4場

 亜佐子が手にしたUSBを握りしめる。

「わたしにも、これを聞けって……? そして、殺すの?」

「USBとか、そんなもの、もうどうでも構いません。あなたを殺す気もありません。聞いて欲しいのは、僕の昔話です」

 亜佐子の顔色が変わる。

「昔話って……なにそれ。だったら、今までのあなたの話はなんだったの? ぜんぶウソだったっていうこと?」

「僕は嘘なんかついていません。話したことは、全部本当です。ただ、本当のことのすべては話してはいなかった……っていうだけです」

「本当のこと……?」

 西田は亜佐子の困惑を無視して、平然と語り始める。

「僕って、幼稚園ぐらいの頃はそんなに変わり者じゃなかったはずなんですよね。友達だって、何人かはいたような気がするし。多少、空想癖がひどかったことは認めますけど。それがね、テレビでアイドルグループに熱中した頃からおかしくなっていったんだと思います。小学生低学年の頃、一番好きだったのがあなたです。フランボワーズのカスミン」

 亜佐子の目に、わずかに恐怖の陰がにじむ。

「わたし……?」

「あ、その目、まるでストーカーを見るような感じですね。ひどいな……当時は小学生ですから、ただ元気で綺麗な人だなって憧れていただけですよ。アイドルって、そう思われたいからやってるんでしょう? フランボワーズの中でも、あなたは特別に輝いていました。でも、熱中するのが早すぎたのかもしれません。僕、思春期も早かったみたいで。あのグループ、露出が多くてファンの年低層も高かったですものね。当然、間もなくあなたが性的な対象になっちゃいました。小学校の3年になって、マスターベーションを母親に見つかって泣かれました。父親は家に帰ることも少なかったから、母親も気が立ってたんだろうって、今頃になって気づきましたけど。それが3、4年後だったら、ただの成長期だって納得したかもしれないのにね……」

「なにが言いたいの……?」

「僕が狂ったのは、多分それが引き金だったんです。もともと心が弱かった自分をあなたにすがって支えていたのに、その支えを奪われてしまったんです。好きなことがいけないことだって思い込まされて、自分の中で消化しきれなくなって、学校の中でも急激に浮き始めて、空想に逃げ込むようになって……なんか、普通って呼ばれてる生活ができなくなっちゃったんです。現実の女の子に近づいたり話したりも苦痛になりました。その空想の中心にいたのは、やっぱりあなたです。あなたは、引きこもり小学生にとってのアイドル――文字通りに全存在を支えてくれる偶像に昇華してしまったんです。賢くて、グループを引っ張っていくカリスマ性があって、何よりセクシーだった……。僕はいけないことだと思いながらも、どんどんあなたにのめり込んでいったんです」

 亜佐子は他人事のように、呆然とつぶやく。

「熱心なファンになってくれたのね……」

「熱心、なんて言葉じゃ表現しきれませんね。心の真ん中にいて、しかもどんどん大きくなっていったんですから。だから、死ぬ思いをして握手会に行ったんです。僕、体だけは大きかったから、多分中学生に見られてたと思います。そしたらあなたが言いました。10年後もファンでいてくださいね、って」

「それ、小さな子が来た時の決まり文句だから……」

「でしょうね。今なら、理解できます。でも、僕は本気にしました。必ず死ぬまであなたのファンを続けるって決めたんです。それなのにカスミンは、数年後にはアイドル界から消えてしまった……。カスミンは僕に、嘘をついたんです」

 亜佐子の表情はもはや、隠しようのない恐怖に包まれていた。

「そんな……でも、ファンの気持ちを裏切ったことは確かよね。ごめんなさい」

「いいんですよ、謝ってくれなくたって」

「いいの?」

「その代わり、この先ずっと、僕のものでいてもらえれば構いませんから」

「あなたの物って……?」

 西田には、亜佐子のつぶやきは耳に入っていないようだった。

「最初に原さんが訪ねて来た時も、葵さんがきた時も、僕はドアを開ける気なんかありませんでした。気が変わったのは、原さんが宗像先生と幼馴染だって言い出したからです。ちょっとだけ、心が動きました。僕、こっそりいろんなサイトや公募に小説を応募してたんです。今から考えれば文章は未熟だし、話も取り止めがないものばかりでしたから、当然誰からも評価されませんでした。それどころか、反応は嘲笑ばかり。でも、プロの作家なら作品の悪いところを指摘してくれるかもって……だから、宗像先生のことをネットで調べたんです。そうしたらなんと、アイドル界から姿を消したあなたが今の奧さんになっているってことが分かったんです。なんでもっと早く調べなかったんだろうって、ひどく後悔しました。本気になって調べれば、分からないはずがなかったのに」

「それ、なるべくネットには漏れないように、知り合いにも隠すようにお願いしていたから……」

「衝撃でした。僕のカスミンが、そんな場所にいただなんて。もう、小説のことなんでどうでも良くなりました。ただただ、あなたに会いたいって願いました。だから、部屋を出ることを決意したんです」

「わたしに会うために……?」

 西田の目の色が熱を帯びていく。

「そうです。カスミンに会うためだけ……にです。あなたが僕の偶像であることは、今も変わっていないんですから。だから、宗像先生に会わせてもらえるように原さんに頼んで、一生懸命取り入るように頑張りました。宗像先生も初めは嫌そうにしていましたが、僕の作品を添削しているうちに何かを掴んだみたいでした。そして、あの復帰作品が出来上がったんです。びっくりでした。僕の馬鹿馬鹿しい空想が、先生の視点と技術を加えることで輝く作品に変身したんですから。とんでもない天才ですよね。その結果、僕はあなたがたの〝秘密のグループ〟に参加することができました」

 西田の目に狂気の揺らめきを認めた亜佐子は、わずかに身を引きながら呆然とつぶやく。

「あなたがいなければ、そもそもあんなグループは成立しなかったけど……」

「そして僕は、こうして亜佐子さんといつでも会える権利を手に入れたんです。僕だけのアイドル、一度は奪われた心の支えが、再び目の前に現れたんです。これって、運命じゃありませんか?」

 亜佐子の怯えは、もはや隠しようもない。それでも、話を合わせることしかできない。

「わたしにとっても、あなたは大事な才能。宗像を立ち直らせてくれた恩人なのよ……」

「恩なんて、感じる必要ないんですよ。ただ僕が、カスミンに会いたい一心でやってきたことなんですから。そして、その願いを叶えることができたんですから」

「でも……」

「でも、なんです?」

「こうしてその話をしているってことは、わたしに……栗林亜佐子に何か要求があるんでしょう?」

 亜佐子があえて〝栗林亜佐子〟と名乗った意味は、西田にはっきりと伝わった。

「亜佐子さんに、ですか? そんな人には関心はありません。亜佐子さんは今まで通り、アイザワの専務と楽しく出版界を牛耳っていてくれて構わないんですよ」

 亜佐子にとってその答えは、まさに意外なものだった。

「今まで通りって……どういう意味?」

「文字通りの意味です。女を使って専務に取り入り、それが不要になったら次の男を探す……どうぞ、そんな暮らしを続けてください。もちろん僕は、この先もあなたの従順な奴隷でい続けます。僕から生まれるアイデアは、今までと同様に自由に使ってくださって結構」

 亜佐子の迷いが一層深まったことが表情ににじみ出す。

「でも……それで、あなたはどんな得をするの?」

「たったひとつの約束を守ってくれさえすれば、いいんです。僕は、出版界の人間とは一切接触を持ちません。だって重度のコミュ障なんですから、他人と会うのは疲れますので。だから、シノプシスや原稿は必ずあなたが直接取りに来てください。そしてその時は、カスミンとして僕に抱かれてください」

「抱かれるって……あなた、セックスに関心がなかったんじゃないの?」

「元々はそうでした。小学生の頃に、セックスがいけないことだって思いこんじゃったみたいなんで。でも、葵さんがその心の壁を無理やり破ってしまったんです。だから、カスミンは僕にとっての、唯一の女性なんです。僕の中で、ようやく実体を感じられる女性になれたんです」

「でも、わたしは亜佐子……カスミンだったのは、ずっと昔のことだし……」

 西田が晴れやかに笑う。

「とんでもない、カスミンは今でも綺麗なカスミンです。一番のファンの僕がいうんだから、間違いないです。自信を持ってください。そもそも『women』っていうパスワードは、本当はカスミンのことだったんですよ。僕だけの……僕だけに用意された女性……運命がそう定めた、ただ1人の女性です。葵さんを憎んだは、セックスを強要されたからじゃない。相手が、カスミンじゃなかったからです。僕にとっての女性は、カスミンだけなんです。これって、普通の人は愛って呼ぶんでしょう?」

「愛? そんなものをわたしに要求するの? いえ、強制するの? 

わたしはあなたを愛することはないわよ。っていうか、誰も愛したことはないんだから」

 それでも西田は、晴れ晴れとした笑顔を見せる。

「いいんですよ、それで。あなたは僕のアイドルなんですから。アイドル――つまり偶像って、所詮欲望の鏡でしょう? 僕の欲望が生んだ、架空の姿にすぎません。あなたの体は、その架空の存在に実体を与えただけなんです。でもその実体が、出版界を牛耳っていた稀代の悪女だったなんて、痛快じゃないですか。僕はカスミンを独占すると同時に、その悪女さえも式神のように付き従えるんです。神に祝福されている気分です。いや、まるで僕自身が神になったような優越感を得ていますよ」

 亜佐子の目に冷静さが浮かぶ。

「それでも、わたしはもうカスミンじゃない――と言ったら?」

 西田の表情にも、冷たさが蘇る。

「それ、かなり悲惨なことになると思います。この世にカスミンが存在しないなら、僕も生き続ける理由を失う。亜佐子さんがどうなろうと関係ないし、意味もないってことになります。だから、死んだ3人の望み通り、遺書を公開してあなたがたを破滅させます。僕自身に何の利益もないなら、先生たちから託された役割を完遂させるまでです」

「でも、わたしが鈴木に助けを求めても、遺書は公開されるんじゃなくて?」

「それが先生たちの企みでした。破滅まで追い込んでくれって何度も懇願されました。でもみんな、死んじゃいましたからね。僕が律儀に約束を守るのは、あなたを心の底から脅かすところまででいいと思うんです。死ぬほど怖がらせたいっていう望みは果たしたんですから、この先は僕の自由にしても構わないですよね」

「わたしにも選択肢があるっていうこと?」

「僕が録画を途中で止めた理由、分かりませんか? あそこまでの録画には記録したいことを喋って、そこから先は公開されたら困ることを話していたんです。例えば、葵さんが作ったシナリオにアイクラウドのURLが書いてある、とか。あれがいちばんの脅しかな。実はそのページ、僕が最終チェックをするっていう建前で、こっそり破り捨てちゃったんです。だから、劇団が真実を知ることはありません。その代わり、僕が死んだ時だけ公開するように手配しましたけどね。だから、僕が機嫌を損ねなければ、亜佐子さんは鈴木専務に証拠の隠蔽を依頼したって構わないんです。むしろそうしてほしいと思っています」

「なぜ……?」

「だって僕が3人を殺したことはアイザワの力で隠せるだろうし、カスミンは僕のものになるし、都合のいいことばかりですから」

「だから、わたしはこれまで通りで構わないと……?」

「ただ1つ、僕と一緒の時だけは、僕のものになってくれさえすればいいんです。あなたにとっては簡単なことですよね?」

「わたしは物扱い?」

「いいじゃないですか、あなただって僕を物扱いしてきたんだから。アイデアが湧き出てくる器としか見てこなかったんでしょう? それどころか、欲望のために自分自信すら物扱いしてきたじゃないですか。役に立ちそうな男になら躊躇なく体を許して、そうしてのし上がってきたんでしょう?」

「それは認めるわ」

「だったら、僕の言いなりになったって同じことだ。黙って従ってさえくれれば、あとは自由に振舞っていてくれて構わないんですから」

「それがあなたの復讐なの?」

「復讐なんてとんでもない。カスミンが好きで好きでたまらなかった僕の、これが純粋な愛情の結論なんですよ。悪女だろうが、偶像だろうが、やっぱり今でもカスミンを愛しているんです」

 亜佐子ははっきりと言った。

「狂ってるのね」

 西田も笑顔で応える。

「なんででしょうね……僕って、こんな風にしか愛情表現できないみたいなんです。……やっぱり、狂ってるんでしょうね」

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