第三幕――women
1場
ログハウスのリビングは、長い間沈黙に包まれていた。耳に入るのは4人の男女の興奮した息づかいと、原稿の束をせわしなくめくる音だけだ。
最初に読み終えたのは宗像霞だった。長い溜息を漏らすと、満足そうに無骨な木製椅子の背もたれに寄りかかる。
「なるほど……小劇場全体をステージに見立てた、体感型の演劇とでもいうべきか。この第二幕、実際に演じたら評判になるだろうな。確かに面白い。面白いが、作り話とはいえ趣味が悪い。私たちの微妙な関係をあげつらうような物語はいかがなものか……」
西田がゆっくりと椅子から立ち上がる。
「今日のためにだけ書いたものですから、もちろん外部に出す気はありません。出す必要に迫られたら、登場人物の名前や背景を変えればすむことですし」
「それでも、あまり良い気はしない……」
「僕たちの実名を使うことで、臨場感が高まることを狙ったまでです」
その隣で喰い入るように原稿を読む栗林亜佐子がつぶやく。
「静かに……まだ読み終えてないんですから……」
分厚い板を組んだテーブルの対面でも、原玄一と阿久津葵がそれぞれ手にした原稿に没頭している。2人の会話も耳に入っていない様子だ。
西田信吾が宗像の傍に進む。原稿を取り上げると暖炉に向かい、炎を上げる薪の上に投げ捨てる。
宗像がつぶやく。
「おいおい、何も燃やさなくても……」
西田は抑揚のない声で言った。
「実名を使ってある原稿なんて、残さない方がいいじゃないですか。それに、まだ未完成ですから」
「君が書いたものとしては、最も完成形に近いと思うが?」
「まあ、形式は小説でも、内容的にはシナリオですからね。そもそも、物語はまだ半分なんです」
「この先も物語が続く、ということか?」
「構想は固まっています。第四幕まで」
「固まってるってことは……もう書いてあるのか⁉ まだどんでん返しがあるのか?」
「ええ。ある場所に預けてあります」
「なぜ、そんな面倒なことを? いつものようにまとめて読ませてくればいいのに……?」
「それじゃ、サプライズにならないじゃないですか」
亜佐子が加わる。
「もう、静かにって頼んだのに! でも、読み終えたからいいわ。四幕まであるんですって? それで、いつ続きをくれるの? それがサプライズ?」
「まずは、皆さんが読み終えてから」
原が原稿を置く。
「俺はいいぜ。続きがあるんなら、早く読ませろ」
葵も原稿を読み終える。だが、ぐったりと原稿の上に突っ伏す。うめくように言った。
「これ、あたしに頂戴よ……ほとんどシナリオなんだから、まずは芝居か映画にするのが筋じゃない……?」
亜佐子が厳しい口調で突っかかる。
「まさか、このまま使おうって気じゃないでしょうね⁉」
「設定はどうにでもなるんでしょう? 作家を服飾デザイナーに変えたっていいし、IT業界の確執に置き換えたって成立するでしょうに」
「それでも、新しい作品は宗像が先って約束でしょう? 宗像なら、いい小説に料理してたっぷり売ってみせるから。あんたの順番はそれから」
葵はまだ顔を上げない。
「またそれだ……そろそろオリジナルくれたっていい頃じゃないさ……」
「あなたが書いたわけじゃないでしょう?」
「宗像先生が書いたわけでもないわよ……」
その間に西田は彼らの周りを回り、全ての原稿を回収する。
葵が顔を上げる。
「ねえ、続き! 続きが欲しい!」
西田は抑揚のない声で言う。
「テーブルの真ん中、少し場所を開けておいてください」
西田は黙々と原稿を暖炉に投げ込んでいく。その後ろ姿には、会話を拒否する冷たさが漂っていた。暖炉の炎に照らされた西田の横顔には、思いつめたような緊張感があった。
4人はテーブルの食べ残しを端に寄せながらも、いつの間にか口をつぐんでいる。
振り返った西田は、スタジャンのポケットに手を入れると、無造作に中身を取り出した。キャップがついたUSBメモリーが四本。全部色が違っている。それぞれには、白いインクで書いたらしい英語が何語か記してある。
西田がようやく口を開く。
「グリーンは葵さんの分です」
そして、緑色のUSBを手渡す。
原が言った。
「全員分あるのか? 中身は、なんだ?」
「まだ内緒です。サプライズですから」
そして原にUSBをまとめて渡す。
「青があなたの分。赤を宗像先生に、黒を亜佐子さんに渡してください」
そう言った西田は、部屋の隅へ行って自分のドラムバッグを取ってくる。中からマックブックを取り出し、テーブルの真ん中に置く。
宗像が言った。
「今ここで中身を見てもいいんだね?」
西田がうなずく。
「皆さんで一緒に聞いて欲しいので――あ、中身は音声データですから、そっち側に並んで座っていただけますか。少し窮屈かもしれないけど」
西田がマックブックを開いてキーボードを操作する間に、4人が椅子を持って場所を移動し始める。
西田から見て左端から、暖炉を背にした亜佐子、宗像、葵、原の順に座る。それぞれ肩を寄せ合ってUSBの文字を見せ合っている。
亜佐子がかすかに微笑んで言った。
「このUSB、第一幕に出てきたやつね。わたしのには “merely” って書いてあるけど……」
宗像が自分のUSBを隣の亜佐子に見せる。
「私のは “All the world's a” だ」
葵がUSBを見る。
「あたしは “アンド” だけ。ねえ、これってやっぱり暗号だったの?」
原がうなずく。
「俺のは……なんだ? “アンド・オール・ザ” ……かな? これだけで順番とパスワードが分かるのか?」
西田は亜佐子を見つめてうなずく。
「パスワードの解き方はもう大丈夫ですよね」
答えたのは、原だ。身を乗り出して亜佐子を見る。
「はあ? 二幕までに何かヒントがあったのか?」
代わって宗像が答える。
「stage と men か?」
葵が気づく。
「あ、あれがパスワードだったのか。なんであんなところに関連性が分からない英単語が挟まってるのかな、って変に思ってたのよ。でも、4つ全部は書いてなかったわよね? それに、USBの順番はどうなるの?」
亜佐子は西田を見て平然と言った。
「わたしがここで解いちゃってもいいのかしら?」
西田がうなずく。
「もちろん。主賓の亜佐子さんに花を持っていただくための演出ですから。あなたにとっては簡単な仕掛けですよね。第一幕を読んだ時点ですでに気づいていたんでしょう?」
「まあね。『お気に召すまま』第2幕第7場。シェークスピアよ。 All the world's a stage, And all the men and women merely players. 『この世は舞台、人はみな役者』ね。パスワードの順番も原文の通りだし」
「英文科出身ですから、絶対分かると思ってました。改めて言うまでもない有名なセリフですから。亜佐子さんには確実に分かっても他の人には難解、っていう暗号を探したんです。でも、宗像先生もお分かりだったんでしょう?」
宗像がうなずく。
「気づいたのは、第二幕の冒頭を見てからだったがね」
亜佐子がかすかに首をかしげる。
「西田ちゃん……あなた、私たちを役者にしたいの? 何かを演じさせる気?」
「さあ、どうでしょうか? 何を演じていただけるかは、僕にも予測がつきません。だからこそ作り物じゃない、面白い芝居ができるかもしれないって思うんです。しかもこの山荘は、サプライズにはふさわしい舞台ですよね。クローズドサークルって、ミステリーの王道ですから」
宗像が言った。
「でも、構想はあるんだろう? ある場所に預けた、って……」
西田は人差し指で自分のこめかみを示す。
「構想はここに。作品を預かってくれているのは、この舞台を見守ってくれている創作の神々です――って、少し大げさですかね」
原がかすかに笑う。
「神のみぞ知る――ってやつか?」
葵が身を乗り出す。
「私たち全員で第三幕を作り上げようっていうの⁉ 何それ、面白そう!」
亜佐子もうなずく。
「素敵なサプライズね」
宗像が言った。
「さしずめUSBの中身は、物語を推進する触媒ってところか。さすが西田君だ、予想外の状況を提示してくれるものだ」
亜佐子が言う。
「だからわざわざ二幕までをみんなで読み合わせたのね。共通の土台に立って、次の展開をぶつけ合うわけか」
葵が声を上げる。
「あ、そういえばパスワードも秀逸ね。最初は『stage』――この山荘を舞台に見立てたわけでしょう」
原がうなずく。
「二幕目は『men』だったな。さしずめ、吊し上げられていた鈴木専務たちか。次は『women』だよな。ってことは、この2人……? 何をさせたいんだ……?」
「それをあたしたちで考えるんじゃない。一種のブレストかもね」
宗像が言った。
「まずはUSBを聞いてみようじゃないか。西田君が私たちの頭の中にどんな爆弾を投げ込んでくれるのか、楽しみだ」
葵の声のトーンがわずかに上がる。
「思いっきりでっかい爆弾を頼むわよ。せっかくだもの、常識をぶっ飛ばして新しい自分を見つけたいから!」
西田が蓋が開いたままのマックブックを反転させ、キーボードを宗像の前に押し出す。
亜佐子が言った。
「じゃあ、最初は宗像先生のUSBね。先生、パソコンに差し込んでくださいな」
「ええと、これはどこに刺すのかな……?」
亜佐子が身を乗り出してマックブックを指差す。
「ほら、こっちの横のポート。そう、そこに差し込むの」
西田がマックが入っていたバッグを抱えて、座る。
「USBを認識すると画面にフォルダが表示されます。それをダブルクリックして、さらに中のファイルをダブルクリックしてください。パスワードのウィンドウが出ますから、『stage』と打ち込んでください」
宗像が慣れないマックに戸惑い、変わって亜佐子がキーボードを操作する。他の3人も腰を浮かせてマックの画面を覗き込む。
パスワードを打ち終えると、かすかなノイズが再生される。
4人は再び椅子に座って、息を殺した。
流れたのは西田の声だった。
『……今、録音を開始しました。あ、僕は、西田信吾です。……何から話していいものか……ずっと考えてきたのに、いざとなるとどうしていいか分からなくなるもので……引きこもりで、話すのは苦手だったし……。まずはこれが最初のUSBですよね。だったら順番は宗像先生ですね。録音なんか使って済みません。僕、話し下手だから、実際に先生を前にしたら言いたいことの一〇分の一も言えなくなっちゃうから……。だからこんなめんどくさいことをするしかなかったんです。なのに、これでもやっぱり迷っちゃうんですよね……』
西田はうつむいて膝に置いていたバッグを握りしめている。
対面した3人はチラチラと西田に視線を送りながらも、録音の内容に聞き耳を立てていた。
『……先生には、本当に感謝しています。両親からも見捨てられたような僕を、何とかこの厳しい世の中で暮らしていけるように鍛えてくださいました。頭の中に妄想しか詰まっていない僕でも、物語という形が創れさえすれば折り合っていけるんだって……。先生が僕の頭の中に湧いてくるアイデアの断片を物語に収斂させていく手腕は、本当に素晴らしいものでした。コツさえ覚えれば、僕でもできる……本を読むことに没頭できる僕なら、必ず作家としての技術は身につけられる……。そう言って励ましてくださったのは先生です。アイデアを料理する手順を学ぶ僕を、じっと待ってくださった……。どんなに時間がかかっても気長に待ってくださいました……。僕に部屋の外で生きる術を教えてくれたのは、先生です。おかげでこうやって、世の中に這い出していくことができました……』
そこで西田の声が急に暗く沈み、さらに精彩を失う。
『でも……だからと言うべきか……やっぱり、辛いんです。先生には普通にできることでも、僕にはいつまで経っても難しい……。そして、苦しい……。何でそうまでして、部屋を出て行かなくちゃいけないんですか……? 何で感性が合わない先生の文体を押し付けられなくちゃならないんですか……? 僕は独り立ちなんかしたくないんです。みんな、お金が稼げるようにならなくちゃ、1人で暮らしていけなんだっていうけど……。こんな窮屈な世の中に自分を合わせてお金を稼がなくたっていいんです。両親から捨てられるなら、死んでしまえばいいだけですから。僕が消えれば、僕の苦痛だって消えてしまいます。僕は消えてしまいたいんです。なのに先生は、許してくれない……。僕が嫌いなことばかりを押し付ける……。だから、決めたんです。僕は自由になります』
録音は不意に終わった。
4人が西田を見つめる。
葵がつぶやく。
「信吾ちゃん……自由って――?」
だが、西田の姿を見て言葉を失う。
西田の手には、いつの間にか膝のバッグから取り出した拳銃が握られていた。西田はその銃口を、自分のこめかみに当てた。
宗像がうめく。
「なんだよ、それ……まさか、死ぬ気じゃ……?」
西田は唇を引きつらせて笑う。
「まさかって……他に、どう見えます?」
「やめなさい……バカなことをするんじゃない……」
西田は動かない。
4人も動けない。
急激に張り詰めた空気の中で声を出すこともできないまま、時間が過ぎる。
すると……。
西田は不意に涙を溢れさせた。と、悲しげな声を絞り出す。
「あれ……? なんでだろう……? 引き金を引けばいいだけなのに……。僕、なんで怖いんだろう……? 死ぬのなんて簡単なはずだったのに……生きてるより……ずっと簡単なはずなのに……」
気を取り直した亜佐子が諭すように言う。
「そうよ。死のうなんて考えちゃいけないわ。死ぬのは怖いの。それが人間よ。だから、みんなで一緒に生きていきましょう……今までだって助け合って、そうしてきたんだから……」
と、西田は不意に晴れ晴れとした笑顔を見せた。
「そうか、自分じゃ死ねないんですね。人間って、そういうものなのなんですね。だったら仕方ないですよね……」
そして西田は、宗像の顔面に銃口を向けた。
目を見開いて息を呑んだ宗像に代わって、原が腰を浮かせて叫ぶ。
「やめろ!」
西田が言った。
「だって、やらないと自由になれないじゃないですか。今まで通りに助け合うだなんて、死ぬより悲惨だ……」
そして西田は、引き金を引いた。
轟音とともに眉間に銃弾を撃ち込まれた宗像は、椅子ごと背後に吹き飛ばされた。
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