第12話 それぞれの思い ③
廊下で叫び声とともに銃声が聞こえる。
なんて無粋な奴だ。要は少し呆れかえる。奈津、心配するな。お前はちゃんと、久保と娘のところに帰してやるよ。
「奈津、あいつが隣の部屋に入ったら、急いで階段を降りろ。俺は奴を引き付けて、窓から逃げるから」
奈津は頷く。さっきまでの不安そうな顔はもうない。娘の元に帰ると決めた、母の顔だ。
「下の奴にはこいつを使うといい。催涙弾だ。気休めだが、こいつを付けるといい」
「なにこれ。ダサいよ」
ゴーグルを渡すと、奈津は苦笑する。文句言いながらつけてるが、確かにダサい。
「ところで、そのピンクの手袋は何?」
「これか。ああ、お守りみたいなもんだ」
「ふーん。似合わない」
「まったくだ」
奈津がなにやらニヤニヤしている。こいつ、何か勘づきやがったな。
銃声が隣の部屋で聞こえた。
「よし、行け!」
奈津が部屋を飛び出す。
「女、待ちやがれ!」
田村が階段に向かおうとした瞬間、要は部屋の中から拳銃を二発発射する。田村の位置から階段に行くには、この部屋の前を通らなければ行けない。いつ弾が飛んでくるかわからない部屋を突っ切ろうとする度胸など、田村にはないはず。
あとは奈津がうまくやれば。
「うわ、なんだ! くそ、目がぁ」
一階から五島のうめき声が聞こえる。奈津、催涙弾を使ってうまくやったな。
あとはここからとんずらすればいい。
要は窓を開けると、二つに結んだカーテンを外に出す。そして体を乗り出そうとした瞬間。
シュンッ。
要の目の前を鋭いものが横切った。
慌てて部屋に戻り、上を見上げる。金田だ。隣のホテルの八階から、ライフルを構えている。
作戦は失敗した。閉じ込められたのは、要だった。
明菜は、向かう途中に遠くから何度も銃声を聞き、不安を駆り立てられていた。
「駒田さん、急いで!」
「急いでいるよ!」
明菜にも十分わかっている。これでもかというくらい飛ばしてきて、乗っているのが怖くなったくらいだ。要たちの乗って行った輸送車は遅いから、駒田さんの暴走運転でなんとか追いつけるかもしれないというのが、せめてもの頼みだった。
要、無事でいてよ。もうすぐ着くから。
「あそこ! 車がある!」
自衛隊のトラックがゆっくりと前方から走ってくる。しかし、向こうも駒田の車を見つけたようで、距離をおいて近づいてこない。警戒しているようだ。
「所属は……佐伯だ。浅見だ!」
その言葉に、明菜が車から飛び出す。
「おい、嬢ちゃん! ったく、カラスもいるってのに」
駒田は舌打ちしながら慌てて明菜を追いかける。浅見の方も気付いたようだ。トラックがゆっくりと明菜に近づいて来る。
「おい、なんでこんなところにいる!」
浅見が運転席から叫ぶ。無理もない。でも、説明は後。助手席には誰も乗っていない。明菜は、トラックの荷台に飛び込んだ。
幌を開けていきなり入ってきた少女に、荷台に乗っていた女性たちはビクッと体を強張らせ緊張の色が走る。警戒と怯え。震えている女の子もいる。
「ごめんなさい、あたし、敵じゃありません」
明菜は心底申し訳なく思った。この人たち、相当怖い思いをしてきたのだろう。この環境で女だけ、子供もいる中で乗り切ってきた人たち。並大抵のものではなかったはず。自衛隊とも違う少女の声に、女性たちの緊張が和らぐ。
「嬢ちゃん、沖村はここにいないよ」
浅見が後ろから静かに声をかける。
「あいつのおかげで、カレー屋に隠れていた人たちを見つけられたんだ。ただ、一人が囮になってまだ戻ってこない。この人たちを安全なところに運ぶためには別行動が必要と、あいつは一人で迎えに行きやがった。沖村たちとは、合流地点で落ち合うことになっている」
囮。きっと奈津さんだ。要は迎えに行ったんだ。気持ちの整理をつけたはずなのに、どこか切ない気持ちになる。相手はあの金田。武器も持っているなら、無事だって保証もない。
「おねいちゃん、だいじょうぶ?」
そんな明菜の手を、小さな女の子が必死に手を伸ばして触ってきた。まだ指先が丸く、ほんとうに小さな手。
「おねいちゃんも、まーま、いなくなったの?」
女の子が、泣きそうな顔でのぞき込んでくる。まーま。そうか、この子、奈津さんの子供なんだ。こんな小さな子供、置いて行かないでよ。明菜は自分のことのように思う。それでも、この子が大事だからと、守るために行ったのかな。
要も、こんな気持ちだったのかな。あたしも、この子みたいに泣きそうな顔をしていたのかな。
明菜はしゃがみ込んで、女の子の頭をそっと撫でる。さらさらで柔らかい髪の毛。
「名前は? いくつ? おねーちゃんが、まーま、迎えに行ったげるからね」
「ほんと! ゆーな! みっつ」
女の子は、ぱっと明るい顔になり、得意気に指を三本立てる。
「よし、いい子。ゆーなちゃん、ちゃんと待っててね」
明菜がそう言うと、ゆーなはにっこりと笑う。ふと目に入った小さなカバン。その名札には「久保悠菜」と書いてある。その名前に、どこかひっかかるものを感じる。悠、菜、か。悠人、こんなところに、あたしたち、一緒にいるよ。ずっと生きてるよ。
そして明菜は後ろを振り返る。要、あたしが、意地でも連れて帰るからね。
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