2場
宗像が倒れた西田に駆け寄ろうとする。
葵が声を張り上げる。
「近づかないで!」
原が腰を上げて葵をにらみつける。
「放っておけるか!」
「毒だって言ってるじゃない! シアン化物なら、私たちも危ないのよ!」
全員が動きを止め、わずかに退いていく。
その間に西田は、うつ伏せになったままゆっくりと痙攣を止めていく。
亜佐子が言った。
「さっきの、本当なの……?」
葵が答える。
「そんな医療ドラマを描いたことがある。青酸カリで自殺した患者の口からガス化した毒が漏れて、医者が倒れるの。ちゃんとお医者さんに監修してもらったわ」
宗像がつぶやく。
「そうは言っても……」
亜佐子が宗像の腕を引き、倒れた西田から離れていく。
「あなた! バカなことは考えないで! 私たち素人に何かできるなんて考えちゃダメ!」
「そんなことを言っていたら、西田君が死ぬ!」
「自分で毒を飲んだんじゃない! 巻き込まれたら大変!」
「放っておけと言うのか……」
亜佐子は無言で、さらに宗像の腕を強く引っ張る。宗像も言葉とは裏腹に、抵抗はしない。
原が動きを止めた西田を見下ろし、うめくようにつぶやく。
「これがお前の自由なのかよ……そこまで追い詰められていたとは……」
葵が原を見る。
「信吾ちゃん……どうしたらいいだろう……」
原は一瞬で覚悟を決めたようだった。
「このままにはしておけない」
「でも……」
「だからと言って、すぐに救急車が呼べる場所でもない。誰か街に出て医者を連れて来るにしても、相当時間がかかるしな……。とりあえず、そっちのキッチンの方へ閉じ込めておくしかないだろう……」
「ドアを閉めちゃえば、毒が漏れて来る心配はないでしょうけど……誰が運ぶの……?」
「お前に手伝えとは言わない」
そう言った原は西田の横にかがんで足首を掴むと、キッチンへ向かって引きずって行った。なるべく距離が離れるようにのけぞり、さらに顔をそむけている。
木の床の上を西田の体を引きずるかすかな音が、静まり返ったホールを満たす。西田をキッチンに入れてドアを閉めた原がテーブルに戻る。
葵がつぶやく。
「玄ちゃん……体に変調はない?」
息を荒くしてぐったりと腰を下ろした原が、力なくうなずく。
「ああ……何ともないようだ。久々の力仕事でへばっただけだ」
宗像も席に戻っていた。
「西田君は……本当に死んでいたのか?」
原が宗像をにらむ。
「自分で調べてくればいいだろうが。青酸ガスが怖くなければ、だがな」
その口調の荒々しさに、宗像が首をすくめる。
「しかし……」
原が席について頭をかかえる。
「すまない。あんたを責めるつもりはない。突然のことでどうしていいか分からないだけだ」
「だが……」
「西田は、ピクリとも動かなかった。ガスの心配がなければ調べられるが、俺だって近づくのは怖い。今はまだ息があるのかもしれないが、だとしても長くは保たないだろう。医者を呼びに行ったところで無駄だろうな……」
「胃洗浄とかできないのか……?」
「やりたいなら、好きにしろって。どうせ出てくるのは毒ガスだろうがな。そもそも道具もないし、こっちは素人だ……」
葵がつぶやく。
「信吾ちゃん、なんだってこんなことまで……。そんなに苦しかったなら、相談してくれればよかったのに……」
原が鼻で笑う。
「こんなことになってまで聖人気取りか? 俺たちはどうせみんな偽善者だ。西田が暴いた通りだよ。あいつは1人きりの部屋から死ぬ思いで這い出し、その結果、偽善者の群れにハラワタを喰い散らされたんだ。重度の引きこもりだったんだから、もう死ぬしか逃げ場はないと思い詰めても仕方ないだろう」
亜佐子が力なくつぶやく。
「偽善者っていう評価を否定する気もないけれど、それがこの世の定めでしょう? 少なくとも、西田ちゃんは奴隷なんかじゃなかった。作品の原案さえ提供してくれれば、他は何をしようと許されていたんだから。お金だって、充分すぎるほど手にしていた。運命共同体って表現はただの比喩じゃなかったのに……」
宗像は首を横に振る。
「金さえあれば耐えられる人間もいれば、金と引き換えだからこそ耐えられなくなる人間もいる……。西田君は、そんな常識外の男だった。だからこそ、奇想を紡いで、人々を驚かすことができる。だが、あまりにもナイーブだ……いや、それは少し違うかな。潔癖すぎたのだ。あるいは、自分ではどうにもできない狂気を持て余していたのか……」
「西田ちゃんが天才であることは、彼が生み出した物語が証明しているわ。でも、彼の狂気に価値を与えたのは、私たちよ。狂人と天才の差なんて、世の中の役に立つかどうかの違いしかないんだから。引きこもっていればただのお荷物、どんなに突き抜けた想像力を誇っていたって、迷惑をかけるだけの厄介者よ。それを小説に昇華したから、世の中が商品価値を認めた。なのに、その私たちをこんな形で裏切るなんて……」
「商品価値など無意味――いや、むしろ魂を毀損する害悪だったんだろうな……」
「何よ、それ。私たちの努力に生活を支えられていたくせに」
「それは確かに、事実の一面だ。だが、一面に過ぎない。重要なのは彼の天才が、彼自身のものだったということだ。西田君は、それに気づいてしまった。それを世の中に適合させるには、妥協が必要だ。妥協は、許せる人間と許せない人間がいる。彼には許せなかった。そういう潔癖さから逃れられない男だったんだ……」
葵がぽつりと言う。
「そんな話、意味があるの?」
口をつぐんだ宗像に代わって、原が応える。
「意味? ないだろうな、今となっては」
「信吾ちゃんはもう、死人扱い?」
「西田自身が望んだ結末だしな……」
「信吾ちゃんが死んだかどうか、まだ分からない。それを調べるには危険がある。助けも呼べない。だからって、このまま放っておくの? それって、信吾ちゃんを殺すのと同じことじゃない? 私たち、人殺しになるのよ?」
「じゃあ、どうしたい? 近づけばシアン化物のガスにやられるかもしれないと脅しているのはお前だろうが」
「どうしたらいいかなんて、あたしにだって分かんないわよ!」
亜佐子がうなずく。
「分からないわよね、そんなこと……でも、このまま何もしないで一晩明かす訳にもいかない。そして西田ちゃんは、たぶんもう死んでいる。警察に正直に知らせるしかないでしょうね。もちろん、ゴーストライターだったことは隠し通すけど」
宗像が重苦しいため息をつく。
「私たちが西田君を死に追いやった事も、無論明かせない。しかし……」
亜佐子がそっと手を添える。
「これからどうするか、みんなで考えましょう。今まで協力してきたんだし、これからだって上手くやれるわよ。ただ、時間はあまりないでしょうね。なんですぐに助けを呼ばなかったのかとかワイドショーで騒がれたら、レポーターとかに身辺を嗅ぎ回られるでしょうから。すぐに山を降りて警察に行かないと……」
「しかし、西田君はもういない……これからどうやって作品を生み出せばいいのか……」
原が目を上げて薄笑いを浮かべる。
「さっそく次作の心配か?」
宗像は原を見もせずに吐き捨てる。
「悪いか? お前と違って、この先も予定がびっしり詰まってるんだ……」
「病気入院とでも言って誤魔化せよ。そのまま何ヶ月もすればみんなお前のことは忘れてくれるさ」
「宗像霞が忘れ去られていくのか……」
「あくまでも作家でいたいってか? 贅沢なもんだ。その高望みがこんな事態を招いたって、気づけよ。普通なら書けなくなった時点で諦めるもんだ」
「そんなことは言われなくても分かってるさ……」
「まあ、アイデアの源泉が突然絶たれれば不安にもなるだろうが、西田はもういない。現実を受け入れろ。あとは作家をやめるか、スタイルを変えてでも自分で書くか、どちらかしかないだろう」
「書けないから苦しんでいるんじゃないか……」
亜佐子が叱責する。
「話をややこしくしないで! 今はどうやってこれまでの西田ちゃんの役割を隠すか考えないといけないのよ!」
葵も薄笑いを浮かべた。
「宗像先生、さっきはゴーストライターの件が暴露されても構わないって大見得切っていませんでした? あたしの気のせい?」
亜佐子がさらに声を高くする。
「あなたは黙ってて!」
「何よ、勝手に仕切らないでほしいわね。あたしたち、運命共同体なんでしょう? だったら責任は当分、利益も当分よ。あたしはあんたの手下じゃないのよ」
「だったら何か使えるアイデアを出しなさいよ! あんただってクリエイターを気取ってるんだから!」
葵はわずかな間を置いてから言った。
「お金で解決するしかないんじゃない?」
「警察を買収するって言うの? そんなことできるはずがないでしょう⁉」
「バカね、あたしたちにお金をよこしなさいって言っているの。それぐらい察しなさいよ。陰謀が大好きな奥さんなんだから」
「なんであなたたちに⁉」
「口止め料に決まってるじゃない。クリエイター気取りの凡才が考える解決策なんて、その程度のものよ」
亜佐子が絶句する。
原が小さくうなずいた。
「だよな。西田がいないんじゃ、この先、新しい物語は生まれない。将来の稼ぎは細る一方だ。つまり、チームも解散するしかないってことだ。もう、お仲間ごっこを続ける理由もない。なら、分け前をいただいてお開きにしよう」
亜佐子が原をにらむ。
「あなたまで……」
「いい機会だとも思うぞ。ゴーストライターなんて、いつまでも続けられると思う方が異常だったんだ。バレる前に撤収して、あとは穏やかに暮らしていこうじゃないか」
「そんな、無責任な……」
「むろん、警察を欺く芝居には協力する。出版界に波風を立てる気もない。宗像霞の秘密は墓場まで持っていく。だからこその口止め料だ」
葵もうなずく。
「賛成。ただし、これまでみたいな端金じゃ納得できないわよ。今まではこの先も続けられると思っていたから我慢していたけど、あなた方が得ている印税は全部テーブルに並べてもらわないとね。その上で、等分に山分けよ」
亜佐子がうめく。
「なんでそこまで……」
葵は引かない。
「それに、これから入ってくる印税もちゃんと分けていただかないとね」
原がニヤリと笑う。
「それだけあれば、たぶん俺の会社もあと一〇年は生き長らえられる」
亜佐子が叫ぶ。
「やめてよ! わたしを脅迫する気⁉」
原がうなずく。
「脅迫しているのはあんただけじゃないぜ。宗像先生を含めた2人、だ。今まで名声と富の大部分を独占していたんだから、ここで精算してもらおう」
「汚い人たちね……」
葵が不意にテーブルに突っ伏す。言葉に力がない。
「だって仕方ないじゃない。あたし、もう歳だし、大した才能なんてないって分かっちゃってるし。今の仕事が切れたら、その日暮らしなのよ。あんたと違って金づるになるような男とも付き合っていないしさ……。この先どうやって暮らしていくか、収入を気にしないで考える時間ぐらいほしいわよ……」
亜佐子が吐き捨てる。
「全部自分の責任じゃない」
葵は顔を上げないままうめく。
「そうよね……自分の責任。何もかもあんたの言う通り。だから、持ってるものは全部使うわ。ねえ、あたし、これからもあなた方に協力してあげようって言ってるのよ。それを脅迫だなんて、あんまりな言い方じゃない?」
不意に宗像がつぶやく。
「私は……作家でいたい……」
亜佐子が宗像の肩に手を添える。
「大丈夫、あなたは偉大な作家です。今までも、これからも」
しかし宗像は亜佐子のその手を力なく振り払った。
「不可能だ……」
「何がですか? ここにもう一つだけでも新作があるんですから、わたしが何とかします。偉大な作家の見事な引き際を演出してみせます」
「君まで……作家をやめろと言うのか……」
「仕方ないじゃないですか……」
「作家でいたい……消えたくない……。名声を失うのが怖い……。だが、私だけの力ではもはや不可能だ……。私には……とても……西田君の奇想を超えることなどできない……」
「そんなことは気にせずに、書き続ければいいじゃないですか。西田ちゃんと競う必要なんてありません。あなたが書きたい物語を、あなたの筆で書けばいいんです」
「そうして、世間の笑い者になれと言うのか? この私に? これまで築いた評価に泥を塗れと? 私は作家で……一流の作家でいたいんだ……」
原がため息をもらす。
「お前との付き合いは長いが、そこまでの本音は初めて聞いたような気がするな……」
「なんとでも言うがいいさ……」
「宗像霞ほどの作家でもここまで堕ちるんだな……。それが才能の枯渇ってやつなんだろう。書けないんだから、枯れ果てたことは認めるしかない。だがそれを認めてもなお、いったん手にした名声には固執する。どんなに汚い手段を使っても手放したくない、ってところか……。西田をゴーストにした時から分かりきっていたことだが、お前が腹の底まで俗物だってことがはっきりして、少し安心したよ」
葵はやはりうつむいたままだ。
「信吾ちゃん……こうやってあたしたちに復讐したかったのかな……」
亜佐子がうなずく。
「わたしたちを争わせることで、ね。でも、そんなことは無駄。西田ちゃんはもう助からないんだから、あとはわたしたちだけの問題よ。今ここでちゃんと話し合えば、解決策は見出せるはずよ。いえ、見出さなくちゃならないんだわ」
「そんなに簡単なことかな……?」
「また問題を複雑にしたいの?」
「だってそうじゃない。信吾ちゃん、あたしたちが抱えてる闇を暴いた上で自分が死んで、みんなを妥協できない場所に追い込んだのよ。こうやって争うしかないことを知っていたんだわ……。あたしたち、それほど信吾ちゃんに嫌われていたのね……」
「何よ、それ。妥協できないことなんてないわ。私たちみんな、あの子と違って大人なんだから」
原の頬に薄笑いが戻る。
「本当にそうか? 確かに俺たちは妥協ばかりしてきた大人だ。だからこそ、争う理由になることだってある……」
「何が言いたいのよ」
「俺と葵は金で解決して欲しいと言った。あんたらがそれを受け入れたとしよう。ただし、この場では、だ。さて、それで警察も世の中も騙しおおせたとして、一年後はどうなる? 俺は金を使い果たし、ゴーストライターの件をバラされたくなかったらもっと金を出せと凄むかもしれない」
亜佐子が原をにらみつける。
「そんなこと、する気なの?」
「分からんね、そんな先のこと。だが、あんたが俺を疑い出すことだけは間違いない。そして、日を追うごとに疑心暗鬼が心を切り刻んでいく。で、ある日、傷は心臓まで肉薄して決断するだろう。原玄一を殺さなくちゃならない――ってな」
「そんなことしないわよ! そうならないように、こうして話し合おうって言ってるんじゃないの⁉」
突っ伏した葵の口からも、くぐもった笑いが漏れる。
「あたし、殺されちゃうよね、きっと……。亜佐子ってさ、そういう風に考えられる女だもの。そう決めたら、必ずやっちゃう女だもの……」
宗像がすかさず会話に入る。
「私がそんなことは許さない! 信じてくれ」
原が肩をすくめる。
「お笑いだな。そんな自信、どっから湧いてくるんだ? そういうあんたの命を、この女は真っ先に狙ってるんだぜ。西田が死に際にそれを証明しちまった。死んじまったら、許すも許さないもないだろうが」
亜佐子が顔を背けて吐き捨てる。
「何よ、人を化け物みたいに言って!」
葵がつぶやく。
「亜佐子……あんたって、化け物だよ。人の気持ちを喰らってのし上がっていく化け物。最初の餌食は、宗像霞のネームバリュー。そして信吾ちゃんの奇才。あたしや玄ちゃんは口止めに飼い殺し。しまいには宗像の実体まで喰らい尽くして、今度はアイザワ書房に取り付いて獲物を増やそうとしていた――」
「黙りなさい!」
「怒ったって、無駄。だって、全部もう信吾ちゃんが暴いちゃったんだもの……」
原がうなずく。
「西田のアンテナは確かに鋭かった。全てを見通し、徹底して調べ上げ、逃げ出す方法を模索し、だからこそ不可能だと絶望して……こんな手間をかけるしかなかったんだろう。人里離れた山荘で俺たちを争わせるために、な。それが、自分の狂気を常識という名の暴力で踏みにじった俺たちへの復讐だったんだな」
亜佐子がつぶやく。
「1人で勝手に死ねばよかったものを……」
「西田にとっては、その方がはるかに簡単だったろうな。それすら許せないほど、俺たちを憎んでいたってことだ。もはや運命共同体は続けられない。どこへも逃げられないってことだよ……」
宗像がかすれた声を絞り出す。
「だから、殺し合え、などと……?」
亜佐子が気を取り直したように叫ぶ。
「みんな、何を言ってるの⁉」
宗像が不意に笑い、テーブルを指差す。
「それを奪い合うしかないってことじゃないのか?」
そこには、4つのUSBメモリーが散らばっていた。
「西田ちゃんの新作……」
原がうなずく。
「全てを取るか、命を失うか……か。確かにそれが手に入るなら、うちの編集が印刷部を救えるだろうな……」
葵が顔を上げる。
「あたし、オリジナルが欲しい……」
宗像も言った。
「宗像霞、最後の作品か……」
亜佐子が首を横に振る。
「やめてよ、みんな! バカなことを考えないで!」
原の声には、諦念が滲み出している。
「そうやって善人ぶるあんたが一番危険なんだから、始末に負えないよな」
「変なこと言わないで!」
「あんたはすでに宗像を切り捨ててアイザワ書房に乗り換える準備を進めているじゃないか」
「やめて!」
「西田は消えた。当然、宗像霞も消滅する。書けない作家は生ゴミ同然だ。西田を操るのに不可欠だった俺や葵は、もはやゴミに湧くハエでしかない。みんな邪魔なだけだ。だが、宗像霞の新作はアイザワへの手土産にしたい。みんな殺して山荘に火でも放って、証拠隠滅。命からがら生き残った悲劇のヒロインを演じて、しかも話題沸騰で新作はバカ売れ。かくして出版界の女王様の誕生……なんてシナリオかな」
「ひどい……」
宗像の言葉は冷たい。
「亜佐子……これまでの君の献身には感謝する。たとえそれが自分の欲のためであろうと、私は確かに救われた。だが、その関係は、今をもって終わった。これからは君は、赤の他人だ」
原がうなずく。
「先生も、独り立ちを宣言したか。だがそれは、命がけで戦うってことだぞ。甘っちょろい比喩じゃなくて、肉弾戦だ。あんたの体力で、できるか?」
「お前と歳は変わらん」
「俺は印刷所の現場で鍛えてる」
真っ先にテーブルから離れたのは亜佐子だった。大量の薪が炎を上げる暖炉に駆け寄り、その横の太い火かき棒をつかむ。それを両手でバットのように構えて叫んだ。
「みんなやめなさい!」
原が肩をすくめた。
「やっぱり、だ。一番やる気なのはあんたじゃないか。ゴングが鳴ったなら、試合を始めるしかないな」
原はゆっくりと亜佐子とは対角の隅に進む。薪割りのために用意された斧が、装飾品として壁にかけられている。原は壁から斧を取り上げた。
亜佐子がうめく。
「本気なの……?」
「やめたいなら、まずあんたが武器を捨てろ」
亜佐子は、火かき棒をさらに強く握りしめる。
「だって、みんなが……」
原が斧の重さを確かめるように軽く振る。
「多少短いが、多分一番有利な武器だな。切れ味も鈍そうだが、ま、力任せに叩きつければ骨も砕けるだろう」
葵もテーブルを離れる。
「玄ちゃん、あたしと組まない?」
「お前は確かにいい体をしてる。捨てるのは惜しいが、そうもいかないだろうな。オリジナル、どうしても欲しいんだろう?」
「ノベライズ版、玄ちゃんのところから出版すればウィン・ウィンよ」
「逆だっていいじゃないか。ウチから宗像霞の遺作を出版して、まずは会社を立て直す。そしてお前が脚本を書いて映画化だ」
「それじゃ、オリジナルとは言えない」
「お前のオリジナルをノベライズした程度じゃ、会社は救えんだろうね。増刷できるかどうかすら怪しい」
「交渉決裂、か……」
そして葵は原から離れていった。その先の壁の角には、金属製の赤い消火器がある。
原がうめく。
「くそ……そっちは飛び道具か……」
葵は消火器を持ち上げて微笑む。
「想像以上に重いわね。でも目潰しが噴射できるし、頭に叩きつければ頭蓋骨陥没」
「そんな重いもの、振り回せるのかよ」
「いい体してるって褒めてくれたじゃない。贅肉がつかないように、ジムで鍛えてるのよ。ボクササイズもやってるから、腕にはそこそこの筋肉もあるの」
宗像が黙って立ち上がる。それを見た亜佐子がつぶやく。
「あなたまで……?」
宗像は無表情だ。
「私はさっき、終わったんだ。西田君の死とともに、な。信頼していた妻に裏切られ、新作を世に送る望みも危うく、過去の栄光も揺らぎ、しかも命まで狙われている……。生き残れるなんて思えない。もう死んでも構わない。むしろ、死んだほうが楽だろう。だが、無抵抗に殺されはしない。それが本能というものだ。全てを失った窮鼠に何ができるか、確かめてみよう」
そして宗像は亜佐子から離れていく。その先にはアンティーク風の背の高い電気スタンドがあった。作りはいかにも華奢だ。
宗像はためらいなくスタンドの傘を取り除き、ポールを振り回して壁に叩きつける。ポールの先端に付いていた大きな白熱電球が割れ、フィラメントが焼き切れる。
それを見ていた原がうなずく。
「作家先生の獲物は電気槍か。コードはそこそこ長いが……部屋の隅っこからは離れないつもりだな。スタンドの長さは厄介だがね……まあ、賢い選択だ」
「だが、斧に比べれば華奢すぎるな。これだけじゃ心もとない」
宗像はさらに窓際のサイドテーブルに近づき、宴会が始まる前に葵が花束を活けた大きな花瓶の口を片手でつかんだ。それも壁に叩きつけて割る。花と砕けた花瓶の水が床に散って、手元にはナイフのような形状になった大きな破片が残った。
原が微笑む。
「懐に入ったら、切りつける気か。まあ、ひ弱な先生にしてはよく考えたと褒めてやるよ」
「これで、トドメも刺せる」
そして4人は、それぞれに武器を手にして対峙した。
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