2場
舞台の上の役者たちは血糊にまみれていた衣装を着替え、四隅に散っていた。それぞれに手には武器を持ち、互いを牽制している。
第一幕の殺人が起きる寸前のシーンに戻っている。
最初に動いたのは原だった。斧を構えて葵に向かって突進していく。
葵が叫ぶ。
「なんであたしに⁉」
葵が噴出させる消化剤の中に、斧を振り上げた原が飛び込む。
だがその瞬間、舞台上に銃声が轟いた。
消化剤の霧の中から驚きの表情を浮かべた原が歩み出る。その胸に血の染みが広がっていく。
葵の手には、いつの間にか拳銃が握られていた。
原がうめく。
「おい……本当に飛び道具なのかよ……」
原は斧を落としてがっくりと膝をついた。
葵が冷静に言った。
「だって、殺されるの嫌だもの。刃物を使って返り血を浴びるのも気持ち悪いし。ちょっとやんちゃな知り合いに用意してもらったんだ」
「お前……脳腫瘍だから……殺してくれって……」
「バカね、あっさり信じた? 当然、嘘よ。ステージ4なんてただのフェイク。だから、死ぬ理由もないの」
「なんだよ……それ……」
原は前のめりに崩れて、動きを止めた。
それを確認した葵は、閉じているキッチンのドアを気にしながらも部屋の対角線上の宗像に拳銃を向ける。
「宗像先生、まずはあたしの指示に従ってくださいね。拳銃なんて撃ったことないから、こんな遠くから当たるかどうか分かりませんけど。でも、弾はたくさん用意してもらったの。あたしが人を撃てることも分かったでしょう? もちろん初めてだけど、思ってたより平気なものね。拳銃って、怖い」
宗像がうめく。
「なんだって原君を……?」
だが、スタンドの電源コードの長さに限りがあるために、部屋の隅から動くこともできない。
「だって、邪魔なんですもの。そもそも、原さんは先生に殺されるためにここに来たんだから、手を下す相手が変わったって大した違いはないんじゃないですか」
亜佐子が宗像を見つめる。
「あなたが原さんを殺すって……どういうこと? あなた方、わたしに黙って何か企んでいたの……?」
答えたのは葵だった。
「急ぐから、簡単に説明しとくわね。だから、質問はしないで。あたしたち3人は、みんな死にたがっていたの。で、互いに殺しあって最後に残った先生があなたに殺される。そう仕向けるのがあたしたちの計画。それを信吾ちゃんが撮影してあなたを脅迫して、自由を得る。そういうシナリオだったのよ」
亜佐子がつぶやく。
「だって西田君、死んだんじゃ……?」
「あれもお芝居。強い麻酔薬を飲んだのよ。でも、効果はすぐに切れる。だから今の銃声に気付くかと思ったけど、まだ眠ってるみたいね。でもたぶん、もうすぐ起きてくるわ」
宗像が苦渋に満ちた表情で言った。
「葵君……君は最初から私たちを騙していたのか……。あれほど入念に練った計画だったのに……」
「残念でした。あたしたちはもっと前から、もっと入念に計画を練りこんでいたのよ」
「あたしたち……? 仲間がいるのか? 誰だ、それは……?」
葵はじっと宗像を見つめる。
「それ……本当に聞きたいの? 絶対、後悔するわよ」
宗像の目に凄味が滲み出す。
「誰だ……?」
「あたし、一応警告したからね。打ちのめされたままで死んで行きたいなら、教えてあげるけど」
「誰だ⁉」
「あたしはね、アイザワ書房の鈴木専務の命令で動いていたのよ。ずっと前から、あの人の愛人だったから」
宗像が言葉を失う。
声を漏らしたのは亜佐子だ。
「まさか……なんで鈴木さんが……?」
葵がニヤリと笑う。
「鈴木ってさ、そういう男だよ。知ってるはずじゃない? 女なんて都合がいい時に抱ければそれで構わない。利用できればなおいいし、都合が悪くなったら切り捨てる。あんたも使い捨ての女の1人だったっていうこと」
「あなた方が知り合いだったなんて……全然知らなかった……」
「だって、隠してたも」
「じゃあ……わたしのことを聞かされて陰で笑ってたの?」
「笑うなんてとんでもない。哀れなお仲間がいるなって同情してたのよ。でも、お互い鈴木を利用してのし上がろうって魂胆があったんだから、責めっこなしね。あたしの方が少し早く知り合ってたってだけのことだから」
亜佐子は納得がいかないように喰い下がる。
「でも、どうして鈴木と知り合いに……?」
「引き合わせたのは原だよ。あたし、高校中退してから何年か原出版でバイトしてたから。原は、アイザワから印刷部の仕事を欲しがってた。少しでも業績を上げたかったんでしょうね。で、手土産代わりにあたしを差し出したわけ。バイトを辞めてから何年かして突然呼び出されて、腹が出たオヤジとも寝られるかって、もろに聞かれたわ。あたしもADに疲れてて、なんとか脚本家になれないかな……ってチャンスを狙っていたから。アイザワ書房の専務ともなれば、映像部門にも押しが効くだろうしね」
「でも……だったら原は、あんたと鈴木の関係を知っていたってこと……?」
「いいえ。原は『コミュ障の小娘なんか連れて来るんじゃない』って怒鳴られたって言ってたわ。でも鈴木は言い寄ってくる小娘にうんざりしていて、コミュ障がかえって面白かったようね。あたし、人付き合いが苦手で友達が少ないから、言いふらしたくても相手がいないしね。適当に遊ぶには都合が良かったんでしょう。しかもあたしは、原には絶対に喋るなって釘を刺されていたの。だってそんな弱みを掴まれたら、脅される原因になっちゃうじゃない。鈴木はああ見えても家族は大事にしてたからね。年頃の娘もいたしさ。だから、原はしくじったと思ってそれっきり忘れてたようね」
「でもあんたは、ずっと愛人を続けていた……?」
「おかげで、使いっ走りのADを卒業して脚本家になるきっかけが掴めたしね。鈴木はスキャンダルにならずに若い女が抱ければいいだけだったし、お互いの要求は満たされていたわけ」
「汚い女ね……」
「まあ枕営業だけど、別に珍しいことじゃないでしょう? あんただってそうやって先生に取り入ったんだし」
「あんたには言われたくないわよ」
「ま、お互い様ってことでしょう。そうこうしているうちに、宗像先生がとんでもない脱皮を遂げたわけ。半端なシナリオライターだって、それなりの感性は持ってるわよ。これ、宗像ワールドとは対極だって、素朴に思った。土台の部分では理詰めだったはずの宗像霞が、いきなり理屈を超えたファンタジーセンスで感情を揺さぶってくるんですもの。こんな方向に進化するなんて、常識ではありえない。もともと原が先生と幼馴染だったことは知ってたから、探りを入れてみた。そしたら、いきなり真っ青になっちゃってさ。脅してみたら、信吾ちゃんの話が出てきたの」
「それで鈴木にご注進したってわけ?」
「だって、こんな爆弾情報、あたし1人のスキルじゃ料理できないもの。手に負えない危険物は誰かに預けちゃうのが一番。業界の大物を頼って当然じゃない?」
「まさか……だから鈴木は、わたしに近付いてきたの?」
「正解。あんたは鈴木を手玉に取ってたつもりだろうけど、あいつは最初からあなたを通じて宗像作品を取り込もうと企んでたってわけ」
「手玉に取るって……? わたしは宗像の価値をもっと高めたかっただけよ。自分の作品が渇望されていると知れば、宗像だって殻を破ることができるかもしれないし……。もう一度自分の力で書き上げた作品を読ませて欲しかったから……。だけど、そのために鈴木に体を許したりはしない」
「分かってるわよ。宗像先生があなた方の関係を疑うように仕向けたのは、全部鈴木の仕業なんだから。探偵を抱き込んだり、ホテルでの証拠写真を合成したりしてね。もちろん、あたしからの内部情報があったからこその裏工作だけど」
「あなた……そんなことまで……。でも、なぜそこまで? どんな手段を使うにせよ、妻を寝取ったら宗像は鈴木を許さない。絶対にアイザワに協力しない。わたしからも何度もアイザワにも作品を提供して欲しいって頼んだのに、過去の恨みを捨てきれなかったんだから」
「だからこそ、よ。宗像先生がゴーストライターに頼る作家に成り下がったなら、もはや本人に用はない。そのゴーストを捕獲して、先生の過去作品の版権を奪う。それが狙い。作家本人が死ねば、版権は妻がどうにでもできる。これで完璧」
宗像がようやく声を絞り出す。
「まさか……そこまで悪辣な企みを……」
葵が肩をすくめる。
「先生が少しぐらいアイザワを儲けてさせてやればよかったのよ。映画化の申し出だって何度もあったんだから。どうせゼロなら、危険を犯しても全て奪い取ろう――鈴木って、そう考えてのし上がってきた男なのよ」
亜佐子が言った。
「じゃあ、今度のことは全部鈴木が仕組んだっていうの……?」
「まさか。今日の悲劇は運命が絡み合って出来上がった正真正銘のサプライズ。予想外のあれやこれやがこの山荘に収斂して、爆発したって感じかな。神様って、本当に偉大な劇作家よね。鈴木は計算高いけど、ただの人間ですから。もっと長いスパンで、危険のない計画を立てていたのよ」
「何よ、その計画って……?」
「まずはあなたを完全に抱き込む。そしてあなたが作る食事で先生の高血圧を促進させるとか、ベッドで責めさせていつかは腹上死させる、とかね。心臓にはペースメーカーまで入ってるんだから。特別急いではいなかった。むしろじっくりと先生を追い詰めていくことに喜びを感じているみたいだったわ」
「だったら、なぜこんなことに……?」
「今から思えば、原が死ぬ覚悟を決めたのが引き金だった……かな。あたしに、俺が死んだら西田のことをよろしく頼む、だって。放っておいたらあんたに骨までしゃぶられるって、すごく心配していたの。宗像先生はあんたに逆らえないし、いつ心臓が潰れるかも分かんないしね。それを鈴木に知らせたら、お前も一緒に死にたいって嘘を言え、って命じられたのよ。一瞬の判断だったわ。鈴木の直感って、本当にカミソリ並みよね」
宗像がうめく。
「だから2人で……自殺に協力してくれなどと……」
葵が微笑む。
「鈴木の狙いは、自殺幇助であなたを社会的に抹殺することだったみたい。ところがこれまたびっくり、先生まで死にたいだなんて言い出すんだもの。あとは、先生が知っている通り。ただし、どんな計画が進んでいるかは鈴木に一つ残らず知らせていたけどね。……さて、そろそろ信吾ちゃん、目を覚ますかもね。そうのんびりもしていられない。2人とも、ちょっとじっとしててね」
葵は身を翻してキッチンに入った。しばらくすると何事もなかったかのようにダイニングに戻る。
宗像が怯えたようにつぶやく。
「西田君に……何をした……?」
「何も。まだぐっすりお休みだったわ。衛星電話の中継器の電源コード、切ってきたのよ」
そして小さなニッパーを見せびらかす。その手には薄い手袋がはめられている。
その間に亜佐子は椅子に座っていた。だが、火かき棒を手離そうとはしていない。
「衛星電話……? 何それ? そんなもの、ここにあったの?」
葵が亜佐子に近づきながらうなずく。
「今日のために設置したのよ。あなたが宗像先生を殺す映像をネットにアップしないといけないから」
亜佐子の視線が宗像に向かう。
「そんなことをやろうとしていたの……?」
宗像は無表情に答える。
「西田君をおまえから解放するためだったが……私たちは鈴木の計略に敗れたようだな……」
亜佐子がかすかに笑う。
「わたし……全然信用されていなかったのね」
「すまなかった。だが、私たちも必死だったんだ。追い詰められていたからこそ、こんな罠にはまってしまった……。許してはもらえんだろうがな……」
葵は亜佐子に言った。
「その火かき棒、捨てて」
「嫌よ」
「拳銃には勝てないわよ」
「それでも嫌」
「じゃあ、これと交換」
葵は手にしていたニッパーをテーブルに置いて、亜佐子の方へ滑らせる。
亜佐子は目の前に来たニッパーを反射的に止めて、握る。
「これが、何?」
「中継器の電源を切った道具」
「だから、こんなものをどうしろと?」
「今、あなたの指紋がついた。慌てて拭いても、DNAの断片とか採取されちゃうかもね」
亜佐子はニッパーをテーブルに放り出した。顔から血の気が引いている。
「何を企んでるの⁉」
葵が不意に拳銃を撃った。がだその弾丸は、天井にめり込む。
その瞬間、亜佐子は固く目を瞑って身をすくませた。
同時に葵が素早く前に進み出る。左手に小さな注射器が握られている。親指でプラスティックのキャップを弾いて外すと、針先を亜佐子の肩に突き立てる。
葵は微笑んだ。
「おやすみなさい」
亜佐子は何かを言おうとしたが、声も出せずに意識を失ってテーブルに突っ伏した。
宗像が叫ぶ。
「何をした⁉」
「心配しないで。信吾ちゃんの麻酔薬をちょっと拝借しただけだから。って、調達したのはそもそもあたしだし。あの粉、溶かすと注射でも使えるんだって」
「なぜ、そんなことを……」
「先生を従わせるためよ」
そして葵は、亜佐子のこめかみに拳銃を突きつけた。
「亜佐子を殺そうというのか……?」
「先生次第ね。言うことを聞いてくれないなら、そうなるかもしれない」
「私が亜佐子を憎んでいることは知っているだろう? 今度のことは鈴木の計略だったとしても、亜佐子が西田君を使って私を操っていたことに変わりはない。脅しは効かない」
「そうかな? だったらどうして、先生は自分が死のうとしたの? 憎いなら、この女を殺せばいいじゃない」
「私が死ぬほうが、亜佐子を追い詰めることになるからだ」
「そう思い込みたいのかもしれないけど、おそらくそうはならない。だって亜佐子には鈴木がついているんだし、あんな芝居染みた計画がシナリオ通りに成功するなんて保証はない」
「打てる手は全部尽くした。君もよく知っているはずだ。一緒に計画を練りこんでいたんだからな」
「それにもかかわらず、計画はすでに斜め上にねじ曲がっちゃったでしょう? 計画なんて、所詮その程度のものよ」
「まったく、想定外ってやつだな……」
「そもそも、死んだ後のことなんてどうなるか分かるもんですか。結末を見届けることは不可能なのに、それでも先生は自分が死ぬことを選んだ。死んで楽になりたかったってより、他人を殺すのが怖かったんじゃない? 優しいとも言えるし、弱いとも言える。でも先生は、そういう人。でなければ、そもそも亜佐子のいいなりになんてならなかったはずだもの」
宗像はしばらくの沈黙の後に言った。
「何をさせたい?」
葵が亜佐子に銃口を向けながら、自分の席に置いてあったバッグを取りに行く。
「そうこなくちゃね」
葵は宗像に歩み寄り、近くのテーブルにバッグの中身を出す。数枚の紙と二本のペン、そして朱肉だ。
自分も白紙とペンを一本取って、再び亜佐子の隣に戻る。そして銃口を亜佐子に突きつけた。
宗像が電気スタンドのポールを捨てて席に着く。
「で、これをどうしろと?」
「ワープロの文書の内容を、白紙の方に書き写して。サインして、拇印を押すのよ」
宗像が印刷された文書を見る。
「遺言書か……」
「死ぬんだから、あって当然でしょう?」
内容をじっくり読んだ宗像が、重苦しいため息を漏らす。
「これを書き写せば、本当に亜佐子には危害を加えないか?」
「もちろん。亜佐子の体を傷つけたりしないと約束するわ。それに、これからは信吾ちゃんも自由よ。あたしは、その遺言書が欲しいだけだから」
「つまり私はこの遺言書によって、亜佐子に離婚を言い渡し、過去作品の版権は一つ残らずアイザワ書房に預けると宣言することになるのか……。だが、遺言書では妻の遺留分までは奪えないのではないか?」
「それぐらいはくれてやったって構わない」
「欲しいのは過去作の版権か……。映像化の申し出もずいぶんあったからな……」
「もう逆らえないわよ。あなたが言った通り、鈴木の策略に完敗したの」
「そのようだな……。亜佐子だけならともかく、西田君まで人質に取られてはな……。一つ、要求を出していいか?」
「内容によっては」
「せめて西田君をアイザワからデビューさせてやってほしい。ゴーストライターではなく、作家としてだ。彼はもはや私の分身のような存在なんだ……」
「それは鈴木の希望でもある。約束するわ」
「ありがとう」
宗像が黙々と遺言書を書き写し始めた。それが終わると、親指で拇印を押す。
葵が命じる。
「部屋の隅っこに戻っていいわよ」
宗像が戻ると、葵は文書を回収して内容を確認する。
「内容は指示通り、日付けは最新、拇印も鮮明……と。これで公文書としての遺言書が完成ね。それじゃ、このお芝居を終わらせましょうか」
葵は宗像の遺言書をバッグにしまい込んだ。意識を失った亜佐子の手に拳銃を握らせて、背後から両手でその手を包み込む。
そして銃口を宗像に向けた。
宗像がうめく。
「何を……?」
「亜佐子があなたを殺すのよ。拳銃には指紋がくっきり」
「バカな! 約束が違う!」
「約束は、体は傷つけないってこと。だって、五体満足じゃないと警察から逃げ切れないでしょう? 亜佐子が殺人犯の役を演じてくれないと、この先いろいろと面倒だし」
「汚い女だ……」
「あら、悪しからず。これも鈴木のアイデアなの。確かにあいつ、相当腹黒いわよね。でもこれで、あたしの願いが叶う可能性が一つ先に進んだわ。お礼にあなたの願いも叶えてあげる。心底死にたかったんでしょう?」
そして葵は、亜佐子の指越しに引き金を引いた。
二度、三度……。
宗像は無念そうな表情を浮かべたまま壁に叩きつけられ、ゆっくりと崩れた。
葵は拳銃をテーブルに置き、白紙の紙を前にしばらく考える。そしてペンを握った。
「そうね……『亜佐子さんが人を殺したことは黙ってるから、二度とわたしの前に現れないで。あなたが指紋を残した拳銃はどこかに隠していきます』――こんなもんでいいかな」
その紙をテーブルに置くと、落ちていた火かき棒で亜佐子のこめかみを殴る。椅子から転げ落ちた亜佐子が、身じろぎをする。だが、意識は戻らない。
その姿を見下ろしながら、楽しげにつぶやく。
「ま、これぐらいじゃ死なないわよね。この紙を見たら、自分が犯人にされるって分かるから、姿を消すしかないしね」
葵は拳銃やニッパーをさらにバッグに詰め込むと、床に落ちていた注射器のキャップを拾ってから、椅子に座ってテーブルに突っ伏す。
そして、上目遣いにキッチンのドアを見つめた。
そのまま数分が過ぎる――。
すると、ドアが開いて西田が現れた。打ち合わせ通りにスマホで室内を撮影している。だが、部屋の状態が打ち合わせとは違うことに気づいて、だらりと腕を下げる。
「あれ……? なんか、変……」
西田の声で我に返ったかのように、葵が顔を上げる。
「信吾ちゃん……大変なことになっちゃった!」
西田が麻酔の名残でふらつきながらも、葵に歩み寄る。
「どうしたんですか⁉」
「亜佐子さんが拳銃を持ってたの……みんなを撃ち殺して……あたし……夢中で……」
葵は手にした火かき棒を西田に見せた。
「これで殴ったんですか? でも、亜佐子さんはどうして……? あ、拳銃は?」
葵がバッグを軽く叩く。
「ここにある。警察、行かなくちゃ……」
「計画、めちゃくちゃじゃないですか……」
「もうそんなこと、言ってられない! とにかく、警察に!」
西田が気づく。
「でも、それじゃあ葵さんが死ねなくなる……」
葵はため息を漏らす。
「いいのよ、あたしのことは。仕方ないもの。どう足掻いたって死ぬんだから、諦めるしかない。ちょっと苦しいのを我慢すれば、いいだけ。それより、信吾ちゃんを助けなくちゃ」
「僕を……?」
「亜佐子が気がついたら、あたしたちを殺そうとするわよ、きっと。それに、信吾ちゃんはここにいないことになってるんだから、とにかく逃げないと警察が不審に思う。信吾ちゃんの将来をこんな女に壊させるわけにはいかない。すぐここを出ましょう!」
「葵さん……」
「あ、テーブルのUSB集めておいて! 信吾ちゃんがここにいた証拠になりそうなものがあったら、それもね! あたし、車のエンジンかけて温めてくるから。拳銃も森の中に隠してくる!」
葵は外に飛び出していった。
西田が証拠になりそうなものを集め終えると、葵が部屋に戻った。
西田がテーブルのメモを指差して問う。
「この紙、葵さんが書いたんですか?」
「そうよ。そのまま置いておいてね。あたしなりに、一生懸命考えて書いたんだから」
「どういうことですか……?」
「ここには警察の調べが入るでしょう? 亜佐子さんが捕まったら、何を喋るかわからない。そうしたら、信吾ちゃんだって取り調べられたり捕まるかもしれないもの。だって、2人も死んでいるんだから。そんなの、嫌でしょう?」
「確かに……」
「信吾ちゃんには作家になってもらわないとならないの。それが命を賭けたあたしたちの願いなんだから。だから、あらかじめ脅かしておくのよ。亜佐子はたぶんもうすぐ気がつく。警察がくる前に逃げて、殺人犯のまま一生逃げ続けてほしいの。宗像先生の資産を持っていけば、どこで暮らしたって不自由はないでしょう。国外にでも逃亡してくれれば、日本に戻ることもないと思う。それなら信吾ちゃんも安全だもの」
「そこまで先を……」
「必死に考えたのよ。集めた証拠、もらえる? あたしが処分するから。あ、それからあたしのスマホも」
西田がスマホを渡そうとして、初めて録画が続いていたことに気づく。
「あ、録画しっぱなしだった」
「いいわよ、あとで消しておくから。とにかく急いでここを出ましょう。町に入ったら、信吾ちゃんは駅の近くで降ろすから。あたしはそれから警察に電話して、全部話します」
「葵さん……体は大丈夫なんですか……?」
「それ、聞かれるの嫌なんだけどな……。考えたくないんだ」
「すみません……。でも……」
「余命はまだ何ヶ月かあるから、たぶん、まだ大丈夫だと思うわ。でも、これが信吾ちゃんのためにできる最後の仕事になるのかもね……。無事に戻ったら、あたしの部屋に来てね。警察とかの様子を見ながら、あたしが生きてる間にこの先どうするかを考えましょう。信吾ちゃんのことが安心になるまで、あたし、死ぬわけにいかないから」
そして2人は、山荘を出て行った。
――暗転
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