4場

 亜佐子がうめく。

「あんた、なんで……?」

 西田は撮影をやめ、ゆっくりと椅子に座った。

「なんで生きてるのか、ですか? それとも、なんで撮影してるのか、ですか?」

「何よ……それ……?」

 西田はスマートフォンを操作してからジャケットの胸ポケットにしまって、亜佐子を見つめる。

「本当に殺してしまったんですね……」

 亜佐子は宗像の胸に突き立った火かき棒を握ったまま、まだ西田の出現に我を失っている。

「なんで……?」

「まずは、生きている理由。僕が飲んだのはちょっとした麻酔薬と発泡性の薬品で、効果はすぐ消えるんです。ただし効き目が素早いので、遠目では死んだように見えたでしょうね」

 亜佐子にもようやく事情が呑み込めたようだった。

「それで原まで騙せたの……?」

「まさか。原さんは、僕が意識を失っているだけだってこと知ってましたよ。弱くたって息はしてるし、脈だってあるんだから。足を持って引きずっていけば、気づかないわけないじゃないですか」

 亜佐子の表情が再び困惑で曇る。そして、原の死体へ視線が向かう。

「あなた……何を言ってるの?」

「原さんは、芝居だって知っていました」

「あなたと原はグルだった、ってこと? わたしたちを争わせようとしたってこと……? じゃあ……何で原はここで死んでるのよ……」

 西田の表情も悲しげだ。

「それが原さんの望みだったんです……」

 亜佐子は不意に叫ぶ。

「だからなんなのよ! あなたたち一体、何がしたかったの⁉ どうしてこんなことに⁉」

「原さんだけじゃありませんよ。葵さんも宗像先生も、みんな今日ここで死ねこと望んでいたんです」

 亜佐子は一瞬息を呑んでから、つぶやく。

「うそ……」

「そしてもう一つ、3人とも共通の目的を持っていました」

「共通の……? ああ、なんだか分かんない! あんた、何を言ってるの⁉」

 そして亜佐子は手にしていた火かき棒をようやく離した。床に落ちた火かき棒が鈍い音を立てる。

 西田の表情が、亜佐子を哀れむかのように変わる。

「僕をあなたから解放すること……それが、彼ら3人が実現しようとしてくれた目的なんです」

 亜佐子の目に理性が戻る。そして、西田の対面の椅子にゆっくりと座る。

「またその話に戻るのね……。わたしの欲望があなたを束縛していたっていう逆恨みのことでしょう? そう非難するのは勝手ですけど、でもあなた、わたしが整えてあげた世界の他で行きていけるのかしら?」

 西田の声は穏やかだ。

「無理でしょうね……少なくとも、こんな大事になる前だったら。僕には、世間の荒波にさらされてまで外へ出ていく胆力なんてありません。そりゃあ些細な不満はそれなりにあったけれど、今までの生活は続けていく価値のあるものでした。何しろ、両親から離れたいっていう最大の望みは叶えられたんですから」

「だったら、なぜ……?」

「ここで死んでいった3人が、僕の独り立ちを心から願ってくれたんです。作家としてデビューしろ、って……」

「まさか……なんで、そんなこと……」

「なんででしょうね。僕にだって正直、分かりませんよ。ずっと引きこもりで友達なんて1人もいない僕だったのに……でも、本当に望んでくれたんです。命を捨ててまで……。3人とも、僕のファンだって言ってくれたんです。だったら、その気持ちに応えなけりゃならないじゃないですか。僕は、一人前の作家にならないといけないんです」

「そんな……そんなことのために、みんな死んでいったっていうの……?」

「ある意味、そうです。皆さんそれぞれに死を求める強い理由はありましたが、こんな決断をさせたのは僕を守りたいという気持ちが3人を結びつけたからのようです。僕はやっと気づきました。今までずっと、僕は彼らに守られていたんです。そして、これからも守られます」

 亜佐子が苛立ちを露わにする。

「守るって、何から?」

「答えはもう分かっているんでしょう? もちろん、あなたの欲望から、です」

「あなたもやっぱり、わたしを化け物みたいに思っているのね」

「死んでいった3人も、ですけど。だから僕は、宗像先生を殺しているあなたの姿を撮影したんです。必ず撮影するようにきつく命じられていたんです。この映像がある限り、あなたは僕を束縛できない。僕がどの出版社と契約しようと、邪魔はできない。僕は3人の願いと命を背負って、一人前の作家に育たなくちゃいけないんです」

 亜佐子は不意に話を変えた。

「みんなが死にたがった理由って、何?」

「それ、重要ですか?」

「わたしはあなたの一存で殺人犯として告発される立場になるんでしょう? それぐらい知っておきたいわよ」

 西田がうなずく。

「宗像先生が言っていました。亜佐子はきっと話を長引かせて、その間に対処法を考えるだろう、って。ほんと、あなたのことをよく分かってますよね。なのにどうして、こんなにいいなりにされてしまったんだろう……」

 亜佐子が苛立ちをあらわにする。

「うるさいわよ。質問に答えなさい。宗像はどうして死にたがったの? 一流作家の名声だってわたしがうまいこと取り繕ってあげたのに。それ以上、何が欲しかったっていうのよ⁉」

「それがつらかったと言っていました。エンタメ界を驚かせる復活劇を演じ、尊敬され、もてはやされ、権威も知名度もある。一流の文学賞の選考委員にもなり、テレビのコメンテーターとして登場することも珍しくない。印税も豊富だ」

「当然。わたしがそうしてあげたんだから」

「だけど、枯れた才能は蘇らない。枯れたまま、名声だけが一人歩きしていく。本人は立ち止まったまま、置いていかれる……」

「追いつけばよかっただけじゃない。甘えさえ捨てられれば、できないはずはなかったんだから」

「本人もそう言っていました。自分は妻に甘えているだけなんだろうか……って。そうして、どんどん自分を追い詰めていったんです。だからって、どうもがいてもできないことはあるみたいですね」

「それが甘えなんじゃない? 現に、かつては次々に新しいアイデアを生み出していたんだから」

「スポーツ選手には年齢の限界ってありますよね。作家にもそういうの、あるみたいなんですよね。もちろん体力じゃないんでしょうけど、何かの限界が……。原さんが言っていた通りです。昔は何も考えずにできていたことが、どうやっていたのか思い出せないんですって。でも、僕のアイデアを注入することで作品を生み出すことまでは可能になったって先生は言ってました。それでも、先生は本物の作家です。他人のアイデアを自分のものだと騙ることには抵抗があって当然です。僕との共著という形なら納得できたかもしれませんが、それはあなたが認めなかった」

「当たり前じゃない。収入が半減するんだから。宗像の過去の栄光にも傷がつくわ」

「だから先生はずっと、自分自身の作品を生み出そうともがいていました。でも出来上がったものには、どれも納得がいかない。書くたびに、自分で自分の誇りをズタズタに切り裂く結果になってしまったんです」

「あの人、そんなことしていたの……? 全然知らなかった……」

「当然です。あなたは出版社だとか二次利用だとかの交渉にばかり時間を割いていましたからね。そうして、満身創痍の先生をさらに追い立てた。先生が吐き出す苦悶のため息にも気づかずに……。あるいは、気づかないふりをして……」

「だけど、宗像はちゃんと作品を出版できていたじゃない……」

「そりゃ、プロですから。書くべき事柄をまな板に乗せられれば、調理はこれまでの経験でそつなくこなせます。文章が書けないわけじゃないんです。才能が枯れるというのは、書きたいことを、書かなければならない対象を見つけられなくなることらしいです」

「そんなこと、一言も言わなかったのに……」

「だから、あなたの性格を完全に分かっているんですってば。言ったところで、作家を辞めることは許されないってね。先生は、前の奥さんが亡くなったときに作家としても人間としても死んだんだ、って言っていました。その後は、魔女に操られたゾンビのような存在でしかなかった、と……」

「魔女って、わたしのこと……?」

「魔女は、天使の顔を装って近づいてくるそうですね。先生が一番弱ったときに……本当に自殺しようと思い詰めていたときに、まるで図ったかのように現れたそうです。先生は自分を売文家だって卑下していましたけど、本当は繊細な感性を持った芸術家なんです。芸術家なんですから、自殺だって考えますよね……」

「わたしをどこまでも悪者にしたいわけ?」

「先生はね、とっくに死人だったんです。冷たい言い方ですけど、本人の言葉ですから。でも、最後に致命傷を負わせたのは、亜佐子さん、あなたの行動なんですよ」

「どういうこと……?」

「実はね、あなたの素行を調べたのは本当は先生自身なんです。そして、あなたとアイザワ書房との関係を知ってしまった」

「まさか……」

「だから今度のことは、先生のあなたに対する復讐でもあるんです。あなたはアイザワとだけは組んじゃいけなかったんです」

「復讐、って……?」

「あなたから宗像霞というブランドを奪う。僕というアイデアの源泉を奪う。そしてアイザワ書房という新たなパトロンを奪う。アイザワには自分の作品の版権は絶対に渡さない。そのために自分の命を捨てたんです」

「わたし……そんなにも憎まれていたの……?」

「魔女だろうが怨霊だろうが、あなたがあくまで宗像先生の傍らで生きることを選んでいたなら、先生もきっと耐えられたんでしょう。死ぬまで寄り添ってくれたなら、その後は全てをあなたの自由意志に託したと思います。しかしあなたの欲望は、その程度の成功では満たされない。先生にもそれは分かっていたんでしょうけど、確かめないわけにはいかなかった。そして残酷にも、アイザワの鈴木専務に行き着いてしまった。このままダラダラと放置しておけば、遠からず自分は殺されると悟ってしまった。だから、先制攻撃を決意したんです」

「先制攻撃……? これ……戦争だったの?」

「戦争にしてしまったのは、あなたじゃないですか。真の作家にとって――いえ、最愛の妻を奪われた1人の男にとっては、命を武器にするに足る戦いだったんでしょう。敵はアイザワ書房です。ただでは死なないっていう、意地みたいなものです」

 亜佐子は重苦しいため息をもらした。

「で、他の2人は? なんで死にたがったの?」

「原さんは、会社の倒産から社員を救うため。五億円を超える生命保険に入っていたそうですけど、自殺の場合は数千万円程度に減額するという免責事項が避けられなかったといいます。事故を装って死ぬことも考えたらしいんですけど、詳細な調査が入ったら狂言だと暴かれかねない。疑いを持たれないようにするには事故だと明言をしてくれる証言者も必要になりますから、逆にそこから作為が暴かれる可能性もある。そもそも、共犯者にとてつもない迷惑がかかります。そこで、明らかに殺害されたという物的証拠が欲しかったんです。だから僕が、画像に残しました。これがあれば、保険会社は免責を主張することができません」

「そこも撮影したの……?」

「ドアの隙間から」

「用意周到ね……。でも原さんの会社……そこまで追い詰められていたとはね……」

 西田が再び悲しげなため息をもらす。

「やっぱりだ……」

「やっぱりって……なによ、それ」

「原さんも言っていたんです。栗林亜佐子は、俺の会社の窮状は知らないフリをするだろう、って……」

 亜佐子は真顔で答える。

「だって本当に知りませんから。人の会社のことなんて」

 西田のか細い声に怒りがにじむ。

「知らないはずがないだろうが……。原さんを追い込んだのは、あんたと組んだアイザワ書房の鈴木専務なんだから……」

 亜佐子の顔がこわばる。

「なんの証拠があって……?」

 西田はじっと亜佐子を見つめた。

「だから言ったでしょう? 宗像先生があなた方を調べたって。先生にあなたを調べてくれって頼んだのは、そもそも原さんなんですよ。一年前からアイザワ関連の会社から取引を止められるわ、契約していた作家からは出版部との関係を絶たれるわ……残るは持ち出しばかりのボランティアみたいな雑誌だけ。もともと苦しかった経営が急速に悪化したと言います。全部鈴木の差し金なんでしょう。原さんを潰すために、まず会社を壊そうとあんたが鈴木をけしかけたんでしょう?」

「言いがかりよ! わたしがそんなことをしてなんの得があるっていうの⁉」

「だってあなたにとっては、原さんは邪魔なだけの寄生虫みたいな存在じゃないですか。先生の幼馴染だっていうだけの役立たずです。アイザワに乗り換えると決断した以上、宗像先生も原さんも不必要ですものね。原さんはあらゆる手段を取って会社を存続させようとしたけれど、成果はなかった。銀行も旧知の資産家も、アイザワの圧力を恐れて手を差し伸べてくれない。唯一相談に乗ってくれたのが、生命保険を扱った会社だけだった。原さん、悲しそうに笑ってました。あの保険会社だって、俺が自殺すると踏んで契約したんだ……俺を自殺に追い込むために、亜佐子が裏から手を回したに決まっている――ってね……」

「まさか、そんなことしないわよ……」

「僕も、まさか亜佐子さんがそこまで陰湿な陰謀を巡らせる人だとは思っていませんでした。考えすぎですよ、って言いました」

「そうでしょう? 原さん、会社のことで悩んで、疑心暗鬼を募らせていただけなのよ……」

「僕には引きこもりならではのアンテナがあるって言いましたよね?」

「はい? いきなり、何?」

「このアンテナ、結構頼りになるんです。僕、今話しながら、ずっとあなたの表情を見ていました。たった今、確信しました。原さんの勘は図星ですね。あなた、原さんを自殺させるために太平洋生命を使ったんでしょう?」

 亜佐子が腰を浮かせて叫ぶ。

「あなたまで何を言い出すのよ⁉」

「高額の保険に勧誘して、これも高額な保険料を吸い上げる。いざ事故が起きたら、自殺は免責だと言って支払いを拒否する……。鈴木専務の力なら、太平洋生命にそれぐらいやらせられるんじゃないですか? アイザワ関連の会社の多くは、太平洋生命をメインに使ってるっていいますから」

「そんなの、考え過ぎよ」

「原さんの遺書……あ、ご家族にだけは遺書だとは断定できないような形で最後の言葉を残したそうです。エンディングノートみたいなものかな。会社の今後のこととか、言い置いておきたかったんでしょう。でもそれ、動画データだって言ってたから、それを見たらご家族は自殺だと確信すると思いますよ。思いつめた表情を見れば気付くでしょうから。保険会社がそこを突いてきたら、免責事項の減額に反論できないんじゃないかな……。訴訟とかは可能でも、そんなものとは無縁の人がいいご家族だし、アイザワが手を回したら引き受ける弁護士がいるかどうかも怪しいし……」

「わたしがそんな人でなしだっていうの⁉」

 西田は動じなかった。

「だから、保険会社には必ず満額の保険金を支払わせるように、あなたが責任を持ってくださいね」

「なんでわたしがそんなことまで……」

「免責事項だなんて言い出すようなら、原さんの遺志を叶えるためにこの映像を公開するしかありませんから。殺されている現場を見せられたら保険会社も納得するしかありませんよね。あ、先生が割った花瓶ですけど、あらかじめ破片がナイフ状になるようにグラインダーで切り込みを入れてたんです。そこまで準備したんですから、結果はちゃんと出さないとね」

「何もかも計算づくだったのね……」

「命を捨てるんですから、失敗は許されません。ただ困ったことに、映像が公になるとあなたが先生を殺したこともバレちゃいます。それが嫌だったら、やるべきことは明らかじゃありませんか?」

「分かったわよ……。で、葵は? 葵はどうしてこんな無茶苦茶なお芝居を企んだの? あなたは、それもわたしの責任だって責めたいの?」

「原因の一つではありましたけどね。彼女もまた、死を切望していました。正確には、より苦痛の少ない死を、ですけど。だからさっきも鎮痛剤を過剰に摂取していたんです。斧で切られるって分かってましたから、少しでも痛みを感じなくするように……。よくそんな恐怖に耐えられたものです……」

 亜佐子があっとかすかな声を上げてから、不満げに再び腰を深く下ろす。

「初めから切り殺される覚悟で……? でも、どうしてそんなことを……?」

「彼女、何度か突然意識を失って倒れたことがあるそうです。精密検査で、脳腫瘍が発見されました。手術不可能な部位にステージ4。放射線治療も困難で、世界的権威もさじを投げました。余命六ヶ月をいきなり宣告です。彼女、身寄りはいませんしね。抗がん剤で対症的な治療したところで苦痛が延びるだけ。生きる望みがなければ、我慢する意味もありません」

「そんなそぶりは少しも見せなかったのに……」

「そりゃ当然です。あなたにだけは絶対に弱みを見せたくないと言っていましたから。クリエイティブな才能なんてないくせに宗像先生を踏み台にしてのし上がっていくあなたが許せない、って。半分は羨んでいたことは彼女自身が認めていましてけど。これも、女の意地だそうです」

「だからって……」

「葵さんは、たった1人で全部背負わなければならなかったんです。それができる意思の強さがありました。それでも死後のことはどうにもならない。で、原さんに後始末の相談をしたところ、彼もまた追い込まれていた。次に頼れるのは宗像先生しかない。そこで皆が死を渇望していることが分かり、今回の絶望的なお芝居が動き出したんです」

「あなたはいつそれを知ったの? 初めから一緒にこんな企みに加わっていたの?」

「まさか。そんなこと、相談されたって何もできないし、そもそもこんな計画を隠し通すなんて無理です。僕には常識的に振る舞うことすら難しいこと、みんな知ってますから」

「じゃあ、誰から聞いたの?」

「計画が固まってから、宗像先生に頼まれました。葵さんにオリジナル脚本のシノプシスを提供してやってくれ、って」

「まさか……宗像だって次作のアイデアが必要なのに……」

「先生はもう、新作には関心がなかったんです。だって、これでやっと死ねそうだって喜んでいたんですから。だから葵さんに新作を譲ったんです。葵さんは死ぬ前にオリジナルを残して、心残りを少しでも減らすことができる。先生らしい心遣いですよね。もちろん、それにもあなたへの復讐の意味があるんでしょうけど」

 亜佐子の視線がテーブルに散らばったUSBメモリーの上をさまよう。

「でも……このUSBはあなたの新作なんでしょう……?」

「とんでもない。この話を聞かされたのは、ほんの一ヶ月前です。僕だってそんなに次々にアイデアが湧いてくるわけじゃありません。葵さんが脚本として仕上げるのと同時進行で、ずっと細部を練り直していましたしね。おかげで面白い物語ができました。葵さんの名前は、きっとたくさんの映画好きの心に残ります。遺作になりますから、興行的にも成功するでしょう。宗像先生と一緒に死んでいただなんて、それだけで大事件ですから」

「だったらUSBは何なの……?」

「みなさんの遺書ですよ。あ、これも遺書だと断定されたら都合が悪いですから、あなたに宛てた別れの手紙とでも言うべきかな。僕だって中は見ていませんから、彼らがそう言っていたってだけですけど。僕ならたぶん、怖くて見られませんね」

「そんな……。それじゃあ、あなたの新作は存在しないってこと……?」

「ありますよ。僕の頭の中にだけ、ですけど。だから、アイザワ書房への手土産に新作のアイデアを提供するのは諦めてください。そもそもあなたは、もう二度とアイザワへは近づけませんけど」

「どういうこと……?」

「死んで言った3人の願いは、僕を作家としても人間としても独り立ちさせることでもありました。原さんは僕を息子のように可愛がってくれましたし、葵さんは引きこもりの先輩でもありました。そして宗像先生は僕を生徒として鍛えてくれました。ずっとアイデアを盗用してきた罪悪感からも解放されたかったようです。しかも僕が社会的には全く不適合な半端者だと知っていました」

「だからなんだっていうのよ⁉」

「僕の弱さを熟知しているからこそ、自分たちの死後に僕があなたにいいようにあしらわれ続けることを恐れたんです。作家としてデビューできるのならともかく、ゴーストライターとしてアイザワ書房に酷使されたんじゃ今のままですから。特に宗像先生は、僕を絶対にアイザワには渡さないと決意していました。だからあなたを、出版界から分断する手を打ったんです」

「何よ、それ……」

 西田は亜佐子のつぶやきを無視して胸ポケットからスマートフォンを取り出し、何かを確認する。

「データがアップされました」

「無視すんじゃないわよ! だからなんなのよ⁉」

「え? 無視なんてしてませんよ。ついさっき撮影した画像がちゃんとサーバにアップされたかどうか確認したんです。これがあなたを縛るたったひとつの武器ですから」

「はい? どういうこと? ここじゃ携帯使えないはずよ。さっきだってみんな、電波がないと不便で仕方ないって不平を言ってたじゃない……」

 西田はさらにスマホを操作しながら、答える。

「ですから、何週間か前に衛星通信の中継器を設置したんです。で、僕がキッチンに入ってから原さんが電源を入れました。あなたが先生を殺した映像データ、ずっとクラウドに送信し続けていたんです。動画データって、転送に時間がかかるじゃないですか。僕、すごく心配だったけど、先生が大丈夫だって断言したんです。亜佐子さんは必ず話を長引かせるから、って。時間を稼ぎたかったのは、実は僕の方だったんです」

「うそ……」

 亜佐子が慌てた様子でサイドバッグからスマートフォンを取り出す。そして、顔色を失った。

「ね、今は電波、来てるでしょう? それなりのスピードしか出ないんですけどね。でも、いったんサーバに上がっちゃえば問題ありません。理由はどうあれ、僕が死んだらこの映像、公開されちゃいます。先生がそう手配してくれました。だからあなたは、僕を殺せない。諦めてください」

「あなたを殺す……?」

「ずっとそう考えていたでしょう? まだ近くに火かき棒っていう武器はあるし、僕はひ弱な根性なしだし……。映像ごと処分しちゃえば脅迫されることもないから、今はこの小僧に好き勝手喋らせておけばいい。できるだけたくさん情報を集めて、後始末をスムーズにしよう――なんてね。まだそういう結論に達していなかったとしても、すぐに決断するはずです」

「勝手に決めつけないで!」

「論理的な帰結ですよ。僕の頭脳を消し去るのは惜しいでしょうけど、アイザワに売り飛ばせないなら飼っていても意味がない。他社から出版し始めれば商売敵になる。しかも殺人の証拠映像を握られていたら、僕の下僕に成り下がるしかない。だったらこの山荘とともに処分してしまうしかない。そうすれば少なくとも宗像霞の版権を持ってアイザワに乗り換えられるだろう……とかね。あなたはそういう風に考えられる人です。そう、先生は確信していました。だから気を許すな、って」

 亜佐子は重苦しいため息をもらした。

「あの人……なんでもお見通しなのね……。分かったわ。わたしはあなたを殺せない」

「それから、電話が通じるようになったからって、鈴木専務に助けを求めても無駄ですよ。鈴木専務のスマホにも、今の画像のURLを送ってありますから」

「何も、そこまで……」

「だって、魔女との戦いですから。黒魔術を封じる結界は張っておかないとね」

 亜佐子の目に憎しみが浮かぶ。

「そんなもの、鈴木だったらウイルスを警戒して無視するに決まってるわ……」

「黒魔術に対抗するには白魔術を。メールの発信者の名前は宗像霞です。しかも本人のスマホから送っています。僕、先生のスマホを預かっていたんですよね。本文は――『新作をくれてやってもいい。URLのサーバーに原稿の半分だけアップした。ただし、亜佐子とは縁を切れ』――だったかな。一語一句正確じゃないかもしれませんけど、これで添付先をチェックしなかったら経営者失格です」

「なんてことを……」

「まさかいたずら動画だなんて思わないだろうけど、宗像先生の死がニュースになったらもうあなたに近づくことはないでしょう。下手すると共犯扱いされちゃいますからね」

「でも、そんなことまで……? それで、これからどうするの? わたしをどうしたいの?」

「僕の目の前から消えてくれればそれで構いません。あなたの銀行口座には数社の出版社からの印税が振り込まれ続けます。贅沢しなければ、それだけで充分に生活していけるはずです。一番出版物が多い鴻翔出版の印税は、新たな文学賞の創設に基金としてプールされます。ご自宅などの財産は全て処分し、あなたには妻としての当然の権利である部分が手渡されます。残りはやはり基金へ寄贈されます。以上の内容は別の遺書として弁護士さんが保管しているそうです。ただし、あなたは今後一切出版関係者とは関係を持たないように」

「脅迫するのね……わたしを……」

「当然です。あなたの怖さは充分知っていますから。指示を破った場合は、ここで起きたことが映像付きで公開されます。あとは、そのUSBを見てください。先生ご自身が語っているはずですから。あなたならパスワードはすぐにわかりますよね。大学は英文科で、現役女子大生高学歴アイドルとして売ってきたんですものね。ちなみに、僕自身の小説第一作は新設される宗像賞の公募に参加することになります。命を預けてくださった3人の期待に応えるために、正々堂々、自分の力だけで挑むつもりです」

「全部計算済みってことね……。じゃあ、ここの3人の死体はどうするの? こんなむごい殺し合い、何事もなかったように消し去ることはできないじゃない」

「そこだけはあなたの協力が必要です。僕はこれから衛星中継機を壊します。あなたは街に戻って、電波が届く場所まで行ったら山荘が火事になったと通報してください。中継器は火災で壊れたように偽装しておきますから」

「やっぱり死体は燃やすのね……」

 西田が悲しげに目を伏せる。

「事故にするしかありませんから。ログハウスってとても燃えにくいらしいけど、死体をキッチンに集めてガスボンベを爆発させます。そして、自家発電機の備蓄燃料にも引火……。可愛そうですけど、全身傷だらけになるでしょうし、さらに蒸し焼きになって死因は判別できなくなると思います。ほら、ここって、盗難防止のためにプロパンのボンベをキッチンの中に設置してますから……」

「あなた、できるの? そんなこと」

「やるしかないじゃないですか」

「結構強くなったようね」

「とんでもない……でも、みんなから熱心に頼まれたことですから、やるしかないんです。逃げられないんです。逃げちゃいけないんです」

「あなたはどうやってここを出るの? 車は二台残るけど、運転できないでしょう?」

「先生、車に折り畳み自転車を乗せてきたじゃありませんか」

「自転車で街まで⁉ 車でも一時間以上かかるのに……」

「銀輪部隊って知ってます? 自転車があればジャングルの戦争にだって勝てるんですよ」

 亜佐子がかすかに笑みをもらす。

「それ、意味が分からないけど……でも、あなたの死体がないことは、警察に怪しまれるんじゃない? いつもわたしたちと一緒にいたんだし、今日だってパーティーに参加しているはずのメンバーだし」

「何も心配いりません。そもそも僕はここにいなかったことにしますから」

 亜佐子が笑みを広げる。

「それなら、サーバに上げたデータは誰が撮影したことになるのかしら? みんな事故で死んだことにするにしたって、撮影した本人が殺されてるところが映ってるはずがないわよね。撮影するために誰か別の人間が潜んでいた証拠になるんじゃない? それって、西田信吾しかあり得ないと思うんだけど?」

「どうしてですか?」

「だって、この山荘に来たことがある人間は、私たち五人しかいないんだから。警察がわたしたちの関係を調べれば、わたしがどんな証言をしていても疑われるわね。わたしが真犯人から脅迫されてるっていう可能性もあるんだし」

 西田が不意に口ごもる。

「それは……」

「あら、そこまでは考えが至らなかった? うっかりミスかしら? これじゃあ、証拠映像があったって簡単には公開できないわよね。自分の首を絞めることになるもの。それどころか、わたしなら逆にあなたを脅したり取引をする材料にできるかもしれないのよ――っていうか、します。お金も権力もあるんだから」

 だが西田はひるまなかった。

「ですよね……。今なら、お金も権力も使えますよね……。今なら、ですけど」

「何? なんでそんなに平然としていられるの?」

「こんなにあっさりと引っかかるものなんだな……とか思って。宗像先生の予言って、どうしてこんなに正確なんだろう?」

「だからなんなのよ⁉」

「今のが、最後のテストだったんです」

「テスト……って……? 何が……?」

「ここまで追い込まれた亜佐子さんが、土壇場でどう出てくるかって。全てを悔いて諦めるか、隙を突いて反撃を仕掛けてくるか。改心しているなら、抵抗しようなんてしないはずですからね。先生は、結果を見てから僕の判断で許してやってもいい、って言ってくれたんです。僕だって本当は脅迫なんて嫌ですから」

「まさか……。そこまでお見通しだったの……?」

「4人で考えた尽くした計画ですから」

「で……結果は……?」

「え? それ、聞いちゃうんですか?」

 亜佐子の表情に不安が浮かぶ。

「だって……」

「許せるはずがないじゃないですか。そんなことしたら、僕が死んでいった3人から許してもらえなくなります」

「でも……だから、画像があなたに不利な証拠に――」

「亜佐子さんがそう思っているだけでしょう? っていうか、最終テストのためにそう信じ込むように仕向けたんです。策略を巡らせる余地があると勘違いさせるために、あえて穴があるように見せかけたんですよ。ちなみにこれ、宗像先生の発案ですから。枯れたとかいってましたけど、まだキレのいい小技はこうして考え出せるんですよね、先生」

「罠……だったの……?」

「で、種明かしです。あの映像にはね、葵さんの死体は一切写っていないんです。あえて画面に入らないように注意していましたから。っていうより、絶対に画面に入らない場所で死ぬように最初から打ち合わせしていたんです。撮影に使ったスマホも葵さんのものだし、僕はほら、手袋してるから指紋も残らないんです。この山荘の、どこにも、ね。しかも何度か来ている場所ですから、体毛とか落ちていたって不自然じゃありませんし」

 亜佐子が息を呑む。

「ああ……だから原は、あんなに返り血を気にしていたのね……。必要のないテーブルクロスをなんで持ってきたんだろうって……体を拭くためだったんだ……。黒い服も……血痕を隠すため……?」

「やっと呑み込めました? 血まみれのまま映像に写ってたら、すでに誰かが殺されてるんじゃないかって疑われますから」

「じゃあ、その映像って……」

「そう、キッチンに逃げ込んだ葵さんが撮影してサーバにアップしたことになるんです。そう解釈する他にないですよね。他には誰もいないはずなんですから。なのに、その葵さんの死体までも、他の2人と一緒にガス爆発の現場から発見されてしまう。つまり死体自体が、誰かに殺されて証拠隠滅のために燃やされたっていう証拠になっちゃうんです」

「それって……わたしが……やったことに……?」

「当然です。原さんが先生に殺されたことは映像が証拠として残っていますけど、他の2人はあなたが殺して、事故を装ってから消防に連絡した……あの画像は、あなたがそう行動したことを立証しているんです。ね、絶対に公開されたくないでしょう?」

「うそ……」

「たった一つの抜け道が塞がれた、って顔ですね。あなたにはこの瞬間から、僕をどうこうできるお金も権力もなくなったんです。これはウソじゃありませんから」

 亜佐子の顔から一切の表情が消え去った。


                           ――幕

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