第10話 記憶の箱 ⑤
釈放された男は、誤認逮捕として笹川署を訴えた。
笹川署は、男の犯罪がなかったことにはならないとして、要求を突っぱねる。しかし手続きの正当性を追及されたことで、県警は原因となった沖村を訓戒処分にした。本来であれば、子供の命を救った沖村は処分に値しない。正当な職務執行として評価すべきであった。しかし、マスコミに翻弄された挙句、訴訟がこじれるのを恐れたことで、言うなれば沖村を切り捨てたのだった。
処分を受けた沖村は、署員の誰とも関わろうとしなくなった。それでも奈津は、沖村を信じ支え続けようと寄り添っていた。沖村と一緒にいることで、自分がどれだけ不利になろうと、信じた人は最後まで信じる。そんな強さを持っていた。職場内で孤立しようと耐えてみせる。
しかしそんな決意は、愛する沖村によって砕かれてしまった。沖村の方から距離を置き始めた。自分と一緒にいることで、奈津がこれ以上、居場所を失わないように。そんなことを考えたのだろう。事実、沖村を関わっていることが、奈津自身の能力とは関係なく、奈津の評価を落とすことに繋がっていた。
奈津にとっては、ただ一緒にいたかっただけなのに。
沖村にとっては、恋人の名誉まで奪われないように。
二人の気持ちはすれ違ったまま。
そして沖村は、何も言わず警察を去った。
「沖村が消えた後の奈津は、見てる方も辛くなるほど落ち込んでいたよ。自分がもっとうまく立ち回っていたら、沖村を追い詰めることはなかったと、自分を責め続けていた。俺はそんな奈津の言葉を、ただ聞くしかできなかった。そんな惨めな関係だったが、時が経つにつれ、奈津も現実を受け止めれるようになった。そして、ようやく俺を見てくれるようになったんだ。それから俺たちは結婚したんだ」
これが俺たちの関係だよと、久保は締めくくった。
「避難所に沖村が来た時はびっくりしたよ。無事に生きていてくれて嬉しかったけど、やっぱり奈津のことは後ろめたかった。あの時俺は、沖村を信じてやれなかった。ずっと自分を責めていた。あいつに許して欲しかったんだ」
久保はそう言って俯く。
「沖村に『奈津を奪って悪かった』と言ったんだ。そうしたらあいつ、『お前が奪ったんじゃない。奈津が選んだんだ』そう言って笑いやがった。その言葉に救われたよ」
久保は乾いた声で笑う。そして、明菜をじっと見る。
「沖村が職を去ることになった事件、通称『笹川事件』。君も知っているよね」
ドクン、と、明菜の心臓が跳ねる。
「波多野、明菜さん」
その名前を聞いて、明菜の顔が凍り付いた。
波多野明菜。
「どう、して……」
あなたがその名前を。いや、なんであたしを。
「あの事件、別に沖村だけが子供たちを救おうとしていたわけじゃない。あんな結果にはなったが、笹川署は皆、子供たちの無事を願っていたんだ。それだけにあの男に法の裁きを与えられなかったことが悔しかった。その悔しさを正しく向けれなかったのが、俺たちの罪だ」
久保はゆっくりと目を瞑る。
「沖村が去った時、目が覚めた。遅すぎたけどな。あいつが守りたかったのは、自分のプライドなんかじゃない。助けを求める、生きる意思を持った子供がいたことをなかったことにしたくなかったんだと。その子供たちは、最後まで守ってやる。それが笹川署の贖罪と決意だ」
そして明菜を見る。
「あの男は子供たちに報復しようとしていた。それを食い止めるために、施設に入った子供たちのことは、定期的に見ていたよ。ご飯も食べれるようになり、小林を名乗るようになったことも。ま、顔を見ていた訳じゃないから、名前を聞くまではわからなかったけど。俺たちが施設を警戒していたのは沖村が去ってからのことだから、あいつが気づいていたかはわからん。それでも、沖村と君が一緒にいるのは、なんの因果かと思ったよ」
「要、あたしのこと」
明菜はやっとのことで声を出す。要が……あたしを。
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