カーテンコール

 第三幕の末尾を読み終えた宗像霞は、不服そうな表情を見せてつぶやく。

「なんだよ、これ……? 人を小馬鹿にしてるのか……?」

 さらに次のUSBを差し込んでパスワードを打ち込むと、驚きの声をあげる。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――


『第四幕――players


 最終幕の主人公はあなたです。あなた自身で物語を進め、そして終えてください。それがたとえ、あなたの望みに沿わないエンディングであろうとも。


                        ――全幕終了』


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――


「え? たったこれだけか……? どういうことだよ……」

 困惑した宗像の独り言が消えると、リビングが再び静寂に包まれる。

 暖炉で爆ぜる薪の音が異様に大きい。

 と、その中にキッチンのドアの鍵が内側から外される音が響いた。

 宗像ははっと身を震わせて視線を上げた。

「まさか!」

 ドアが開いて現れたのは、安っぽいパーティーグッズをまとった西田だった。頭にかぶった赤い三角帽子とチョビヒゲがついた鼻眼鏡が、いかにもな姿だ。

 クラッカーを鳴らしながら、叫ぶ。

「亜佐子さん、ハッピーバース……」

 だが西田はリビングの様子を見て絶句、そして硬直する。

 血糊にまみれた室内には、三体の死体が転がっている。

 宗像がうめく。

「なんのつもりだ、その格好……」

 西田の耳にはその言葉は届かないようだ。

「なんですかこれ……なんでみんな血まみれで……まさか……死んでるんじゃ……?」

 宗像は西田をにらみつける。

「死んでるに決まってるだろう? 君が書いた原稿通りだ」

「うそ……だってあれ……ただのプロモーションで……」

 西田は鼻眼鏡と帽子を脱ぎ捨て、部屋の隅で消火器を抱えて倒れていた葵に駆け寄った。

 頚動脈を断ち切られて息絶えた葵の体は、半身が血液でずぶ濡れになっている。死体の下には、大きな血溜まりもできている。

 西田は血に染まるのも気にせずに葵を抱き起こし、しがみついた。

「葵さん……」

 宗像は冷静だ。

「葵君は原が斧で切りつけた。その原は、亜佐子が感電させた。たぶん、ペースメーカーがいかれたんだろう。動きが止まって、亜佐子が心臓に花瓶の破片を突き立てたんだ。まさに第一幕そのままにな」

 西田は葵の首の傷を片手で押さえ、死体に顔を埋めている。

「もう……冷たくなり始めてる……」

「亜佐子は、私にも襲いかかろうとしてきた。だから、仕方なかったんだ」

 宗像が座る椅子の傍らには、血まみれの火かき棒が落ちていた。

 西田が顔を上げないままつぶやく。

「なんで殺し合ったりしたんですか……?」

 宗像は憮然と言った。

「君こそどうしてキッチンに鍵をかけた? 第一幕を読んで君が生きているかもしれないと知って、すぐに確かめに行ったんだ。だが、ドアが開かない。君こそ私たちを殺し合わせて高みの見物を決め込んだ張本人じゃないのか?」

 西田がようやく顔を上げ、ぼんやりと説明する。

「何を言ってるんです……? 僕は原さんと葵さんから頼まれて、亜佐子さんの誕生祝いのサプライズ用のシナリオを書いただけです。確かにリアリティを出すためにって、軽い麻酔薬は飲みましたよ。なんか体に合わなかったみたいだけど、すぐ目が醒めるのは分かってましたから。気づいてすぐに、サプライズがバレないように鍵をかけて……でも薬が切れてなかったのか、またすぐに気を失っちゃって……それでこんな間抜けな格好までしたんです。引きこもりだった僕には恥ずかしすぎるって断ったんですけど、まずは仲間内で社会に出る訓練をしろって言いくるめられて……」

 宗像が呆然と西田を見つめる。

「君こそ一体何を言っているんだ……? 私たちは、君のこの原稿を奪うために殺し合ったんだぞ……?」

「冗談じゃないですよ。だって僕らは、新作小説のプロモーションを兼ねた誕生祝いを計画していただけなんですから……」

「新作のプロモーションだと……? なんだ、それは?」

「あなたが読んだその作品を大々的に売り出すための販促活動ですよ。決まってるじゃないですか……」

「私に黙って、そんなことをしていたのか? 亜佐子もそれを知っていたのか?」

「もちろんです。亜佐子さんから、そろそろ僕自身の名前で作品を出版する頃合いだって言われて……だから原出版にお願いすることになって……でも僕の名前じゃ全然ネームバリューがないからって……芝居好きの原さんが、世間を仰天させるプロモーションを仕掛けてやろうじゃないかって……」

「そんな話は聞いていない!」

「うそ……だって亜佐子さんが、私に任せてって言うから……てっきり先生も了解しているものだと……。ようやく僕らを解放してくれる気になったんだと……本当に嬉しかったのに……」

「そんなはずがないだろう。そもそも君が新作を書いたなら、それはつまり私の新作だ。そういう決まりだっただろうが」

「僕も亜佐子さんにそう言ったんですけど……大丈夫だから、心配しないで、って……」

「亜佐子が私を裏切ったと言うのか……?」

 西田はハッと気づいたようにつぶやく。

「亜佐子さん……自分では分かっていなかったのかも……」

「何がだ?」

「いつも明るく元気に振舞っていたけど、心の底ではゴーストライターに疲れていたんでしょうね……」

「ふざけたことを!」

「先生、気づいてなかったんですか?」

「だから何に⁉」

「僕は気づいてましたよ。亜佐子さんが時折本当に辛そうなため息を漏らしていたの……。なのに、一番身近にいたはずの先生は気にも止めていなかったんだ……。だから、先生を見捨てたんでしょうね。何もかも、どうでもよくなっちゃったのかも……」

「疲れようが何しようが、君たち2人は私のものだ。君のアイデアを亜佐子が文章に整えて、宗像霞の名前で出版する。それがずっと続けてきた仕事のやり方じゃないか」

「だから、それに疲れちゃったんですって。折れるのは、てっきり僕の方が先だと思っていたのに……」

「思い上がるな。エジソンやジョブズだって、全てを1人で作り上げたわけじゃない。ものを言うのは、勝手気ままなパーツを美しく組み上げていくプロデューサーの手腕だ。それを、なんで今さら……」

 西田の目にかすかな怒りが浮かぶ。

「プロデューサーですって? 先生こそ思い上がらないでくださいよ」

「なんだと⁉ 言いたいことがあるなら言ってみろ!」

「あなたがプロデューサーだったなら、僕らの名前はクレジットに刻まれる。ジョブズだってデザイナーのアイブの名前を隠そうとなんかしなかった。当然、勝手にアイザワに売り飛ばされることもない。あなたは作家の立場を捨てようなんてしたことはない。ただただ過去の名声にしがみ付こうと醜くもがいた敗北者に過ぎないんだ……」

「ふざけるな。宗像霞は今でも第一線に立っている!」

「薄っぺらな書き割りとして、ね。陰で支える僕らがいなければ、そよ風にさえ吹き飛ばされる。……これ、原さんの言葉です」

「原まで私を罵ったのか……」

 西田は葵の傍を離れて、原の元に進む。

「原さん、この宣伝が成功すれば出版社を立ち直せるって頑張っていたのに……」

 そして、死体のそばに膝まづいた。

 宗像がきっぱりと言う。

「次作はアイザワ書房からだ。原ごときが扱えるはずがないだろうが」

「常識的には、ね。だからこそ、常識を覆すためのプロモーションが必要だったんです……」

 西田は、近くに倒れていた亜佐子の死体の指先に触れた。

 宗像が言葉に怒りを含ませる。

「プロモーションって、一体なんのことだ? 私に隠れて、貴様らは何を企んでいたんだ?」

 西田が宗像を見上げる。

「じゃあ先生は、亜佐子さんも僕も手放すつもりはなかったんですね?」

「当たり前だ。亜佐子はひどく嫌がったが、これからはアイザワと組んで行くと決めた。全集の編纂も視野に入れて、宗像ブランドを加速させる。鈴木君も海外展開に力を入れると言っている。狙いはハリウッドだよ。幸い、日本のアイデアはアメリカでもフランスでも引っ張りだこだからな。彼女も出版業界ではまだ珍しい女社長の座を狙っている。その強力な武器にしたいのだ。しかも亜佐子より若いし美人で、出版界のサラブレッドと言われるほど家柄もいい。メディアミックスの女王の異名に恥じぬ実績を重ね、今や時代の潮流に乗った台風の目だ。ウィンウィンじゃないか。なぜこんな大事な時期に君たちを手放すなどという愚かな選択があり得る?」

「それって……つまり、亜佐子さんを捨てて鈴木専務に乗り換えるってことですよね……」

「鈴木とは歳は離れているが、体の相性も良くてな。向こうも売れっ子作家を身内にできるのだから、まんざらではないようだ。実のところ、亜佐子には飽きていた。ただ、亜佐子の文才は認めざるを得ない。私に心酔していたと公言するだけあって、文体を真似るのは異様に上手かったからな。だが独自の世界を作る能力は欠けている。対して君は、特異な世界を破綻なく構築することだけには長けていた。2人を組み合わせて新たな作品を商品化できたのは、私のコネクションとネームバリューがあってこそだ。それこそがプロデューサーの手腕というものだ」

「亜佐子さんの弱みを握って脅かしていたくせに……」

「アイドルグループ解散の件か? フランボワーズ……だったか? そんなもの、もう覚えている奴もいなかろう」

「僕は忘れません。大切な思い出ですから。それを脅迫の手段にするだなんて……」

「確かに、仲間が自殺したのは亜佐子の責任ではないかと責めはした。亜佐子が仲間の淫行を暴こうとしなければ、グループが解散することもなく、みんなハッピーだった。亜佐子自身が潰されることも、自殺者が出ることもなかったろう――ってな。だが、最初にそれを話してきたのは亜佐子の方だ。自分だけで抱えるには重荷に過ぎたんだろう」

「そんな亜佐子さんの気持ちを、あなたは悪用したんだ。亜佐子さんは、自分の気持ちを僕に話してくれたことがありました。フランボワーズでは高学歴リーダーとして最年長だったから、メンバーと話が合わずに浮いていた……。バラエティでも1人脚光を浴びる姿が妬まれていた……。しかも自分の行動がグループを壊す結果になってしまった……。それがずっと、辛かったんだって……。亜佐子さんはずっと、カスミンの失敗を責め続けていた。あなたはその傷を力づくで広げて、亜佐子さんの心をへし折ったんだ」

「まあ、作家の名声を維持するためにはやむを得ない選択だった。心をへし折るどころか、亜佐子の過去の傷を隠し、許容し、人気作家の妻としての優雅な生活まで与えてやったんだから、非難されるのは心外だな。これからも、たとえ実生活では亜佐子と別れようとも、ゴーストライターだけは続けさせるつもりだったのに……」

「それなら、なぜ殺したりしたんですか……?」

「私とて、癪に触ることはある。作家として終わっていることを公開してやるなどと罵られれば、怒りに我を忘れることもあるさ。だが、困った問題だな……。これからは、面倒でも自分で書く必要があるな……」

「書けるんですか? そんな能力が残っているなら、ゴーストなんか必要ないはずなのに……」

「まあ、試してみるさ。だいぶ長い間休養を取ったからね。まだ君という頭脳が手元に残っていることだし」

「僕が従うと決めてかかっているようですね」

 宗像の目に計算高い光が宿る。

「残念だが、3人もの死者が出る不幸な事故が起きてしまった。君にも相応の責任があるだろう? これから鈴木に後始末をさせるつもりだ。世間から白い目で見られたくなかったら、私たちに協力する他ないと思うのだが?」

 西田が不意に話を変える。

「ところで、僕たちがどんなプロモーションを計画していたか気になりませんか?」

「ああ、それだ。ぜひ教えて欲しいね。アイザワで使えるなら、鈴木に口を聞いてやってもいいぞ」

「それはありがたい話ですね」

「で、何を企んでいた?」

「実はもう、実行しているんです」

「は? 何をだ?」

「先生が3人を殺してまで手に入れた僕の新作――第一幕から四幕まで、すでにネット上の投稿サイトに公開しているんです」

 宗像が椅子から腰を浮かせ、形相が変わる。

「なんだと⁉」

「ほら、僕と葵さんは少し遅れてここに着いたでしょう。その間に全文を公開してきたんです。でも一足早く着いたあなた方はスマホも使えず、世間で話題が沸騰していてもその事実を知りようがない。作者の名前はもちろん宗像霞にしてありますから、誰かが必ず気づきます。途端にSNSで情報が飛び交って、今頃は読者数が半端じゃないと思いますよ。もう数時間経ってますから、どこの編集部もパニック状態だと思います。なのに、電波が届かないから先生に連絡が取れず、真意を確かめることができない」

「なぜそんな馬鹿な真似を……?」

「だからプロモーションなんですって。期間限定で全文を公開した後に書店に並べて成功した前例だってあるじゃないですか」

「私に断りもなく……」

「いいじゃないですか、一時的に名前ぐらい貸してくれても。中身は私たちが作っているんですから。亜佐子さんは、出版の際には『宗像霞の唯一の弟子がデビュー!』っていう触れ込みで売り出す許可をもらってるって言ってました」

「ふざけるな!」

「ふざけちゃいませんって。しかも公開した小説の最後にはとびきりのサプライズを用意したんです。第四幕って、それこそふざけた終わり方をしてるでしょう? その本当の内容をユーチューブで実況します、って予告したんです」

 宗像の表情がこわばる。

「なんだ……その実況って……?」

 西田は宗像の背後を指差して悲しげに笑った。

「今も中継が続いているんですよ。ほら、あなたの後ろ、暖炉の上にカメラが隠してあるんです。先生が第一幕を読んだら、警戒してカメラを壊されるかと思っていたんですけど、そこまで頭が回らなかったみたいですね。だから、この会話も全部ユーチューブで生中継され続けているんです」

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