第12話 それぞれの思い ②

 金田は、イライラしながらホテルの部屋を順に開けていく。三階まで上がったが、未だ誰も見つからない。部屋の中に生活臭は残っている。ゴミもある。ここで暮らしていたのは間違いない。どこに行った。

 左手がうずく。カラスのウイルス、クロウに感染した血を浴びせられ、やむなく切り落とした左手首。思い出すだけでも屈辱的なことだった。

 昨日、傍受した無線で若い獲物がたくさんいることに歓喜したが、どうも不信感を抱かれたようだ。くそ。何が間違った。おそらく、このホテルには誰もいない。

 しかし、遠くには行っていないはず。女ばかり、それもガキを抱えているようなら、せいぜい近くに隠れるだけが関の山だ。ホテルの近くで隠れられるところは限られている。

 金田は開き直って狩りを楽しむような気分になった。

「上の部屋も、誰もいませんでした」

 五階で田村と落ち合う。やはりな。

「まあいい。八階はどうなっていた」

「展望レストランがあっただけでした」

「そうか。よし、田村は下で五島と探しに行け」

 金田は八階へと上がっていく。このあたりで一番高い建物はこのホテル。上から探すには格好の場所だ。金田は八階から、舐めるように周囲を探る。飲食店等は点在しているが、他に高い建物は、ホテルと集合ビルが合わせて三棟。三十人が隠れるとすれば、このどれかだ。

 北隣の六階建てホテルを見ていると、何かの影がちらつく。いた。女だ。下に降りて行った田村たちを窓から見てやがる。

 横顔で見るだけでもかなりの美人だ。これで俺を出し抜いたつもりか。覚悟しておけ。

「田村、北のホテルだ! 五島は下で出口を固めてろ」

 金田は舌なめずりをしながら無線で指示を出す。お楽しみはこれからだ。


 奈津は下から男が上がってくるのを見て、戦慄が走る。しらみつぶしに探されたら、隠れた場所がみつかると思い、偽の痕跡をつくるつもりで出て行ったのだが、ばれるのが早すぎる。どこで見られた。このままじゃ迎え撃つ準備をする時間がない。

 しかも、男は二人。下で待ち伏せする男と、上がってくる男。このままじゃ逃げ場がなくなる。それにもう一人。下で待ち伏せしているのとは違う男がいたはず。どこに行ったの。

 奈津の頼みはホテルのマスターキー。奈津の見つけたマスターキーがあれば、どの部屋でも自由に隠れることができる。オートロック式のホテルでは、扉を閉めると自動的に鍵がかかるため、どの部屋に隠れているか、一部屋ずつ確認するのは至難のはず。

 そのはずだったのに、どうやら男はまっすぐ、奈津のいる五階に向かってきているようだ。この場所にいるのはまずい。奈津は慌てて部屋を移る。階を移る時間がなかったのが痛い。

 覗き窓から確認すると、男はさっきまで奈津のいた部屋のドアに銃を撃ち、鍵を壊す。男が入った隙に、一気に階段を駆け下りればやり過ごすことができる。そう思っていたのに、扉を開けてからの男は慎重だった。部屋の中をじっと見つめながら、なかなか廊下から離れない。その部屋にいないのがわかっているかのように、聞き耳を立てているようだ。奈津は唾を飲み込む。音を立てると居場所がばれる。必死に息をひそめて慎重にのぞき穴から覗く。

 再び鈍い銃声が聞こえる。先ほどの向かいの部屋に向けて撃ったようだ。順番に一部屋ずつ確かめていくようだ。このままじゃここが見つかるのも時間の問題。私のいるところまで、あと三部屋ほどか。別の部屋を探しているうちに逃げるか、ここで迎え撃つか。どちらにしても危険な賭けだ。

 チン。太陽光発電で未だ動作するエレベーターが五階に止まる音がする。奴らの仲間が来たのか。万事休す。だが男はいぶかしげにゆっくりとエレベーターに近づき、中を確認している。エレベーターには誰も乗っていないようだった。いったい何だったの。

 男がエレベーターに背を向けた瞬間、階段から影が飛びかかった。

「奈津! 来い!」

 その声を聞いて奈津は飛び出した。きっと来てくれると思っていた。こんな時でも、涙が出ちゃう。いや、こんな時だからこそか。


 廊下では要と男が取っ組み合っていた。要さん、変わってないや。それが嬉しくもあり、悔しくもある。

 奈津は男の股間を思い切り蹴り上げると、勢いをつけて吹っ飛ぶ。喰らいやがれ。女の恨みだ。しばらくは動けないはず。

「奈津、行くぞ」

「はい!」

 二人は階段を駆け下りる。

「沖村ああ。待ちやがれ!」

 男がよたよたしながら叫ぶ。追ってきている。しかしこのまま逃げても挟み撃ちなのは変わらない。武器を持っている相手だ。強行突破は難しい。奈津は三階まで下りると、適当な部屋に要を連れて飛び込んだ。

 ここで迎え撃つ。二人なら。要さんとならやれる。

 ゆっくりと呼吸を整える。

「先輩……きっと来てくれると、信じてました」

「奈津、よく頑張ったな」

 要は奈津の頭にぽんと手を置く。こういうところは卑怯だ。普段不愛想なくせに、こういうことをさらっとやってしまう。

「要さん、私、あなたに言わないといけないことが」

「いい。わかっている。久保が待ってる。あいつも佐伯にいる」

 それを聞くと、一気に涙が溢れてきた。ああ。あの人、生きていてくれた。あの日、私たちを逃がすために、カラスの盾になってくれた。生きていて欲しいと願いながら、もう、ダメだと半分諦めていた。

 要さん。この人は、それを知ってもなお、助けに来てくれたんだ。

「娘が、近くにいるの。ほかの人たちも。早く助けにいかないと」

 要はゆっくりと首を振る。

「大丈夫。あっちはすでに回収済みだ。娘もな。あとはお前が無事に帰るだけだ」

 よかった。ゆーなも無事だ。あまりの嬉しさに嗚咽する。

「五八〇、ちゃんと通じたよ」

 うん。要さんといっぱい食べたごはん。この人、カレーが大好きだったから。ホテルにいられないと悟って、真っ先に思いついたのは、カレー屋さん。ここなら、まさか隠れていると思われないから。通じるか不安だったけど、ちゃんと伝わっていた。

「要さん、やっぱり、ちゃんと言っておきたいです」

 奈津は、要に向き合う。要もちゃんと目を見てくれている。

「私、あなたのことが好きでした。あなたと一緒にいれて、幸せでした」

 要はゆっくり、言葉の意味を噛みしめているようだ。

「ああ。久保と三人で幸せにな」

 そう言って、にっこりと笑う。どこか吹っ切れたような、爽やかな笑顔だった。

 その言葉、聞けて良かったです。これで、止まったあの日から歩きだせます。

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