第二幕――men

1場

 下がりきった緞帳の前に、白いブラウスを着た1人の中年女が歩み出る。

「さて、ご覧いただいた鮮血にまみれた愛憎劇には、驚くべき後日談がございます。その顛末をこれからご覧いただくことになりますが、その前に特別にお招きしたゲストの皆様に舞台へ上がっていただかなければなりません」

 その小劇場の観客収容人数は200人に満たない。だが座席はびっしりと埋まり、立ち見までが出ている。客席の中央に、スポットライトが当たった。

 1人の女とその両脇にいる男の姿が暗闇に浮かび上がる。

 観客の注目を浴びた女が周囲を見回してつぶやく。

「え? あたし……?」

「この芝居の脚本を書かれた阿久津葵さんです。あ、むろん本名ではありません。ただ、これからの芝居の進行をややこしくしないために、第一幕での役名で呼称させていただくことをお許しください。皆さん、阿久津先生にどうか盛大な拍手を!」

 舞台上の女の煽りにつられて、劇場内にまばらな拍手が広がっていく。だが観客のほとんどは、予想もしなかった芝居の展開に戸惑っている。

 葵は仕方なさそうに立ち上がるが、その表情も困惑に包まれている。

「これ……なんのサプライズなのかしら……? 後日談って……そんなもの、渡してないじゃない……」

 舞台の女はにこやかに、そして大げさに葵の両脇の男たちも指し示す。

「おや、これは葵先生と親密な提携を築いていらっしゃるアイザワ書房の鈴木専務ではありませんか。もうお一方は新たな登場人物、太平洋生命――これも芝居の中での架空の団体ではありますが、その大高部長とお見受けしましたが?」

 男の1人が座ったまま、鷹揚にうなずく。

「私が鈴木――ということになるのかね? 劇団から初演の招待状は受け取ったから来てはみたが、これはなんの悪戯かね?」

 大高と呼ばれたもう1人の男は、辺りをキョロキョロ見回すだけで応えようともしない。

 舞台上の女がうなずく。

「その通り、ほんのちょっとした悪戯を仕掛けさせていただきました。まあ、初演のための舞台挨拶のようなものです。特に我々のような新参者の劇団に貴重なシナリオを提供してくださった阿久津先生への感謝を込めまして、壇上にてささやかなお礼をさせていただきたいと願っております。さあ、こちらへ!」

 大高と呼ばれた男が我に返って葵に食ってかかる。

「こ、こんなの聞いてませんよ! 劇団員の保険とか公演に関する補償とかの話だって言うから時間を割いたんじゃないですか! 人前に出るなんて好きじゃありません。帰らせていただきます!」

 葵が答える。

「あたしだって聞いてませんって。何がなんだか……」

 大高は席を立って中央の通路に出ようとする。

 だがその先を、いつの間にか立ちはだかっていた数人の屈強な男に阻まれる。彼らの目には明らかな敵意があった。

 言葉を失った大高に代わって、葵が身を乗り出して叫ぶ。

「どきなさいよ! あたしたちは出て行きますから!」

 背後で鈴木が言った。

「こっちも塞がれた。どうやら、出してはもらえないようだ」

 葵が振り返り、反対側も数人の男が塞いでいることを確認する。

 観客席全体からどよめきが広がっていく。周囲からも囁き声の会話が沸き起こり、葵たちの耳にも届く。

「あれ? これって新機軸だね。なんか面白い……」

「サプライズって何かしらね……」

「やだ……なんかのトラブルかも。わたし、こんなお芝居、観たことないわ……」

「これも芝居の一部なんじゃないか……?」

「ええ……? でも、なんか怖い……」

 舞台上から女が言った。

「あらかじめご説明しておけなかったことはお詫びいたします。ただ、何が起きるかが分かっていたらサプライズになりませんし、観客の皆様にも充分にお楽しみいただけませんので。まずは、お3人には舞台に上がっていただきましょう」

 大高がつぶやく。

「だからそんなのは嫌だって……」

 だが3人は、男たちに囲まれるようにして中央通路に押し出され、スポットライトを浴びながら舞台脇の階段に誘導された。

 葵も大高も困惑を隠せないが、鈴木だけがふてぶてしい笑みを浮かべている。

「何やら、とんでもないことになったね……一体、何をさせられるのだか……」

 両手を広げて3人を迎えた壇上の女が自己紹介をする。

「申し遅れましたが、わたくし、この劇団を主催する田辺サトミと申します。皆様お3人には特別の席をご用意しておりますので、これから上演されます第二幕を舞台上からじっくりご覧ください」

 その間に、葵たち3人を取り囲むようにした男たちが舞台袖に用意された椅子に彼らを追い立てていく。

 葵が田辺サトミをにらみつけてうめく。

「何よ。第二幕って……何も聞いてないわよ。あたしの一幕物を勝手に削って、そんなものを付け足したの? あれだけ熱心に頭を下げてきたからシナリオを預けたのに。上演中だから腹が立ったのも我慢してたけど、対応によったら著作権侵害で訴えるわよ」

 サトミはにこやかに応じる。

「ご心配なく。この第二幕は、今夜限りの特別公演です。今後の上演予定は全て阿久津先生の脚本に忠実に従って行われます。個人的には、大幅に削った第一幕はずっと展開がスピーディーになって好きですがね。まずは、芝居の続きをご覧になってください」

 葵が仕方なく用意された椅子に座りながらも、食い下がる。

「だいたい何よ、この男たち。無作法でしょう? なんであたしたちが追い立てられて晒し者にされるのよ。完全に暴行じゃない。本気で告訴しますからね」

 サトミは動じない。

「彼らはあなた方のボディガードです。危険からあなた方を守るための、ね。第二幕が終了するころには、わたくしどもの配慮がご理解いただけるものと信じてます」

「はい? あたしたちはただお芝居を観に来ただけよ。それがなんで危険なのよ。ふざけるんじゃないわよ!」

 立ち上がろうとした葵を、男の1人が席に押し戻す。

 サトミが男に指示する。

「手荒にはしないように」

 葵が叫ぶ。

「触ったわね! 訴えてやる!」

 その葵に、サトミの厳しい言葉が飛ぶ。

「まずは芝居を観なさい! 話はそれからだ!」

「な……何よ、あんた……偉そうに……」

 サトミの表情は一瞬で穏やかなものに戻る。

「観客の皆様もお待ちです。そろそろお芝居を先に進めましょう。ただし、上演中は絶対に口を挟まないでいただきたい。でないと、あなた方を囲んだ男たちが何をするか、わたしには責任が持てませんから。では、舞台の準備も整いましたようなので、第二幕を上演いたしましょう!」

 壇上の葵たちに当たったスポットライトが弱まっていき、緞帳が上がっていく。

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