2場

 リビングに轟き渡った銃声が消えていく。

 全員が凍りついたように動きを止めていた。

 倒れた宗像の頭の下から、鮮血の輪が広がっていく。

 と、西田がか細い声で言った。まるで、他人事のように。

「あ……これが爆弾だったんですね……。物語を加速させる触媒……僕を解放するサプライズ……。神様は、僕にこんなことをさせたかったんだ……」

 原が立ち上がる。

「なんてことを!」

 西田が原に銃を向けて叫ぶ。

「動かないで!」

 亜佐子も立ち上がる。

「救急車を!」

 西田が亜佐子に銃を向ける。

「だから動かないで! だいたい、どうやって呼ぶんですか? 携帯だって電波がないのに」

 原が答えた。

「俺が医者を呼んでくる!」

 西田は呆れたように笑った。

「何を間抜けなことを言ってるんですか。先生の姿、見てくださいよ。頭を撃って、これですよ。壁に脳みそ飛び散ってるし。即死に決まってるじゃないですか。亜佐子さんも原さんも、ちゃんと座っててくださいって」

 葵がつぶやく。

「信吾ちゃん……なんでこんなことを……?」

 西田が苛立ちをあらわにする。

「だから何度も言ってるでしょう? 僕は自由になりたいんです。僕の言いたいことがちゃんと伝わって欲しいから長々と芝居まで書いて、しかも録音まで聞いてもらったのに。なんで分かってくれないのかな……こんなに簡単なこと……」

「だって……人殺しなんかしたら……一生刑務所よ……?」

「だから?」

「それのどこが自由なのよ……」

「だから、何?」

 西田の返事が理解できないのか、葵が口ごもる。

 原が言った。

「だって、自由が欲しいんだろう……?」

「僕はずっと自由だったんです。1人きりの部屋で、何不自由なく好き勝手に過ごしていたんです。なのにあなた方は、その僕だけの世界をぶち壊した。穏やかな日常から無理やり僕を引っ張り出した。僕は、あの世界に戻りたいんです。一生刑務所だなんて、こんなに素晴らしいことはない。お金なんて必要ないし、食べることの心配もないし、他人に何を強制されるわけでもなく、ただ自分の世界に浸っていられるなんて……夢のような暮らしじゃないですか……」

 亜佐子がつぶやく。

「狂ってる……」

 西田は動じない。

「たぶん、あなた方から見れば――いえ、他のほとんどの人から見たって、僕は狂ってるんでしょう。自分が常識からはみ出してることぐらい、知ってます。だけど合わせるのは辛いし、合わせ方もよく分からない。それが僕なんです。だから、僕からはあなた方が狂ってるように見える。他人のアイデアに頼って名声を保とうとする作家も、その尻を蹴り上げてのし上がろうとする妻も、そんな人たちにしがみついておこぼれを狙う人たちも……みんな狂って見える。どっちが狂ってるかなんて、どっちの数が多いかの違いでしかないじゃないですか。正常か異常かなんて、所詮、多数決ですよ。人殺しの国があるなら、殺せない人間はただの性格破綻者です。そもそも僕は、そんな評価に関心はないですから」

「でも……宗像を殺したのよ。あなたにはあなたの理由があるとしても、その先はどうする気なのよ……」

 西田は人ごとのように肩をすくめる。

「どうする気なんでしょうね……。その辺はあまり煮詰めて考えてないんですよね。神様にお任せ――ってことで、あえて考えないようにしていたんです」

 原がうめく。

「何を無責任な……人殺しまでしておいて……」

 葵が気づく。

「でも、構想があるって……」

 西田がうなずく。

「ありますよ。じゃあ、その構想に従ってもう少し物語を進めましょうか。この先どうなるか、見えてくるかもしれませんから」

「構想って……なんなの?」

「もちろん、二つ目のUSBですよ」

 そして西田は、原の前のUSBを見た。

「俺……なのか……?」

 西田は原の眉間に銃口を向ける。

「さあ、マックで再生してください」

「俺も殺そうっていうのか……?」

「再生してください。パスワードはもちろん『men』です」

「くそ……『men』ってのは俺のことだったのかよ……」

 原は観念したようなため息を漏らしてから、マックのUSBを入れ替えて音声ファイルを再生する。

 ゆったりとした西田の声が流れる。

『このUSBが再生されているっていうことは、もう最初の1人……たぶん宗像先生のはずなんですけど、先生は死んじゃってますよね。まあ、僕がヘマをしてなければ、ですけど。僕って、いつもヘマばっかりだから、ものすごく心配で……』

 原が再生音にかぶせて叫ぶ。

「最初から殺す気だったのか⁉」

「黙って聞けよ!」

 3人が押し黙る。

『――僕、自殺するような演技、してました? 場を盛り上げる思いつきで、やってみようかなって企んでるんですけど、お芝居なんてしたことないし、うまくできたかな……? それとも、本当に拳銃自殺してたりしてね。僕、心が壊れちゃってるみたいだから……あ、でもそれじゃ、この録音は聞いてもらえないかもしれませんよね。ま、どうせ、どうなってるかなんて分かんないんだから、心配しても仕方ないですよね。とりあえず、原さんには伝えたいことがあるんで、言っておきます。僕、原さんが僕の本当の父親だって知ってるんです。父さんがこっそり遺伝子検査した書類を隠していたのを探し出しちゃったんです――』

 原があっと小さな声を漏らして息を呑む。

『僕、父さんの子供じゃありません。原さん、昔、母さんが出版社のパートをしていた時に関係を強要したんでしょう? その時すでに母さんは結婚していたのに……。そのことが明らかになって、夫婦は瓦解しました。瓦解してもなお、僕が望まれない子であったことをご近所さんから隠すために夫婦であり続けました。ただの見栄ですよね。うちは平和で穏やかな家族なんですよ、って……。じゃないと、世間体が悪いですから。僕が引きこもった最大の原因は、それです。……断定はできないけれど、たぶん、そうだと思います。だから原さんは、あんなに必死になって僕を部屋から連れ出そうとしたんでしょう? 母さんからすがり付かれたのか、僕への罪滅ぼしか……どういうつもりだったか知りませんけど、いい迷惑ですよね。勝手に引きこもらせた上に、さらに世の中に合わせて僕の心を捩じ曲げようなんて……。僕、そんなに強くできてません。だから原さん、あなたが僕の心をへし折ったんです。僕って、狂ってるでしょう? 狂わせたのは原さん、あなたなんですよ――』

 原は録音を最後まで聞こうとはしなかった。いきなり立ち上がると、テーブルに飛び乗って西田に飛びかかろうとする。

 だが西田はそれを予期していたのか、立ち上がるとためらわずに三発の銃弾を放つ。立て続けの轟音が再びリビングを満たし、銃弾に押し返された原はテーブルの下に落ちた。動きを止めた体の下に、血だまりが広がっていく。

 テーブルの上のマックからは西田の声が流れ続ける。

『――ですよね、僕に命を与えてくれたあなたが僕を狂わせ、狂った僕があなたの命を奪う……でもこれがきっと、この世の決まりなんだと思います。そうじゃなかったら、物語が成立しません。あれ? それともそんな物語が望まれるってことは、本当の世界じゃ滅多に実現しないことなのかな……? 強いものはいつまでものさばり、弱いものはいつまでも踏みつけられ続ける……そんな現実の方が、ありふれてますものね……。でもそれじゃあ、あんまり僕がかわいそうじゃないですか……。だから僕は、僕にとっての正しい物語を創らせてもらいます。残念ですけど、原さん、死んでください』

 再生が終わった。

 2人の女は、言葉を発することも身じろぎすることもできない。

 西田が腰を下ろしてため息をもらす。

「飛びかかろうとしてくるなんて、想定外でした……。弾が外れなくてよかった……この銃、だいぶ練習したんですけど、結構反動があるんですよね……。うまく殺せなかったら、次が続けられませんから」

 葵がか細い声を絞り出す。

「次って……あたし? 殺すの?」

 西田はためらわない。

「そのつもりですけど。僕の気持ち、変えられますか?」

「でも、どうしてあたしが……? なんで殺されるの……?」

「やっぱり、分かってなかったんですね……。もちろんパスワードは『women』です」

 葵は動かない。

「嫌よ……そんなの……」

「だったら、このまま撃ちましょうか? 理由も知らずに死んでいきます? 殺される理由が分かれば、僕の気が変わるように説得できるかもしれませんよ。わずかでも生き残る可能性があるじゃありませんか」

「信吾ちゃん……あたしを怖がらせようとしてこんなひどいことしてるの……? 何がそんなに嫌だったの……?」

「『women』です。もちろん、葵さん、あなたのことですよ。聴き終わったら、しばらく時間をあげます。僕を説得できるかどうか考えて、試してください」

 葵はゆっくりとUSBを取る。だがそれを両手で握りしめたまま、それきり動くことができずにいる。

「怖い……」

 西田がうなずく。

「怖いですよね。だって、本気で怖がってもらえるように知恵を絞ったんですから。心の底から怖がってください。でなければ、こんなことする意味がありませんから」

「なんで……?」

「理由はすぐに分かりますよ。でもね、怖いのは葵さんだけじゃありません。僕もずっと怖かったんですよ。あなた方に取り囲まれて、嫌なことばかり押し付けられて、頭の中に手を突っ込まれてぐちゃぐちゃにかき回されて、自分が自分じゃなくなっていって……怖くて怖くて……。それでも逃げられなかった……逃げることも怖かった……。その怖さ、少しは分かってもらえるかな? 僕はずっと、それに耐えてきたんです。とうとう限界にきちゃったけど、長かった……。本当に長かった……。あなたは怖いって言うけど、まだほんの数十分間しかその怖さを味わっていないじゃないですか。不公平ですよ。だから、録音を聴いてください。そして知恵を絞ってください。どう説得したら僕の考えを変えられるか……せめてその間だけでも、思いっきり怖がってくださいよ。僕が耐えてきた恐怖の総量に、少しでも近づいてきてくださいよ。すぐに死ねるなんて甘えた考えは、きっぱりと捨ててくださいよ。さあ、USBを入れて!」

 葵はびくんと体を震わせると、機械仕掛けの人形のようにマックのUSBを入れ替えた。のろのろとした手つきでパスワードを打ち込む。再生が始まると、テーブルに突っ伏して頭を抱え込む。

「怖い……」

『これで3人目ですね。何だか録音にも慣れてきました。もしかしたら、人殺しにも慣れてきてるかもしれませんね。今度は葵さんのはずです。葵さんには申し訳ないと思ってます。僕はあなたを心の底から憎んでいますけど、あなたはなぜ憎まれているか知らないはずですから。僕って、狂ってるでしょう? もちろん、あなたがたから見れば、なんですけど。狂ってるから、普通の男とは違うみたいなんです。ゲイなのかどうかは試したこともないから分からないけど、そんなコミックとか見ても違和感を抱かないのは事実です。逆に普通のセックスを扱ったものに欲情もしません。って言うか、嫌いなんです、他人と肌を触れるの。すごく気持ち悪いんです。狂ってるんですよね、全部。性欲は本能だっていうけど、僕、その本能が一番壊れてるみたいなんです。もう原さんのことも知ってるでしょう? 母さんが不倫で作った子供ですから、まっすぐには育ちませんよね。家族が軋んでいたり、母さんに負い目があったりで、最初から育った方向が歪んでいたのかもしれません。でも葵さんは、僕の体で楽しんだ。僕を普通の男にしたいって言う気持ちは分からないでもありません。たとえ引きこもりだったとしても、普通の男なら嬉しいご褒美だと思ったかもしれません。でも僕には、そうは思えなかった。ただただ、心底気持ち悪かったんです、ずっと。自分の体が反応するのも、射精するのも、吐き気がするほど気持ち悪かったんです。あなたがオリジナル脚本のアイデアを出させるために取り入ろうとしていたのも分かっていました。それでも、一応は僕のためにやってることだと思っていたから……僕もいつかは普通になれるかもしれないって望んでもいたから……ひたすら我慢してきたんです。でも葵さんはどんどん激しくなって、自分ばかり楽しんで……。我を忘れたあなたの顔を見て、思ったんです。やっぱり僕はただの道具なんだな……って。宗像先生や原さんが僕を利用してきたように、僕の体を道具にしているだけなんだなって……。そのくせみんな、君のためだとか、社会に馴染むために我慢しろだとか……僕の気持ちなんか考えたことはないんでしょう? 僕にだって心はあるんです。歪んでいたって、狂っていたって、それが僕の心なんです。だったら、僕だって自由にしていいじゃないですか。僕は葵さんの反論を聞きたいと思っています。僕を納得させてください。そうすれば、殺そうとまでは思わないかもしれません。その時になってみないと、本当のところは分かりませんけどね。少しだけ、時間を差し上げます。頑張ってください』

 再生が終わると、葵は顔を上げずにつぶやいた。

「信吾ちゃん……あたしのこと……そんなふうに思っていたんだ……」

「反論、ありますか?」

「ないよ、そんなもの……。あたし、いつも気持ちよかったし。信吾ちゃんに抱かれるのが大好きだったし。あなたからアイデア貰いたかったのも本当だし。みんな、信吾ちゃんが感じていた通り。それがあたし。そのあたしが憎まれていたなら、仕方ないじゃない……言い訳なんて……できない……」

「顔、上げませんか?」

「怖いから、嫌。このまま一思いに撃って」

「はい」

 そして西田はテーブルに身を乗り出し、葵の頭頂部に銃口を向けて引き金を引いた。

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