4場
鈴木は一瞬言葉を呑み込んだ後に、絞り出すようにうめいた。
「これだけの観客が……みんな……原出版の関係者だというのか……?」
亜佐子がうなずく。
「信じられませんか? アイザワ書房なら社員数は約300名ほどでしょうか……でも関連会社を含めればその数倍は軽く超えるでしょうね。たかだか原出版程度の規模でこの会場が埋まるとは思っていませんでしたか?」
「あんなみすぼらしい町工場に、これほど……」
「あなた、原社長だけしか見てこなかったですものね。原さん、あんな人だったから、ろくに教育もない現場作業員だとでも考えていたんでしょう? いつもどこかにインクの染みを付けていて、あなたみたいな東大出のエリートとは見た目からして違いましたからね。でもね、それでも30人ほどの社員はいたんです。アルバイトや繁忙期の手伝いまで含めれば、その倍ぐらい。当たり前のことですけど、社員には親がいます。妻や子供がいる家庭も多い。彼ら全ての人生を、あなたの欲望が狂わせたんです」
「だがどうして、こんなに集まった……? あれから二年も過ぎているというのに……」
「あの夜、山荘で一体何が起きたのか……それを明らかにするって知らせたら、二つ返事でしたよ。みんな、仕事に誇りを持っていたんです。原社長を心から信頼していたんです。原出版を愛していたんです。わたしには、あなたが彼らほど出版に誇りを持っているとは思えません」
「勝手に決めつけるな!」
「宗像ほどの作家の命を物扱いできる人間が、物語や本を愛してるはずがないじゃないですか」
わずかな間をおいて、鈴木が反論する。
「知ったふうな口をきくな。私は文学やサブカルチャーを支える事業の中心を担っているんだぞ」
「策を弄して葵に宗像先生を殺させた……そっちの方は否定しないんですか?」
「それは……」
「ほら、わたしたちとは本質が違うんです。あなたは企業とその業績を見ている。いいえ、それしか目に入っていない。利潤をあげるためなら、人の命さえも道具でしかないんです」
鈴木は何も言い返せない。
代わって葵がつぶやく。
「だけど……あんたはそれだけのために、劇団まで作ったっていうの……?」
「あなただって、原さんが小劇団の情報誌を作っていたの知ってるでしょう? 原さんはただ情報を集めていただけじゃない。たくさんの劇団を応援して、ポケットマネーで資金援助もしてきた。お金のない役者や裏方の団員たちを食事や居酒屋に連れて行ったりして、一緒になって盛り上げようとしていたの。今のあなたは、そんなことをしようって考えたことがある? 上ばかりに目をやって、足元を支えてくれている仲間たちを全然見ていなかったんじゃないの? 何が新進シナリオライターよ。あなたはね、そんなサブカルを創っている草の根の才能たちも裏切ったのよ。言ってみれば、劇団員たちを踏み台にしているのも同然なのよ」
「そんな……」
「わたしがこの話を持ちかけたら、幾つもの劇団が協力を快諾してくれたわ。何がなんでも原社長の恨みを晴らしたい、ってね。あなた、これからも芝居や映画の仕事をするつもりなの? 役者さんたちのコネクションは、相当強いわよ。この話が外に漏れたら、あなたが書いたシナリオを演じる役者なんて日本から消えてなくなるんじゃない? それとも、ハリウッドにでも進出する? あなたの才能程度で、彼らを屈服させられるかしら? ちなみに西田君は、二度とあなたとは組まないそうよ」
今度は葵が絶句する。
鈴木が不安げに問う。
「と言うことは、まだこの場以外に事実は公表していないわけか……?」
亜佐子が悲しげな微笑みを浮かべる。
「ほんと、そういうことばかりには頭が働くのね。ま、大企業の経営者にのし上がろうって人だから、そうじゃなければ務まらないんだろうけど」
「取引ができるんだな?」
「状況を説明します。わたしはどうしても決定的な物的証拠は手に入れられなかった。だから、あなたたちを脅して真実を自白させるしかなかった。そのために西田君を通じて、葵にこの芝居の第一幕を書かせた」
「あ……だから信吾ちゃんはあんなに熱心に……」
「葵、あんたはこんな芝居を書く気はなかったんでしょう? 作り話とはいえ、山荘での事件を扱ったら、ようやく静まった世間の関心を煽り立てて藪蛇になりかねない。自分たちの犯罪まで暴かれちゃう危険があるものね。だけど西田君からはなかなか新しいアイデアをもらえない。誰にでもスランプはあるし、しょっちゅう鈴木に連れ出されてこき使われているようだし。そうはいっても、何かしら新作を出し続けなければ業界から忘れ去られてしまう。そこで西田君が疲れた顔で『山荘での事件なら、もともと芝居として書いたんだから面白くなるかも』……って耳元で囁く――」
葵がつぶやいた。
「あんたたちに最初から操られてたんだ……」
亜佐子はそれを無視する。
「時を同じくして、新しく立ち上げた小劇団が葵にシナリオを依頼してくる。旗揚げにエキサイティングなミステリーが欲しいんですけど……なんてね。ちょっと調べたら、演出も役者も業界じゃ名が通った実力派が名前を連ねてる。彼らを引き抜いてきたバックは韓国系の財閥で、金離れも良さそうだ。まずは手始めにここから、次に映画化を――なんて欲を出すことは計算積みよ」
「なんでそこまで分かったのよ……?」
「だってあなた、目ぼしい仕事をもらえていないじゃない。釣った魚に餌はいらないものね。鈴木が欲しかったのは西田君のアイデアだけだった、ってことよね。口にしないだろうけど、それが鈴木の本心。西田君から少し話を聞いただけで、全部見抜けたわ。だから、焦ったあなたは劇団の誘いに乗るしかなかった」
「だから、なんでそんなことまで……」
「わたし、宗像の熱心な読者だったんですもの。随分、鍛えられたわ。あの人、人間の心の機微に分け入ることは本当にうまかったのよ。だから、こんな大芝居を興行することもできた。そして、あなた方から真実を引き出せた。原さんがどんな思いをして亡くなっていったかも、社員のみんなに知らせることができた」
鈴木が話を遮る。
「では、条件を聞こう。要求があるんだろう?」
亜佐子は首を横に振る。
「まだ状況が呑み込めてないでしょう?」
「これ以上何があるというんだ? 君たちには物的証拠はない。つまり警察は動かせない。訴訟にこぎつけられるかどうかも分からない。裁判で負ければ、名誉毀損で逆に訴えられる。アイザワの名前に傷を付ければ、賠償金は数一〇億に上るかもれない。互いに利益はない。妥協点を探ろう」
「あなたは、何もかも商売ね。いいでしょう、元からそのつもりでしたから。ただし、訴訟なんて最初から考えてません。だって私たちには、もっと強力な武器があるんですから」
鈴木の顔色が変わる。
「強力な武器……?」
「なぜ演劇なんていうまどろっこしい手段で真実を明かそうとしたと思うの? 今までのお芝居は、最初から全て録画してあるの。もちろんこの会話も、ね。で、わたしが指示すればいつでも、その瞬間にユーチューブで公開できる。そして、何人かの知り合いにメールを送るだけで、評判は数秒単位で爆発的に拡散していく」
「何を企んでいるんだ……?」
「SNSやツイッターのパワーはあなたが一番よく知っていて、いつも利用するチャンスを伺っているでしょう? もちろん、公開されるのはただのお芝居。作り話に過ぎない。でもそこで、本物のシナリーライターやら大手出版社のお偉いさんが突き上げを喰らってるのよ。しかも、超有名作家を謀殺したことを認めちゃってる。明日の朝には、日本中大騒ぎになってるんじゃない? 当然、今のアイザワの社長も目にするでしょう。傍流の専務の台頭を苦々しく思ってる創業家のお坊っちゃまが、ね」
「やめろ……そんな馬鹿な真似……」
「これ、全部作り話ですよって、笑って済ませるの? わたしなら、どうやって対処すれば騒ぎが鎮まるのか見当もつかないわ」
「やめてくれ……」
「しかもたくさんの株主も見るんじゃない? 翌日になったらあなたの周りにはワイドショーのレポーターが群がる。そしてあっという間に、株式大暴落……。ほら、なんかアニメの扱いをしくじった時もそんなことがあったわよね。事実がどうかなんてどれだけ言い訳したって無駄。落ち始めた株価は誰にも止められないわよ」
鈴木は血の気を失っていた。
「分かった……要求は?」
「第一の要求は、太平洋生命に対するものよ。原さんは確かに自殺を企んでいた。USBの映像でそれは証明できるでしょう。でも、実際は葵に殺されたの。だから、保険金は全額支払っていただきませんとね」
人ごとのように成り行きを見ていた大高がつぶやく。
「そんな……五億以上の支払いを、わたしの一存では……」
「できないなら、芝居を公開します。太平洋生命は非道な工作を行ってまで保険金の支払いを拒否する――明日にはそういう評価が全世界に広まってるでしょうね」
「ですから、一存では……」
「契約を契約通りに履行することに、誰の許可がいるの? それこそが保険会社の仕事じゃないの? 不当な支払い拒否こそ、あなたの一存で行われた法令違反でしょう?」
「しかし、鈴木さんが……」
「保険契約は原さんと太平洋生命との問題です。鈴木は部外者よ」
「しかし、あの契約自体が鈴木さんから命じられたもので……絶対支払うようなことにはさせないからって……」
鈴木が命じる。
「それ以上喋るな」
大高が不満げに口を尖らせる。
「何言ってるんですか! 私には迷惑をかけないからって言うから、仕方なく従ったのに……」
亜佐子がうなずく。
「確かに、大口の取引先であるアイザワグループから要求されれば逆らいにくいでしょうね。でも、免責理由を捏造して支払いを拒否したのも事実です。これは企業倫理に反するだけじゃなく、刑法で裁かれるべき犯罪です。もう一度聞きます。それを公開されてもいいんですか?」
鈴木がつぶやく。
「払えよ」
「そんな……難癖をつけて原を潰せって要求してきたのはあなたなのに……」
「そもそもが、払わなければならない金だ。保険事故があったら補償するのがあんたの役目だ」
亜佐子がさも可笑しそうに言う。
「ちなみに今の会話も録音済みですから。ますます公開するわけにいかないんじゃない?」
大高がうなずく。
「分かりました。私が責任を持って処理します。ただし、それ以上は私や我が社を巻き込まないでほしい」
「さて、それは鈴木さんに頼んだ方がいいんじゃないですか? 彼がまたしても策略を弄するようなら、直ちに芝居を公開しますから。当然、太平洋生命も騒ぎの渦中に巻き込まれて、深手を負うでしょう。ま、求人難の今なら次の就職先もすぐ見つかるんじゃないですか? 仕事を選ばなければ、ですけど」
大高が鈴木をにらみつける。
「鈴木さん、もしあなたが彼らの要求に従わなければ、私は警察に駆け込んで全ての真実を証言しますからね」
鈴木も諦めたようにうなずく。
「ここまで追い込まれて、私に何ができるって言うんだ……。で、次の要求はなんだ? まだあるんだろう?」
亜佐子は言った。
「原出版の再興への全面資金協力と希望する社員の再雇用。そして、西田君から今後一切手を引くこと」
「分かった。それから?」
「それだけよ」
「それでいいのか……? ここまでアイザワを脅しておきながら……?」
「わたしが脅しているのはアイザワ書房じゃない。あなたとその愉快な仲間たちだけよ。それから、西田君が今後書く新作は、原出版が版権を持つことになりますから。それは無念のまま死んで行った宗像と原さんが交わした約束です。もちろん、西田君も納得していることよ。もしこれまでのようにそれを邪魔するようなことがあれば、今度はアイザワ書房そのものを敵に定めますから」
「そこまで言われれば、私にはもう何もできんな……。完敗だよ。まさか、君がここまでの策略を完成させられるとはな……」
亜佐子は厳しい目で鈴木をにらむ。
「たかだかスキャンダルで忘れ去られたアイドルですものね。ここまで執念深く追ってくるとは思いもしなかったでしょう?」
その言葉のニュアンスに、鈴木の顔色が変わる。
「追ってくる……? どういうことだ?」
「わたしは、宗像と出会う前からあなたを破滅させることを夢想していたってこと。本当に、妄想としか言いようがない馬鹿馬鹿しい望みだったのに……。それが、偶然宗像の妻になることで現実に近づいてしまった……。運命っていう化け物が、わたしをまたあなたの前に追い立てたの。神様が、やってみせろってわたしをせき立てたの。だったら、初志を貫徹するしかないじゃない」
「ずっと私を狙っていたというのか……?」
「当然じゃない。観客も大勢いることだから、今日は黙っていようかとも思ったんだけど……これもサプライズね。ついでに言っちゃうことにする。わたしには、とても個人的にあなたに復讐する理由があるのよ」
「なんだ、それ……? どういうことだ……?」
「わたしがアイドル界から消えた理由よ。ここで明かしちゃってもいいの?」
鈴木の表情がさらに強張る。
「それは……」
「あ、言って欲しくないのね。それじゃあなおさら明かさないとね。人気が急上昇していた最中に『フランボワーズ』が、どうしていきなり解散したのか。なぜ、自殺者まで出すことになったのか」
「やめろ……」
「まことしやかに言われていたメンバー間の不和なんて、実際はなかった。問題は、当時アイドル雑誌の編集者だったあなたが、何人ものメンバーをホテルに連れ込んだことが暴露されそうになったから」
「私はそんなことはしていない」
「とぼけるのは勝手ですけどね。レイプしたわけじゃないんだから、それ自体を責める気もないわ。関係者が立場を利用してアイドルを落とそうとするなんて珍しくもない。センター取りたくてメンバーから枕を仕掛けることだってある」
「だったら、なんで今頃……」
「みんなは隠そうとしていたけど、わたしがそれに気付いちゃった。見ないふりをしていれば良かったのに……子供だったのよね。わたしがバラそうとしちゃった。いちばんの友達が、あなたが原因で自殺しちゃったから……。だから業界総出でわたしを潰しにきた……。それが真相。でもあなたは、知らん振りを決め込んだ」
「まさか……。それでまた、私に近づいてきたのか……? 昔話だから、もう何も気にしていないって言ってたのに……」
「女って、執念深いのよ。特にわたし、屈辱は絶対に忘れられない性格だから。自殺に追い込まれた友達の無念を晴らすためでもある。叶わない夢とは分かっていながら、万に一つの復讐の機会を探っていたのよ。宗像の妻になることで、その復讐をようやく始められた……」
鈴木の表情にかすかな恐れがよぎる。
「始められた? お前……私と再会した時から何か計画を進めていたのか?」
「当然。でなければ、あんたのような男とは関わりは持たないわ」
「一体何を企んでいるんだ……?」
「あなただってよく知っているじゃない、一緒にアイザワ書房が宗像作品を扱えるように知恵を絞ってきたんだから」
「あれが……か? あんなことがなんで復讐になるんだ……?」
「わたしは宗像と結婚してすぐ、あなたをアイザワの社長に押し上げることに全力を尽くすと決めたの。だから何事もなかったように近づいてきたあなたを遠ざけずに、逆に着々と障害を排除していたのよ」
「は……? だから、どういうことだ?」
「わたしが必死に宗像を説得してアイザワから新作を出させようとしたのはね、鈴木専務、あなたには宗像獲得の手柄を立てて社長に成り上がってもらわなくちゃならなかったからよ」
「私を恨んでいるなら、なぜそんなことを……?」
「あなたが頂点に立った後に、全てを明らかにしてアイザワもろとも地獄に叩き落とすために決まってるじゃない」
鈴木の顔色が変わる。
「そんな……」
「ところが、途中からしゃしゃり出てきた泥棒猫に全部ぶち壊しにされちゃった。でもいいの、それも人生だから。計画なんて、順調に進む方が珍しいものよ。しかも、あなたを脅せる手駒は格段に強力になった。結局は、こうして元の軌道に戻ったのよ」
「元の軌道って……?」
「鈴木専務、あなた、アイザワの社長になりなさい」
「私は……社長になってもいいのか……?」
亜佐子は冷たい笑みを浮かべた。
「なるべきだと思うわ。少なくとも、その実力は備えているもの。社長として、アイザワを可能な限り成長させなさい。むろん、海外へも進出するべきだわ。そして、会社と社員とその家族の全てに責任を負いなさい」
「だから、なぜ……?」
「あなたは事業が拡大すればするほど、わたしの気分次第でいつ全てを壊されるかと怯える。アイドルを自殺に追い込んだぐらいなら揉み消せても、殺人を仕組んだなんて知られるわけにはいかないものね。死ぬまで眠れぬ夜を過ごすしかないのよ。わたしに取り憑かれ、この先二度と逃げられない。もはやアイザワ書房は会社ぐるみでわたしの奴隷に成り下がったってことよ」
鈴木はがっくりと首をうなだれた。
「なんだよ、それ……」
亜佐子はさらに付け加えた。
「それから、わたしを殺したり、お芝居の映像を探して消したりすれば逃げられるかも……なんて欲を出さないことね。何しろここには200人の証人がいるんですから。しかも観客の皆さんにはお土産として、今回のお芝居のダビングデータをメールで届けることになってるし。あなたのご主人様は、彼ら全員でもあるの。だから、彼らの要求にもこの先死ぬまで従ってもらわなくちゃね」
「どんな無茶な要求を出されても、か……?」
「理性があれば、誰も金の卵を産む鶏を殺すようなことはしません。やり過ぎれば、アイザワそのものが瓦解するって分かりきっているもの。原出版が中心になって、バカはしないようにお互いを抑制する体制も作るでしょうしね」
「それって……なんの保証もないってことか……?」
「彼らが理性を失うような非道なことを、あなたがしなければいいだけ。これ以上怒らせるな、ってことよ。それがわたしの身を守る最大の安全策でもあるの。わたしは、アイザワ書房なんていつこの世から消えても構わないんだから。わざわざこんなにたくさんの人に集まってもらった最大の理由は、あなたの悪巧みをこれから先も完璧に封じるためなんですから」
鈴木は口をつぐみ、亜佐子を見ようともしなかった。
葵がつぶやく。
「あたしはどうなるの……?」
亜佐子が葵を見つめる。
「何も」
「え?」
「どうにもしないってこと」
「警察にも言わないの……? なんで……?」
「裁かれたいの?」
「でも……2人を殺した……」
「確かにあなたが実行犯。だけど、全てを企んであなたを追い込んだのは鈴木。あなたの罪が暴かれれば、鈴木の悪事も暴かれる。それじゃあ、わたしたちも何も得られなくなる。だから、わたしたちも何もしない。そもそも、状況証拠しかないんですから、検察が立件してくれるかどうかだって怪しいものでしょう?」
「いいの……? それで……」
「今後、悪巧みはしないと約束すればね。っていうか、ここまで追い込まれたら、もう抵抗する気力なんてないんじゃない? あなたはそういう人間だものね」
「本当に……? だってあたし、人を殺したのよ……」
「宗像はね、心を病んでいたのよ。西田君というゴーストライターに頼らなければならない自分自身を、憎んでいたの。本気で死にたがっていたのは事実だから……。これでもわたしは、全力で救おうとしたのよ。でも、できなかった。妻としての役目を全うすることができなかった。だから宗像は、あなたに感謝しているかもしれない」
「でも、玄ちゃんだって……」
「原さんは、アイザワ書房と戦う最後の手段として死を選んだのよ。鈴木と刺し違える覚悟を決めて山荘に行ったんだから、今日、やっと念願が成就したわけ。それは、ここに集まってくれた200人も同じ気持ちだと思う。人殺しを見過ごすことは犯罪かもしれないけど、原さんの気持ちを考えたらやむを得ないことでもある。これって、杓子定規の法律では裁けない問題だと思う。人を殺していいとは思わないけれど、2人が救われたのもおそらく間違いないんだから。少なくとも、わたしにはあなたを裁く権利はないわ」
「だからって……」
「あなたは人を殺した。その現実と死ぬまで向き合っていくことね。苦しんで苦しんで苦しみぬけば、人間が見えていいシナリオが書けるようになるかもしれないわよ」
「これからも書いていいの……?」
「もちろん。ただし、西田君はもういないわよ。1人で立ち向かいなさい。それができるというなら、試してみることね」
――幕
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