3場

 亜佐子がうめく。

「ひどい……3人も……」

「まだ1人、残っていますけど」 

「わたしも殺すの……?」

 西田は椅子に腰を下ろして、銃口を亜佐子に向ける。

「そうとは限りません」

 亜佐子の表情は恐怖に引きつっている。それでも、頭の片隅で理性は働いているようだった。

「人に銃を向けながら言うことだとも思えないけど……。殺さないでもらえる方法があるの? わたしにも何か反論しろ、とか言うの……?」

「たとえ何かを要求したところで、あなたならなんとか逃げ道を見つけ出すでしょうね。人の心の隙間に入り込むのが本当に巧みですから。それでも、あなたはすでに相当の恐怖を味わったはずです。目の前で3人も殺されたんですからね。でも僕は、それ以上の恐怖を――恐怖だけじゃなく、屈辱と後悔を亜佐子さんに噛み締めてもらいたい。死ぬ瞬間は、自分が送ってきた人生の全てを悔いながら生き絶えてほしい。僕はこれまで、あなたが作り上げた檻の中に閉じ込められて頭の中身を吸い取られていたんですから」

「まさかとは思ってたけど、第一幕はあなたの本当の気持ちだったのね……。わたしがラスボスってこと……?」

「だって、実際に他のみんなを操ってきたじゃないですか。3人も殺したのに、肝心のあなたにトドメを刺せなかったら間抜け過ぎます。だから、そのために考え抜いたのが、この手段です」

「この手段……? USBを聞け、ってこと?」

「それは、全てが終わってからで構いません。すべてが終わってもあなたが生き残っていたなら、1人でじっくり聞いてください。死んでいった3人の無念が録音されているはずですから」

 亜佐子の眉間にほんのわずかなシワが寄る。

「え? それって……どういうこと?」

「みんな、あなたを恨んで死んでいったんです」

「死んでいったって……? あなたに殺されることが分かっていたってこと⁉」

 西田はすかさず表情の変化を読み取る。

「早速恐怖から抜け出して、頭をフル回転させ始めた――って顔つきですよね。こんな状況なのに、たった一言の裏を読んで出し抜こうとするなんて……やっぱりあなたはしぶとい人だ。何もかも、宗像先生が恐れていた通り……」

「あなた……宗像たちと手を組んで気が狂ったようなフリをしたのね?」

「そりゃそうですよ。どんなに変人だからって、対人恐怖症の引きこもりだったんですよ。攻撃なんかできなくて閉じこもることを選んだ僕が、そう簡単に人殺しにはなれませんって。拳銃だってどうやったら手に入る分かんないのに」

「まさか……みんなから殺して欲しいって頼まれたの? あなたが書いたお芝居って……そんなところまで本当だったの……?」

「嫌だって断ったんですけどね……何度も何度も……。あ、それぞれ抱えていた事情は、第一幕に書いておいたからもうお分かりですよね。その部分は事実です。あなたには、ちゃんと知っておいて欲しいってみんなが望んだんでね。結構力を入れて書きました。それと、あなたへの憎しみ。そして僕を自由にしたいって気持ちは、3人とも共通でした」

「4人でわたしに復讐しようとしたのね……」

「それから第二幕。あそこでは葵さんがアイザワ書房と組んで原出版を潰そうとしたと設定しましたけど、実際にそれを実行したのはもちろん亜佐子さん、あなたです。事実通りに書いたんじゃ展開が平板になっちゃいますから、その方が面白いかなって。意外性はエンタメの武器ですから、そこはみんな喜んでくれましたよ」

「あなた……その手で3人も殺しておきながら、なんで平然と喋ってるのよ……」

「そういう揺さぶりをかけてくるだろうから気をつけろって、宗像先生から釘を刺されました。だから気力を振り絞って無視します。どうせあなた自身、死者を悼むなんて人並みの感情は持ち合わせていないんでしょうから。今もどうやったらこの銃口から逃げられるか、必死に計算してるんでしょう?」

「何もかもお見通しってこと? だったら面倒な腹の探り合いはやめましょうよ。わたしを殺す気がないなら、どうしたいの? それを言って」

「3人は僕に撃たれることですでに第一の目的を達しました。残った目的は僕を自由にすることと、あなたから全てを奪うこと。亜佐子さんには簡単に死んでほしくないという気持ちがあったみたいです」

「とことん憎まれたものね」

「特に宗像先生はあなたを嫌っていました。最初は言われるままに、軽い気持ちでアイデアの盗用に手を付けた。だが、次第に逃げられないようにがんじがらめに縛られていったんだ、って……。うつ病みたいになるの、僕には良く分かります」

「あなたをゴーストライターにしたのは、そもそも宗像の弱さが招いた失態よ。そうしなかったら締め切りが守れない。どの出版社からも干されて、作家の肩書きが維持できなかったんですから。わたしはそれが世間に知られないように、庇っていただけ。縛っていたなんて言いがかりよ。だってわたし、昔から宗像の作品に惚れ込んでいたんですから」

「そうやって先生に近づいて、いつの間にか絡め取って、追い込んでいったってことですよね……。さすがの腕前ですよ……」

「だから、先生の名声を維持するお手伝いを申し出ただけですって。先生も元気をなくしていた時期だったから、救われたって喜んでいたのよ」

「真実はどうあれ、先生が死にたがっていたのは事実です。でも、そう思わせたのは、あなただ。あなたがありのままの先生を認めていれば、こんなことにはならなかった」

「たられば、ってやつね。でも事実はもう一つある。すでにあなたは人殺し。どんな理由があろうと、法に裁かれるわ。覚悟はできているんでしょう?」

「みなさんは自殺を望んで僕に殺害を依頼する遺書を残しています。あ、原さんは生命保険のことがありますけど、あの瞬間は僕を止めようとして撃たれたわけですから、自殺なんかじゃありません。保険金はたぶん満額支払われるでしょう」

「でもそれ、どうやって証明するの?」

「その件は後ほど。あなたの今後とも関連しますのでね。まずは僕の今後の方を先にお話ししておきます。3人も殺したんですから、普通なら死刑でしょう。でも、嘱託殺人ですから、おそらく無期とかに減刑されるでしょう。さっきも言いましたけど、引きこもりの僕にとっては牢屋に閉じ込められるのなんて、人生最大のプレゼントです。反抗する理由なんてさらさらないし、事情が事情ですから、パソコンは無理でも紙とペンぐらいは使わせてもらえるんじゃないですか? 小説を書いて、原出版から出版させてもらいます。無論、印税は罪滅ぼしに全てご家族と会社に渡します。どうせお金があったって、使い道が分かりませんから」

「そんなにうまくいくのかしら?」

「さあ? たとえ狙いが外れても、最も重要な願いは叶います――それは、今後はあなたにアイデアを盗用されないということです。僕のアイデアは僕だけのもので、僕が自由にすることが許されるってことです。宗像先生からはアイデアと商業性を折り合わせるコツは教えて貰いました。たくさん売る必要もないですから、好きなものを好きなように書いていきます。たぶん第一作は話題性だけでも売れるでしょうけどね。師匠を含めて3人も殺したサイコキラーが紡いだ物語――オビのうたい文句としては最高に刺激的で最高に愚劣じゃないですか。つまりそれが、僕が望んだ至高の自由です」

「それだって、たられば、だわよね。狙い通りにいくといいですけど」

「死刑になったって構いません。それも僕にとっては、自由の別の形にすぎませんから。出版できなくたって構いません。僕自身が満足できさえすれば、誰からも認められなくたっていいんです。一番の恐怖は無罪になって世間に放り出されることですけど……まあその時は、3人の後を追えばいいだけじゃないですか」

「死ねるの?」

「簡単だと思いますよ。さっきは3人を解放しないといけなかったから、死にたくないってフリをしましたけどね。人殺しの重荷を抱えて生きるより、ずっと楽だと思います……。これでも、引き金を引くのはつらかったんですから……」

「あなたのことは分かったわ。で、わたしは? わたしをどうしたいの?」

「劇中に紛れ込ませた真実が、もう一つあります。衛星電話の中継器が準備されてることです」

 亜佐子がハッと気づいてスマホを取り出して操作する。液晶を見てつぶやく。

「今はまだ圏外のままね……。スマホ、使えるようになるの?」

「なります。ほら、葵さんって放送局でADとかやってたじゃないですか、女性なのに電子機器には詳しくて、意外に重宝されていたそうです。彼女がセッティングしていってくれたんで、間違いはないでしょう」

「それ、キッチンの中?」

「見てすぐそれと分かる装置です。ON―OFFって書いてあるスイッチを入れさえすれば、外界との通信が可能になるそうです」

 亜佐子の眉間にわずかなシワがよる。

「なんでそんなこと、わたしに教えるの?」

「だって、鈴木専務の助けを借りたいでしょう? 仮に僕を殺して事故に偽装できれば、宗像先生の遺産はあなたのもの。版権も遺族であるあなたが自由にできますから、近いうちに全てアイザワ書房に移管されるでしょう。それがそもそものあなた方の企みですから。まあ、僕のアイデアは今後一切使えなくなりますけど。でも鈴木専務は出版界の実力者ですから、もしかしたら僕を生かしたまま事態を収束させる手段や提案を思いつくかもしれない。それが可能なら今の不利は全て将来の利益に転換できる。いずれにしても、この場を乗り切るには鈴木専務に連絡を取る必要がある――」

「だからなぜ、そんなことまで説明するのよ」

「このマック、今までの状況を全て録画してるんです。パソコンって、モニターの上にカメラがついてますから。アイクラウドっていう仕組みがあって、写真とか動画を自動的にクラウド上にバックアップする機能が入っているんです。今はネットに繋がってませんから、働いていません。でもこの建物のどこかに隠したサーバまでは、ブルートゥースで転送されています。で、衛星通信を開始した途端に、ネット上にバックアップが開始されます。ここで起こった全ての出来事が動画としてクラウド上に残るんです。それが証拠として警察に渡る可能性が高まっちゃいますよね」

 そして西田は、マックの蓋を閉じた。当然、録画も録音も中断する。

 亜佐子がかすかに首をかしげる。

「え? もう、録画はいいの?」

「さすが亜佐子さん、こんな状況でも細かいことに神経が届きますね。そう、これ以上は録画したくないんです。つまり、ここから先は他人には知られたくない、僕たちだけの秘密ってことです」

 亜佐子の目が厳しさを増す。

「今ので終わりじゃないの?」

「当然です。僕に託された仕事は、まだいっぱい残っていますので」

「なによ、それ……」

 西田は亜佐子の言葉を無視する。

「それから、余談みたいなものですけど、一、二幕は葵さんがシナリオの形式に整えて、すでにいくつかの劇団に送っています。その末尾に、僕のアイクラウドのURLやらパスワードやら、中の動画を見るのに必要な情報は全部書き込んであるんですよね。今のところはフォルダはカラッポですけど、シナリオが届き始める頃には一体どうなっているでしょうね。ちなみに、あのお芝居は、当然葵さんの遺作ってことになりますから。殺人にしろ火災にしろ、宗像先生の死と関連づけられたら大評判になってロングラン確実ですよね」

「アイデアを出したのはあなたでしょう?」

「そんなことはありませんよ。僕はそんなこと、絶対に認めませんから」

 亜佐子は無表情のまま言葉を失う。そして数一〇秒ほどしてから、不意に何かに思い当たったようだ。

「あ、そうか……今までの映像が原さんが殺された証拠にもなるってわけね……」

「あ、それ、説明するの忘れてましたね。気づいてもらえてよかったです」

「でも、たとえそれが公開されたとして、あなたがみんなを殺した裏付けにしかならないんじゃないの?」

「だから、皆さんそれぞれに遺書を残しているんですって。そこにはあなたや鈴木専務がしてきた裏工作も、当然書き込まれています。証拠能力がないとか言われて法的に処罰されなくたって構いません。ワイドショーのネタになって社会的に抹殺されれば充分です。だって、この録画と遺書をすり合わせたら、あなた方の悪辣な振る舞いは明らかじゃないですか。鈴木専務はアイザワ書房を追われ、あなたは出版界に巣喰った稀代の悪女として忌み嫌われ、永遠に排除される。当然、あなた方2人の関係も瓦解する」

「鈴木に助けを求めれば、全てを失うことになるわけね……」

「その通り。では、このままあなたが警察に出頭したらどうなるでしょう? 僕は捕まっても構いませんから、事実を全て残らず明らかにします。つまりみなさんの遺書も明るみに出て、結果は変わらない」

「何もしなくても同じことなの……?」

「唯一残された方法、分かります?」

「あなたを殺して動画を削除してから、鈴木を呼ぶ……」

「でもほら、サーバは隠してありますから。見つけるまでは連絡できませんよ。サーバの隠し場所は、僕も教えてもらっていませんしね。何よりも、僕って銃を持ってますよ。あなたが襲いかかってきたら、ためらわずに撃ち殺します。だってもう3人も殺してるし、死刑になっても構わないんですから。法律なんて抑止力にもならないですよね。その後で中継器のスイッチを入れればいいだけのことです。皆さんの遺書が闇に葬られるようなことだけは、絶対にさせません」

「でも、あなたにそんなこと、できるかしら? だってわたしは、殺して欲しいなんて望んでないのよ?」

「できないかもしれませんよね。僕にもその瞬間になってみないと分かりません。だとしたら、銃とマックを持って逃げるだけです。遠くには行けなくても、森に隠れれば捕まらずに済むでしょう?」

「そんなことをしても映像が送れる確証はあるの?」

「葵さんの言葉を信じるだけです。正確なところは僕には分かりません。でも、鈴木専務が助けに来るなら、何とか身を隠したままその様子を撮影します。たくさんの手下を連れてきたって構わない。派手な隠滅工作をするなら、むしろ証拠がはっきり残りますから。スマホだって持ってるし、そんなこともあろうかと極小サイズのUSBもたっぷり準備しています。全部に録画のコピーを入れて、あっちこっちに隠しますから。いずれ警察が来ます。逃げ続けられれば、全部バラせます。そもそも、事情を知ったら鈴木専務は手を引くかもしれないじゃありませんか。証拠隠滅なんて、殺人の共犯ですから。それほどの危険を冒す覚悟や利益が、鈴木専務にあるでしょうか?」

「その辺は、結構成り行きまかせなのね……」

「あれ? 今、少しだけ笑いましたよね。しかも、火かき棒の位置を確認しましたね?」

 そう言った西田はテーブルに手を伸ばしてマックブックを引き寄せる。

 亜佐子の表情が固まる。

「お見通しなのね……」

「僕と戦ってマックを奪えば、サーバのデータも消去できるかもしれない。それなら衛星通信を始めてもデータは送信されない。僕を殺す必要もない。鈴木を使ってこの場を事故に見せかけ、警察より先にみんなの遺書を探し出して処分する。僕は車の運転なんてできないから、遠くには逃げられない。鈴木に説得させて、またゴーストにしよう……なんて考えたのかな? でも、僕に銃がある限り優位は揺るがない。当然マックは渡しません。火かき棒で戦いを挑みますか?」

「絶体絶命……ってやつ?」

「それだったら計画通りで、とても嬉しいんですけどね。これが僕たちみんなで亜佐子さんに用意した誕生プレゼントですから。そして、創作の神様しか決められないこの物語の結末なんです。スイッチを入れれば鈴木専務が駆けつけて証拠を隠滅して、あなたを助けるかもしれません。でも、証拠映像が送信されるし、生きていたら全部警察に喋っちゃいます。僕は殺されれば自由になれるけど、アイザワ書房はアイデアの源泉を永遠に失う。スイッチを入れずにあなたが姿を消せば、僕が警察に通報。あなた方は今の世界には戻れないでしょう。僕は殺人犯として捕まって死刑か、収監。どっちにしてもご褒美です」

「なんでそこまで……」

「死んでいったみんなは、ずっと死んだも同然の苦しみや恐怖と戦いながら、ようやく覚悟を決めてこの場に集まったんです。元凶であるあなたには、一番強烈な恐怖と敗北感を味あわせたい……それがみんなの願いでした。少なくとも、これまでのように出版界にのさばらせはしない。だから僕もこんなに無理して、狂気の殺人鬼を演じたんです。何とかやり遂げられて、ホッとしてます。これで死者の願いは叶えられました」

 亜佐子の表情は固まったままだ。

「わたし……負けを認めるしかないのかしら……?」

 西田が真剣な目で亜佐子を覗き込む。

「まだ、諦めてもらっちゃ困ります。あなたをどん底に陥れるために、こんな悲劇を演じて見せたんですから」

「すでにどん底にしか思えないけど」

「とんでもない。叶えられたのは、死者の願いだけです。僕はまだ、自分のことを何も語っていません。これからが僕の……僕だけの物語です」

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