3場
中央に進み出た田辺サトミにスポットライトが当たる。
「まずはお詫びを。先ほどは第二幕が後日談であると紹介しましたが、お気づきの通り、それは事実ではありません。第一幕の内容を修正するもの、とお考えください。皆様はこの芝居の第一幕が、ある人気作家の死を下敷きにしていると宣伝されていることをご存知でしょう。むろん、実際に起きた事実をそのまま演じているわけではありません。しかし今回の脚本のあらすじを知った出版関係者の間では、大筋が現実に即しているのではないか、とも噂されていました。事件の犠牲者の数が違うという理由からその仮説は一笑に付されましたが、そこには作者――つまり、阿久津葵先生による大きな作為が存在したのです。本当はその山荘で何が起こったのか――それを隠そうとする嘘を暴いたのが、ただ今ご覧いただいた第二幕です」
舞台袖の暗がりから、葵が耐えかねたように叫ぶ。
「デタラメよ! ふざけたことを言わないでよ!」
サトミは観客に向けて両腕を広げる。
「と、作者は申しております。むろん阿久津先生は、山荘の惨劇のただ中にいて、全てを実際に体験した人物でもあります。当然、語るべき事柄をお持ちでしょう。ではみなさんと一緒に、先生の反論を拝聴いたしましょう!」
「なによ、それ……こんな大勢に前で……。本当に訴えるわよ」
サトミは動じない。
「ただし、実名の公表は控えていただきませんとね。小劇場内での出来事だとはいえ、不特定多数の観客がいらっしゃいますので外部に漏れる可能性は否定できません。個人を特定した上での非難の応酬となると、葵さんのお望み通りに法律問題に発展しかねませんので。事の成り行きも理解しやすくなりますので、発言は作品中のお名前を使用していただくようにお願いします。阿久津先生はもちろん第一幕の作者ですから、登場人物の名称は改めてご紹介する必要はないでしょう」
スポットライトが葵に向かう。
葵は一瞬目を細めて顔を背けてから、挑むように話し出す。
「あなたの話は根本から間違いよ。あたしが書いた芝居が事実を元にしているっていう宣伝が、そもそも作り事なんだから。だってそうでしょう? あたし自身が芝居に登場して、劇中で殺されてるのよ。本当に起こったことなら、もうお墓の中じゃない。実際に起きたことは――あ、確かに人前で実名を挙げて罵り合うのはまずいわね。死んだのは作家と出版社社長の2人。シナリオに従って宗像と原ってことにしておきましょう。そもそも他には山荘に誰もいなかったし、2人は火事に巻き込まれて死んだだけだそうよ。なぜ逃げなかったのかは色々な憶測が出されていたけど、実際にはあたしも何も知らない。単純にその実話をヒントに一幕物をでっち上げただけの事じゃない。一から一〇まで、全部創作なのよ」
もう一つのスポットライトがサトミを照らす。
「さて、ここに一つの事実があります。亡くなった出版社社長は、実際に巨額の保険を自分自身にかけていました。第一幕で語られた通りに、大手出版社からの締め付けにあい、会社が破綻する寸前まで追い込まれていたのです。そして、著名な作家とともに山荘の火事で亡くなった……当然、保険金が支払われるべき事案です。しかし、免責事項によってその支払額はゼロに等しいほど減らされ、会社は破綻、社員は離散いたしました。なぜ、保険会社は免責事案と判断したのか。そしてご家族は保険会社側の主張に納得したのか、いや、納得せざるを得なかったのか……。その事情は今もって語られておりません。しかし、これまでの芝居をご覧になってきた観客の皆様なら、それがいかに重要な事柄であるかがお分かりになっていただけると思います。幸い今日は、当事者である保険会社の担当者をこの場にお招きしております。さあ、お答えいただきましょうか。太平洋生命の大高部長」
スポットライトが、葵から大高へ移動する。
不意に照らされた大高が口ごもる。
「え? あ、私のことか……そ、それは……」
サトミがさらに追求する。
「本来であれば、ご家族が太平洋生命に対して訴訟を起こしてもおかしくはありません。減額された金額だけで五億円に近いという異常な案件でしたから。つまり、確実に勝ちを取れると判断する弁護士が群がって当然と言えるほど、ご遺族側にとって有利な状況です。なのに、そうはならなかった。そうさせないだけの強力な証拠がご家族に訴訟を放棄させた、と考えるのが普通でしょう。さて、その証拠とは一体なんだったのでしょうか? お答えください、大高部長」
「な、なぜこんな場所で、そんな……。私が答えなければならない理由などない……」
葵が横で立ち上がろうとして、背後から屈強な男に押さえ込まれる。
「その通りよ! 何も話さないで! この人たちにそんな事を強要する権利なんてないんだから!」
サトミはあくまでも冷静だ。
「権利……ですか? では、わたしには真実を追求する権利がある、としたらどうでしょう?」
葵が喰ってかかる。
「何をバカなことを。たかが劇団のオーナー風情が、偉そうなことをほざいてるんじゃないわよ!」
「そう、現在のわたしは確かに劇団のオーナー風情にすぎません。しかし二年前……第一幕で描かれた山荘での惨劇が起きた当時は、誰もが知る人気作家の妻だったのです」
葵が息を呑む。
「まさか……。何おかしなこと言ってるのよ……」
葵は明らかにうろたえていた。
観客にその態度の意味が染み渡るだけの間をおいてから、サトミは言った。
「わたしは現場となった山荘に居合わせた宗像霞の妻、栗林亜佐子です」
劇場全体にどよめきが広がる。
スポットライトが移動し、まばゆい光を浴びた葵の表情が固まる。
「うそよ……」
サトミと自称していた女が、白いブラウスの前をはだけてブラの紐を少し下げる。乳房の間に、逆三角形の小さな痣がくっきりと見える。
「葵さん……あなたと一緒に温泉に入ったこともあったわよね。この痣、忘れていないはずよ。他にはわたしと寝た男しか、この痣のことは知らない」
葵が再びうめく。
「うそ……」
「うそなものですか。こうして、あなたの前に正体を晒しているじゃない。わたしはあの芝居に登場した、栗林亜佐子よ。あなたに日本から追い出された、敗北者。ただし、今、この瞬間までは、の話ですけど」
「なんで……?」
「まあ、一応は説明しておかなくちゃ納得してもらえないでしょうね。あなたが宗像と原を撃ち殺したことは、目を覚ましてすぐに理解できたわ。わたしの指紋がついた拳銃をどこかに隠すって書き置きがあったから、殺人犯にされたくなかったら海外にでも逃げろって言いたかったことも分かった。わたしを逃げ回らせておけば、殺人がバレても自分たちに疑いが向く危険は少ないでしょうからね。でも、殺人事件として捜査されることになれば、鑑識は徹底して行われる。予想外の証拠が発見されてあなた自身に疑いが向く恐れもゼロとはいえない。実際にはあなたも山荘にいて、2人を撃ち殺したんですから。拳銃以外の証拠はなるべく消しておきたいと考えるのが普通でしょう? そもそも人殺しなんか起きていないって判断されるのがベストよね。それならきっと事故に見せかける偽装工作に、誰かの――っていっても、鈴木以外には思いつかないけど、助けを借りると踏んだの。あなた、実際には衛星電話の中継器は壊していなかったんでしょう? 鈴木ならそこそこやばい知り合いもいるだろうし、探偵や証拠の採取に詳しい警官上がりだって雇えるかもしれないものね。だからわたしは、まず車を隠して、拳銃を探しながらあなたが戻ってくることに賭けた。万一先に警察が到着するなら、森に隠れてから逃げればいいと思っていたのよ。そうしたら、予測通りにあなたと鈴木、そしてもう1人の男がやってきた」
葵が声をもらす。
「まさか……」
横で鈴木が小声で叱責した。
「挑発に乗るな」
サトミ――亜佐子が鈴木を見てニヤリと笑う。
「あら、ようやく人間らしい反応を見せたわね。もうお高くとまってる余裕はないってこと?」
鈴木は答えない。
代わって葵が言った。
「あんた……顔を変えたのね……?」
「もちろん。韓国整形の金型なんて吐き気がするほど嫌だったけど、生き抜くためには仕方ないわよね。ついでに声も少し低くする手術をしてもらった。おかげで韓国資本の劇団の日本進出だなんていう作り話もあっさり信用してもらえたしね」
「だから、在日系の新規事業だなんて言ったのね……。シナリオの買取にあんな大金を積んでまで……」
「宗像が残してくれた財産に比べれば、大したことはなかったわ。このお芝居にはもっと大きな資金をつぎ込んでいますから」
「そこまでして……?」
「当たり前でしょう? あなたはわたしのプライドをズタズタに切り刻んだ。それを取り返すためなら、持っているものの出し惜しみはしないわ」
「だからって……こんなに時間が経ったのに……」
「たった二年よ。その間、わたしの時間は止まったまま。いいえ、時間が過ぎた分だけ憎しみは積み重なっていった。山荘であなた方がやった偽装工作を確かめた後、わたしは宗像の財産を可能な限り処分して韓国に渡った。顔を変え、身分も変え、そして日本に戻って今日のための準備を重ねてきたのよ。どれほど屈辱的な毎日だったことか……」
「諦めればよかったのに」
「諦められるはずないでしょう? わたしの指紋が残ってる拳銃さえ見つかって証拠が消せれば、そうまでする必要はなかったのに……。ログハウスの周囲を這いずり回って、必死に探したわ。何時間も、何時間も……。いつあんたたちが戻るか分からないから、頼りは月明かりだけ。体は冷え切って、手も切り傷だらけ、服もボロボロ。全く、みじめだったらありゃしない……。でもおかげで、予測が当たったことが確認できた。あの夜、あなた方がやったことを見届けられた」
「何よ、それ……何が言いたいの? あたしはそんなこと知らないわよ……」
「とぼけても無駄。あなた方と一緒にやってきた男、あれ、医者でしょう? 二つの死体から銃弾を抜いて、爆発で死んだような傷に作り変える。そしてキッチンに死体を移して、ガスを出す。暖炉の火でいずれは爆発し、事故にしか見えなくなる。警察が来て事故だと判断すればそれでよし、もしも弾痕とかが見つけられて事件化してあんたに容疑がかかれば、犯人は栗林亜佐子でわたしは喋ったら殺すと脅されていました……とでも言い訳する気だったんでしょう?」
「だったら、中に入ってガスを止めればいいだけじゃない。バカみたい」
「いつ爆発するかも分からない家になんか入れるもんですか。巻き込まれて死にでもしたら、それこそバカ丸出しよ。でも実際は、自宅から宗像の自筆で拇印が押された遺言書が発見された。そこには宗像霞が妻を離縁し、全ての版権は出版社と調整が付きしだい順次アイザワ書房に移管すると明記されていた……」
葵が目をそらしながらとぼける。
「何のことかしら? あたし、さっぱり分からないんだけど」
亜佐子がその言葉を無視する。
「人気作家を巻き込んだ不幸な事故が話題になって、宗像人気がさらに沸騰……アイザワの株も跳ね上がったってことよね。万一、逆上したわたしが警察に駆け込んで全てを話すようなことになれば、拳銃を隠した場所を明かせばいい。本当はそこに捨てたのを見ていたんですけど、報復が怖くて……とか言ってね。私の指紋が残っていれば完璧な物証ね。わたしは遺言書があることを知らないまま夫を射殺した間抜けな鬼嫁で、偽装工作も全てわたしの仕業っていうことになっちゃうでしょうね」
葵が怯えた表情で鈴木に目を向ける。
鈴木は平然と言ってのけた。
「何か裏付けはあるのかね? そこまで私たちを非難するのであれば、当然訴訟まで覚悟しているのだろう? 証拠がなければ公判は維持できんぞ。証拠を提示したまえ」
亜佐子は肩をすくめた。
「ないわよ、証拠なんて。あれば、こんな手間をかけて観客に真実を知ってもらう必要なんてないもの。気がついた時には携帯も取られていて記録は残しようがなかったし。まあ車のキーが刺しっぱなしだったのは、せいぜい逃げ回って殺人犯を演じろってことだったんでしょう?」
葵が不意に勝ち誇ったように叫ぶ。
「ほら、証拠なんかないんじゃない! どうせ全部あんたの妄想なんでしょう⁉」
それでも、亜佐子は動じない。
「ないのは物的証拠。でも、重要な状況証拠がある。それを知ってるのは大高さん、あなたよ」
再びライトを浴びた大高が口ごもる。
「なんで私が……?」
「さっきの質問に答えて。なぜ、原さんに保険金が全額支払われなかったの? 警察は事故だと判断したんだから、五億円を超える保険金が満額支払われて当然のはずでしょう? なのにご遺族は数一〇〇万円の保険金で納得するしかなく、出版社が潰れるのは避けられなかったし、社員に充分な退職金を渡すことも断念せざるを得なかった。ご家族はなぜそんな理不尽な仕打ちに耐えたの?」
「それは――」
鈴木の叫びが響き渡る。
「何も話すな!」
亜佐子が鈴木をにらみつける。
「つまり、知られると都合が悪いってことね。でもね、わたしは今、大高さんと話しているの。あなたは黙ってて。さあ大高さん、今ここで、200人の観客を納得させられる説明ができるかしら? もしそれができないなら、それは太平洋生命が不当に保険金の支払いを拒否した証拠になるのよ。証人もおよそ200人。これって、公表されたら会社の存亡に関わりかねない大事件よね」
大高は真っ青になって口をパクパクさせる。だが、声は出ない。
再び鈴木が命じる。
「喋るな」
亜佐子がうなずく。
「いいのよ、それならそれで。わたしね、原さんのご家族と話をつけてあるの。実は、ご家族が保険会社の言い分を承諾しなければならなかった理由も聞いてきました。原さんが自殺を決意していたって断定できる証拠を見せられた、ってね。でも、それをたくさんの証人の前で認めて欲しかっただけ。ここで何も明かされないようなら、ご家族は正式に保険会社を告訴するそうです」
鈴木が吐き捨てる。
「負けるに決まってるさ」
「むろん、裁判に負ける可能性も高い。だって、最も重要な物的証拠はあなた方の手の中なんですもの。その上、大出版社のネットワークを総動員して全力で潰しに来るでしょうからね。でも裁判になれば、今まで隠していたその証拠も公表されるかもしれない。ご家族には見せた証拠を、処分しましたなんて言い訳は法廷では通用しないでしょうね。その証拠の全容が明らかになれば、宗像の死は事故じゃないっていう疑いが生じる。あの事件、もう一度徹底的に調査されるわね。ワイドショーのネタにでもなれば、太平洋生命の評判はガタ落ち。あんた、懲戒免職確定ね。たとえ裁判に勝てなくても、あんたの会社は風評になぎ倒されるわよ。それでもどうにかなるなんて甘い考えを持っているなら、今ここで観客のみなさんに太平洋生命の実際の会社名を明かしても構わないのよ」
大高がうめく。
「やめてくれ! 私のせいじゃない……頼まれただけなんだ……」
鈴木がさらに声を高める。
「黙れ!」
亜佐子がじっと大高を見つめる。
「あなたに責任はない。通常の業務をこなしただけ。だから、ここで話して。なぜ原さんの家族は、社員を救えるはずだった保険金を諦めたの?」
「動画があったんだ……原社長が、自殺に至る覚悟を記録した自撮り映像……」
鈴木が命じる。
「それ以上話すな!」
亜佐子が鈴木に向かって叫ぶ。
「あなたは黙って!」
一度話し始めた大高はもはや鈴木の指示に従おうとはしなかった。
「それをご家族に見せた。ご家族も免責事項を承諾するしかなかった……」
「その映像は、どこにあったの?」
大高は葵に目をやる。
「彼女……阿久津さんから渡された。USBメモリーに入っていた……」
「内容を覚えている? 大雑把でもいいから」
「それは、もちろん……」
「原さん自身が語っていたのね?」
「そうだ」
「その映像、誰に対して話していたものか、分かる?」
「分かる……。あなた……栗林亜佐子さんに対して、なぜ自分が死ななければならないのか……どうして殺しあって死んだと演じなければならないのか……。そして、なぜあなたを死ぬほど恨んでいるのか……その理由を語っていた……」
「それって、今のお芝居の第一幕にあったUSBメモリーの内容と一致すると思わない?」
「たぶん、そうなんだろう……」
観客の間にため息のようなどよめきが広がる。
「その映像を全部ご家族に見せたの? 最初から最後まで、ノーカットで?」
「いや……一部だけだ……偽装自殺を演じると匂わせていた部分だけを抜き出した……だからご家族は反論できなかったんだ……」
「そして太平洋生命は多額の保険金支払いを回避でき、原出版はアイザワ書房に抵抗することもできなくなった……そうですよね、鈴木専務」
スポットライトが鈴木に向かう。
「ふん」
鼻で笑った鈴木に、亜佐子が言った。
「全てはあなたが背後で操っていたこと……。それを認めていただきたいんだけど」
「バカな。私は何も知らない。何も指図はしていない。法に触れることが行われていたとするなら、それは全て阿久津葵が企んだことだ」
葵が金切り声をあげる。
「何よそれ! あんまりじゃない!」
鈴木は動じない。
「なんのことだ? 私は何も知らんが?」
葵は何か言いかけたが、しかし言葉が出ない。
亜佐子は言った。
「仲間割れは後でごゆっくり。鈴木専務――というより、次期アイザワ書房社長さんかしら。あなたがとぼけることは分かってました。そういう男ですものね。それはいいでしょう。でも一つ、今までの話に欠けている存在があります。そう、ゴーストライター西田信吾君です。彼は今、一体どこで何をしているんでしょうか?」
鈴木が吐き捨てる。
「知るか、そんなこと」
亜佐子が葵に質問する。
「あなたはご存知?」
葵は答えなかった。
鈴木が命じる。
「答える義務はない」
亜佐子がうなずく。
「義務はないわよね、確かに。では、わたしが代わってお話ししましょう。西田君は、わたしが2人を射殺したと信じてしまった。当然、救出してくれた葵を命の恩人だと思い込んでしまった。そして作家の修行を続ける傍ら、阿久津葵のゴーストライターとして働かされることになった。でも、アイザワの編集に見せる自分の作品は文章が未熟だとけなされてボツばっかり。そしてそのアイデアは他の作家やシナリオに流用されて、結局これまでと何も変わらない日陰者扱いだった」
「なんでそんなことが言えるのよ……」
「だってわたし、西田君に会って話してるんですもの」
「うそ! そんなこと聞いてないわよ!」
「聞いてないって、誰から?」
「信吾ちゃんからよ、決まってるじゃない!」
鈴木がうめく。
「バカが……つまらない手にひっかかりやがって……」
「引っかかるって何よ⁉ あ……」
亜佐子が笑いをこらえる。
「つまりあなたは、事件後も西田君と行動を共にしていたって、今、200人の前で認めたのよ。わたしの話が一つ、信ぴょう性を増したわけ」
「汚い真似を……」
「これで西田君があなたのゴーストであることはほぼ間違いないでしょう。一年ほど前に話題になった作品――あんなの、あなたの才能じゃ書けないものね」
「あたしが無能だって言いたいの?」
「西田君の手助けを欲しがっていたのは事実でしょう? でも、それだけじゃないのよ。大事なのは、わたしが真実を話したことで西田君もあなた方の陰謀を認めるしかなくなったってこと。あなた、自分の脳腫瘍を抑えるいい薬が開発されて死期が延びた、とか言ったそうね。恥知らずもいいとこだわ」
「なんでそれを……?」
「だから、西田君に会ったんだってば。もともと彼は、自分が操られているんじゃないかって疑っていた。でも、あんな性格だからどうやって抵抗すればいいかなんて分からない。抵抗する気力もない。でもわたしの話を聞いて逃げ場がなくなったわけ。葵さん、西田君はあなたのスマホから重要な証拠を抜き出したの。そして、真実を知ってしまったのよ」
「何よ、証拠って……」
亜佐子は不意に観客に向き直って声を張った。
「さてここで、新たな人物に登場していただきましょう。西田信吾君です!」
亜佐子が舞台上を示すと、スポットライトがさらに増えて男を浮き立たせる。西田信吾役だった役者が、いつの間にか別の男に変わっていた。
男が小さな声でぼそぼそと話す。
「ぼ、僕が本当の西田信吾です……」
観客がどよめき、葵も息を呑んだ。
「何で信吾ちゃんが……」
亜佐子がうなずく。
「彼が西田信吾本人であることは、今、阿久津葵さんが認めてくださいました。この舞台に上がることは、西田君の切なる願いでもあります。ではその思いを果たしていただきましょう」
しかし西田は、何も話さなかった。顔を伏せたまま片手を上げて、そこに握られたレコーダーのスイッチを入れる。会場のサイズに比べれば音量は小さかったが、静まり返った劇場内に再生される声が広がっていく。
『信吾ちゃん! 大変なことになっちゃった!』
『どうしたんですか⁉』
『亜佐子さんが拳銃を持ってたの……みんなを撃ち殺して……あたし……夢中で……』
『これで殴ったんですね? でも、亜佐子さんはどうして……? あ、拳銃は?』
『ここにある。警察、行かなくちゃ……』
『計画、めちゃくちゃじゃないですか……』
『もうそんなこと、言ってられない! とにかく、警察に!』
『でも、それじゃあ葵さんが死ねなくなる……』
葵が叫ぶ。
「何でそんな録音があるのよ⁉」
西田はレコーダの再生を止めてがっくりと首をうなだれた。無言で舞台セットの椅子に座り込む。
亜佐子が説明する。
「葵ちゃん、あんたってセックスの後、すぐ寝込んじゃうんだってね。スマホに指を当てればロックは外れるし、データは抜き放題よ。いくら世間知らずの西田君だって、自分が騙されていたかもしれないって疑えばそれぐらいの技は使えるわよ」
「まさか……」
「なんでそんなデータを残しておいたんだか……。たぶん、鈴木に切り捨てられそうになったら自分を守る材料にでもする気だったんでしょうけど」
「だってそれ……亜佐子が殺した証拠になると思って……」
亜佐子が観客に語りかける。
「みなさん、お気づきでしょうか。今流された録音の声は、葵さんと西田君のものです。そして録音されたのは、事件があった当日です。第二幕の会話はこの録音をそのまま再現したもので、他の部分はわたしが目撃した事実で構成したにすぎません。宗像と原社長が亡くなった事故の実態は、阿久津葵の計略による殺人だったのです」
葵が鈴木にすがる。
「どうしよう! 助けて!」
鈴木が目を背ける。
「私は何も知らない。巻き込むな」
「そんな……だって、全部あなたの命令だったのに……」
「うるさい! 私は何も知らないと言ってるんだ!」
「やめてよ! あたしは命を張ったのよ! しらばっくれないでよ!」
亜佐子が命じる。
「全部話しなさいよ。葵ちゃん、あなたは鈴木の命令に従っただけなんでしょう?」
「当たり前じゃない!」
鈴木が叫ぶ。
「何も話すな!」
葵は聞かない。
「うるさいわね! あんたが裏切る気なら、こっちだって黙ってないわよ。あんたの悪巧みを全部ぶちまけて、刑務所にぶち込んでやるわ!」
亜佐子が念を押す。
「葵ちゃん、あなた、2人を殺したのね? 第二幕が真実だと、認めるのね?」
「そうよ! 2人は私が撃ち殺したのよ! でも、命令したのは鈴木。銃を用意したのは鈴木。火事を偽装したのは鈴木。今でも信吾ちゃんを使って儲け続けてるのも鈴木よ!」
鈴木が叫ぶ。
「黙れ黙れ黙れ! 全部でたらめだ! この女の妄想だ! 私は何もしていない!」
亜佐子は再び観客に向かって話しかけた。
「さて、これが事件の一部始終です。ご理解いただけましたでしょうか」
鈴木がわめく。
「何がご理解だ⁉ こんな観客たちに関係ないだろうが! 私を見世物にするんじゃない!」
亜佐子は鈴木を見つめて、語りかけた。
「観客の皆さん……実は関係あるんですよ」
鈴木の表情が曇る。
「は? お前、何を言ってるんだ?」
「今日、客席に集まった皆さんは全員、原出版のかつての社員やそのご家族なんです。あなたの欲望と策略によって職場を奪われ、正当な対価も支払われずに人生を破壊された被害者なんです。中には再就職できずに絶望して自殺した方のご家族もいらっしゃいます。あなたが、彼らを追い詰め、苦しめ、あるいは殺したんですよ」
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