

「こんな状況で生き残ったら、全ての黒幕に仕立て上げられかねないじゃないですか。だって敵は、腹黒くて狡猾でお金も政治力もある、鈴木専務。そして手が届くものならなんでも利用してのし上がろうっていう、宗像先生ですから」

「今度は〝悪の帝国〟扱いか……? 粗製濫造のラノベだな。君らしくもない」

「違うんですか? 違いがあるなら教えてほしいものです。そんなあなた方を倒そうっていうのに、隙を見せるわけにはいきません。原出版の窮状を脱するための狂言だなんて騒ぎ立てられたら、社員さんまで白い目で見られてしまいます。社会的に非難されれば、会社も続けていけなくなるかもしれません。それじゃあ元も子もない。そもそも、本人がもう生きる気力を失っていたんです。死にたいっていう気持ちに魅せられてしまったら、他のことは何も頭に入ってこなくなったって言ってました。あとは、意味のある死に様を選ぶことばかり考えていたって……」

「そこまで追い込まれていたのか……。馬鹿みたいに明るいだけの男だと思っていたのに……」

「先生には、意地でも気弱な姿は見せたくなかったんですよ。版権を譲って欲しいって頼んだのだって、死ぬ覚悟を決めてからのことです。会社のためを思って、プライドを捨てたんです。そもそも追い込んだのは、アイザワ書房と鈴木専務なのに……。つまり宗像先生、あなたの底なしの欲望が原さんを追い詰めていったんです」

「私は……そんなことは知らなかった……」

「知ろうが知るまいが、今となってはどうでも構いません。ただ、宗像先生が幼馴染の原さんを死に追いやったのは変えようのない事実です。殺した、といってもいいでしょう。今はもうその事実を身をもって思い知ったんですから、この先死ぬまで決して忘れないでください」

 宗像は重苦しいため息をもらした。そして、言った。

「だが、原は葵君を殺した。葵君自身が死にたがっていたとしても、それは殺人に違いない」

 西田はしばらく沈黙した後に、かすれた声を絞り出すように言った。

「あなたが、そんなこと言うんですね……。知ってはいたけど、ひどい人だ。みんな納得済みだったに決まってるじゃないですか……。何日も何週間も何ヶ月も……話し合って、計画してきたんですから……。葵さんは、原さんにとって娘も同然の人だったし……」

「それなのに自分の手で殺したのか?」

「だからこそ、です……。原さんは、葵に人殺しをさせるのは忍びないって……人殺しを見せるのも辛いって……せめて俺が最初に殺してやるって……。ネット中継の準備にみんなでここに来た時に、原さんはずっと斧を研いでいました。何時間も何時間もかけて、カミソリみたいに研ぎ澄ませて……なるべく苦しくないように……一瞬で死ねるようにって……ボロボロ泣きながら……」

 宗像もすぐには声が出せずにいた。数分が過ぎてからつぶやく。

「じゃあ、葵君は? 彼女は何のために死んでいったんだ?」

「葵さんが回復不能の脳腫瘍を患っていたことは本当です」

「治療の苦痛から逃げたかった、ということか? 長引けば金もかかるし、容姿も衰えていくしな……」

 西田が悲しげにうつむく。

「先生は、やっぱり先生だ……」

「何だと?」

「最初に思いつく理由が、そんなことだなんて……。彼女のことも全然分かっていなかったんですね……」

「違うというのか? 彼女もやはり君を作家にしたいと望んでいたのか……?」

「はい。僕は葵さんのためにも……葵さんだけのためにも、一人前の作家にならないといけないんです……」

「なぜ、そこまで……?」

「僕たち、結婚を約束していたんです」

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